LHC高輝度化アップグレード超伝導磁石『D1』実証機の励磁試験の成功

ヒッグス粒子の発見(2013年ノーベル物理学賞)で知られる欧州原子核研究機構(CERN)のLHC加速器では、今後もさらに新物理の探索を進めるためのLHC高輝度化アップグレード(HL-LHC)計画が進められています。HL-LHC計画には、世界中の大学・研究所が参加していて、KEKもその中の一つです。以前このハイライト(大口径超伝導双極磁石によるLHC高輝度化アップグレードへの国際貢献)でもご紹介したように、超伝導低温工学センターを中心としてHL-LHC向け超伝導磁石D1の開発を行ってきました。図1に磁石と超伝導コイルの断面模式図を示します。設計や製作方法を検証するための2m長モデル磁石開発の成功を経て、2020年から実機と同じ7m長の実証機MBXFP1の製作を進めてきました。そして2021年6月に1.9 Kにおける冷却励磁試験がいよいよ始まりました(図2)。ここまでの経緯は、以下の紹介記事に詳細を報告しています(LHC高輝度化アップグレードのための超伝導磁石「D1」実証機の性能評価が始まりました!)。

加速器用超伝導磁石に求められる性能としては、『安定して通電できること』や『設計通りの磁場が発生していること=誤差磁場が十分小さいこと』が特に重要です。また突然の常伝導転移(クエンチ)が起きた場合も、超伝導コイルを安全に保護できなければ実用できません。励磁試験を含めた様々な試験を実施した結果、実証機ではHL-LHC加速器の仕様を十分満足する良好な性能を有していることが証明されました。この結果を踏まえて、2021年12月からは、いよいよ実機磁石の製造に着手しました。2026年から始まるHL-LHC加速器へのインストールに向けて、予備を含む合計6台のD1実機磁石を製造し、日本から現物貢献することになっています。

図1: D1磁石(a)と超伝導コイル(b)の断面模式図
図2: 1.9K冷却用クライオスタットに挿入中の7m長D1実証機MBXFP1

以下では、D1磁石実証機における励磁試験結果のいくつかの例をご紹介します。

超伝導磁石をビーム加速器に使用するためには、まずは『安定して通電できること』が重要です。D1磁石の場合、直径150 mmの空間を通過する7 TeVの陽子ビームを曲げる(キック)するために、定格電流12,110 Aで5.6 Tの磁場が発生しますが、そのときに超伝導コイルにかかる電磁力は1 mあたり160 トンにも達します。超伝導コイル単独ではこのような強大な電磁力に耐えられないので、図1(a)にも示されるように鉄やステンレスの構造体でコイルを安定に機械支持する設計を採用しています。もし支持が不十分だと、コイルが励磁中に動いてしまい、生じた摩擦が熱に変わって局所的な温度上昇につながります。すると、ニオブチタン超伝導体が常伝導に転移してしまい、もはや大電流を通電することができなくなります。このような現象を『クエンチ』と呼びますが、励磁試験では、

  • 少ないクエンチ回数で目標電流に到達すること、
  • 最終的な最高到達電流ができるだけ高いこと、
  • 試験途中でクエンチ電流の低下が見られないこと、
  • 常温まで昇温した後の2回目の励磁試験でも安定して通電できること、

などの指標により超伝導磁石の通電性能を評価します。

図3にクエンチ試験の結果を示します。横軸はクエンチ回数、縦軸は電流値です。クエンチ試験では、0 Aから一定の電流変化率で電流を増加させ、クエンチ信号(常伝導転移=抵抗発生に伴う電圧信号)を検出した瞬時に通電回路を遮断します。この一連の通電試験を繰り返して、クエンチ回数とクエンチ電流の関係を調べます。図3では、実証機MBXFP1の結果を一番右側にプロットしています。比較のため、これまでに開発した2mモデル(MBXFS-1, -1b, -2, -3)の試験結果も合わせて示します。なお基準となる横線は定格電流(Inominal)と目標電流(Iultimate、定格電流の108%に相当)を示しています。実証機MBXFP1の1回目の試験サイクルでは、4回目の通電で定格電流に到達することができました。また最初のクエンチ電流から下がることなく電流が上昇していることからも、良好なトレーニング特性を確認することができました。常温までの昇温を経た後(サーマルサイクル、TC)の2回目の試験サイクルでも、1回目同様のトレーニング特性を再現することが確認できました。クエンチ電流は最高12,866 Aまで到達しましたが、試験設備の制約からこれ以上の電流は通電できませんでした。最終的に定格電流の105%において、4時間以上安定通電できることを確認して試験を終了しました。その間、クエンチ電流の低下は見られず、非常に安定した通電性能を示すことができました。
  良好な超伝導磁石に見られる振る舞いで、一度経験した電流までは安定して通電でき、通電する度に到達電流が上昇すること。

図3: 7m長D1実証機MBXFP1のトレーニングクエンチ試験結果。
比較のため、これまでの2mモデル磁石(MBXFS-1, 1b, 2, 3)の結果も合わせて示します。

さて、加速器用超伝導磁石にとって、『安定して通電できること』と同じくらい重要な性能は磁場特性であり、『設計通りの磁場が発生していること』、つまり『誤差磁場が十分小さいこと』が必要になります。一般的に磁石が発生する磁場は、多極磁場の重ね合わせ(2極磁場、4極磁場、6極磁場、・・・、2N極磁場)で表現されます。例えばD1磁石はビームを曲げるための2極磁石なので、N極とS極からなる2極磁場が主磁場となりますが、他の4極以上の多極成分も不要な誤差磁場として存在します。LHCでは陽子ビームがほぼ光の速さで周長27 kmの加速器リングを周回していますが、ビーム衝突実験を行っている数時間の間、安定した軌道を回り続ける必要があります。このため、加速器を構成するそれぞれの磁石(2極磁石や4極磁石)は、主磁場の1/10000以下を目安に誤差磁場を抑えることが要求されます。もし誤差磁場が許容値を超えてしまうと軌道が不安定になってビームがあらぬ方向に飛んでいってしまい、実験を続けることができません。またロスしたビームは必ずビームダクトや磁石に当たって放射化するため、機器の故障や短命化につながります。

図4にD1磁石実証機の磁場測定の一例として、6極成分(b3)の測定結果を示します。横軸は通電電流です。2極磁石の場合、最も大きい誤差磁場となるのが6極成分となることから、いかにして6極成分を小さく抑えることができるかが、磁石の性能を決定します。図4を見ると、6極成分が電流の増加に伴って上下に変動している様子が分かります。3,000 A以下の低電流領域では、第2種超伝導体に特有の『遮蔽電流』と呼ばれる現象のため、通電履歴に依存したヒステリシスを示します。さらに電流を増加すると6,000 Aを超えたあたりから、鉄ヨークの透磁率の飽和や電磁力によるコイル変形による影響が現れてきます。これらの電流依存性を十分に考慮して、定格電流における6極成分を許容値以下に抑え込むことが必要になります。実は以前のモデル磁石(MBXFS-2, -3)では設計に問題があったため、6極成分が許容値を大幅に超える+36 unit(1 unitは主磁場である2極磁場の強さの1/10000に相当)に達していました。このため実証機では超伝導コイルの断面配置を再設計しましたが、図4に示されるように-8 unitにまで低減することに成功しました。なお、今回得られた結果には試験環境の影響(ここでは周囲の鉄の透磁率の飽和の影響)が含まれている事が分かっています。実際のHL-LHCの運転環境下では鉄の配置が異なるため6極成分はさらに減り、-2 unit相当となると予想されます。

図4: 7m長D1実証機MBXFP1の磁場測定結果。6極成分(b3)の電流依存性を示します。

以上ご紹介したように、D1磁石実証機がHL-LHC加速器に必要な性能を有していることを確認できました。なお、実機磁石では図1(b)に示すウェッジやシムの断面形状を10ミクロン単位で微調整することで、磁場性能をさらに向上させる予定です。

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