高エネルギー加速器研究機構(KEK)のKEKB加速器を用いて実験を行っている国際共同研究グループBelleは、現在の素粒子の標準理論では説明が困難な新しい現象を見つけたことを国際会議Lepton Photon 2003で発表した。
KEKB加速器は電子と陽電子を光速近くまで加速し、正面衝突させることにより、B中間子とその反粒子(反B中間子と呼ばれる)を大量に作り出す装置だ。B中間子はボトムクォークを含む中間子で、ヘリウム原子と同程度の重さを持つが、寿命が1兆分の1秒程度と非常に短く、生成とほとんど同時に他の安定した粒子の組み合わせに崩壊する。この崩壊過程が素粒子物理学の研究で重要な役割を果たす。Belle測定器はB中間子の崩壊過程を精密に観測する装置だ。特に注目されているのがB中間子と反B中間子(物質と反物質)の間に存在する微妙な違い(CP対称性の破れ)を解明することだ。
CP対称性の破れがB中間子の崩壊で実際に起きていることはBelleグループと、米国のスタンフォード線形加速器センターにあるPEP-II加速器を用いて実験中のBaBarグループが2001年に同時に発見した。Belleはその後、他の崩壊過程でもCP対称性の破れの観測を続けてきたが、今回、ある崩壊において、標準理論から説明される他の崩壊とはあきらかに異なる現象を見つけた。
B中間子と反B中間子が二つの粒子に崩壊する現象の一つである、J/ψ中間子とKS中間子への崩壊において、CP対称性の破れの大きさは、sin2φ1と呼ばれる量で表される。この量は標準理論の基本的なパラメーターで、CP対称性の破れが無い場合は0であり、CP対称性の破れがある場合には最大で±1となる。この値はBelle、BaBar両グループの測定によって、+0.731±0.056と決められており、1973年に小林と益川によって提唱された理論が正しいことを証明している。
Belleグループはこれまで4年かけて集めたおよそ1億5千万個のB中間子反B中間子対のデータからφ中間子とKS中間子の対へ崩壊する事象を68個見つけ、CP対称性の破れを測定した。標準理論によると、ここに見られるCP対称性の破れの大きさはsin2φ1に一致するはずであるが、実験結果からこの大きさを求めると-0.96±0.50と、大きくずれているという結果を得た。
この破れの大きさは非対称度と呼ばれる観測量から決まる。図1はそれをB中間子の崩壊時間ごとに示したものだ。図中の縦棒は観測精度を示す。観測された非対称度はsin2φ1から予想される振舞から大きくずれていることがわかる。今回の観測結果が、+0.731±0.056から統計のゆらぎによって-0.96±0.50と測定される確率は0.1%以下である。
B中間子がφ中間子とKS中間子へ崩壊する現象は量子的ゆらぎとして知られている。これはB中間子を構成するボトムクォークが一瞬だけトップクォーク(ボトムクォークの35倍の重さを持つ)とWボゾンと呼ばれる粒子(ボトムクォークの16倍の重さを持つ)に分かれる、きわめて量子力学的な現象である(図2参照)。このプロセスはトップクォークとWボゾンがループを作るのでループダイヤグラムと呼ばれる。量子力学が支配する素粒子の世界では、トップクォークやWボゾンなどの標準理論で記述される粒子がループを構成する。もし未知の重い粒子が存在し、その粒子も同様のループを構成する場合、今回の崩壊過程の測定に敏感に反映されると考えられている。今回測定された非対称性がsin2φ1から異常にずれて見えているのは、このような未知の粒子の関与による可能性があるため、今回の結果を精密に検証することは非常に重要だ。
標準理論が出来てからこれまでの約30年間、この理論の枠組で説明することが出来ない実験結果はほとんど無かったといってもよい。しかし今回の観測結果は標準理論に対するこれまででもっとも大きな挑戦といえる。超対称性粒子が介在しているのかもしれないし、もっと未知の粒子や現象が介在しているかもしれない。さらにB中間子のデータを大幅に増やして、この現象を徹底解明することが今後の高エネルギー物理学の最重要課題となる。
今回この結果を発表するBelleグループは世界の約50の大学と研究機関に属する約400名の研究者によって構成される国際共同研究グループである。
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