高エネルギー加速器研究機構(KEK)の放射光研究施設では、構造生物学の研究および開発の国際的な競争に対応するために研究基盤の整備と高度化を推進しており、この一環として新たに建設を進めてきたタンパク質結晶X線構造解析ビームライン(BL-5)を完成させた。このビームラインにより、従来は解析することが困難だった小さなサイズの結晶の構造を短時間で解析する世界最高レベルの実験環境が実現する。
国際的に競争が激化している生命科学研究や創薬研究において、大学や産業界からタンパク質の立体構造をより正確に、より迅速に解明したいという要望が高まっている。放射光研究施設では、平成14年度にビームラインNW12を完成させ、共同利用実験に公開した。このビームラインの優れたデータ収集効率性に対しては、利用者からすでに高い評価を得ている。今回のBL-5の建設では、NW12で開発された技術をさらに進歩させ、より高い生産性を追求し、構造生物学研究の推進に大きく貢献することを目的とした。
BL-5は放射光研究施設光源棟の第5セクションに設置されたビームラインで、多極ウィグラーという挿入光源により、通常の放射光より強いX線を取り出すことができる。このビームラインはまた、多波長異常分散法(注)を用いることができるように設計されている。多波長異常分散法の構造解析ではタンパク質中に入れた重金属の異常散乱を用いるので、その重金属に特有な波長のX線を用いる必要があるが、BL-5では放射光の広がりを抑えるミラーを導入することによってわずかに波長の違うX線を精度良く得ることに成功している。
タンパク質の構造を決めるには、タンパク質の結晶にX線をあて、回折される弱いX線を測定する。このとき、より大きな面積の検出器を使うことができれば分解能の高い回折データが得られるので、結晶構造をより精密に決めることが可能になる。また、ウイルスやタンパク質超複合体などの大きな分子の構造を研究する場合にも大面積の検出器は有利である。このため、BL-5にはX線構造解析としては日本で最大の面積を持つCCD検出器が導入されている。この検出器は315mm角で、画素数は6144ピクセル×6144ピクセルと、これまで国内で利用されていた最大面積のCCD検出器に比べて約2倍の面積を持つ。最大画素数利用時におけるデータ読み出し時間は1秒である。
結晶構造の解析の精度を向上させるために重要な役割を果たす結晶回転軸の芯ブレは、平成14年度に完成したビームラインNW12の2.2ミクロン以下からさらに向上し、BL-5では1ミクロン以下に抑えられており、より小さな結晶にも対応が可能となった。
タンパク質結晶構造解析の主流は、単体のタンパク質の構造解析から複数のタンパク質が集まった複合体の構造解析に世界的に移行しつつある。大きなタンパク質の複合体では結晶化が往々にして困難で微小な結晶しか得られないことが多い。大強度で安定したX線を任意の波長で取り出すことができ、日本で最大の面積を持ち高速でデータを読み出すことが可能なCCD検出器と、回転精度の極めて高い実験装置を持つBL-5は、世界でも有数のタンパク質結晶X線構造解析施設となる。
BL-5の建設は平成14年秋から始まり、平成15年9月に放射光X線を使った装置の性能評価が実施された。また、同年12月には初めてのタンパク質結晶の構造解析が多波長異常分散法を用いて行われた。共同利用実験のための公開は平成16年4月に予定されている。実験に使用できる時間(ビームタイム)のうち30%は、日本の国家プロジェクトである「タンパク3000プロジェクト」に使用される予定である。
BL-5の建設は科学技術振興調整費の「蛋白質X線結晶構造解析の高度化に資する基盤整備(研究代表松下正教授、平成13−15年度)」および平成14年度から始まっているタンパク3000プロジェクトの「タンパク質の個別的解析プログラム、翻訳後修飾と輸送(研究代表若槻壮市教授)」により行なわれた。
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多波長異常分散(MAD)法とは、X線の波長を変えた時に回折強度に生じる微小な変化を利用して構造の手がかりを得る方法である。この方法によく使われているのがセレン原子だが、タンパク質を構成するアミノ酸のひとつのメチオニンをセレノメチオニンに置換したタンパク質をつくることによって、セレンを含んだタンパク質ができる。タンパク質にあてるX線の波長を変えることによって、セレン原子がX線を回折するふるまいがわずかに変化することを利用している。この方法は、X線の波長を自由に変えられる放射光ならではの構造解析法だが、わずかな波長の差を利用するため高いデータ精度が要求される方法と言える。 |
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