for pulic for researcher English
topics
home news event library kids scientist site map search
>ホーム >ニュース >プレス >この記事
last update:08/01/16  
  プレス・リリース 〜 08-02 〜 For immediate release:2008年1月16日
 
 
水素の吸収放出速度を劇的に改善するメカニズムを解明
− 水素吸蔵物質中での「水素結合」の発見 −

 
 
大学共同利用機関法人 
高エネルギー加速器研究機構 
 
 
発表の骨子

高エネルギー加速器研究機構を中心とするグループは、水素吸蔵物質※1の一つである水素化アルミニウムナトリウム中で、従来全く考慮されていなかった水素結合※2の存在と、それが水素の吸収放出に大きな影響を及ぼすことを世界で初めて明らかにした。今回の成果は、水素ガスを燃料に使用した環境にやさしいエネルギーの実用化につながるものである。
 
【概要】
大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所の門野良典教授、下村浩一郎研究機関講師らのグループは、ハワイ大学C. M. Jensen教授のグループ、独立行政法人産業技術総合研究所エネルギー技術研究部門秋葉悦男主幹研究員らと共同で、水素吸蔵物質として広く関心を集めている水素化アルミニウム化合物※3の一つである水素化アルミニウムナトリウム(NaAlH4)について、触媒作用を持つある金属を少量添加することにより、水素放出の速度が劇的に改善される原因について研究を行い、それが水素化アルミニウムイオンと水素との間の水素結合の変化にあることを突き止めた。これは当該物質を含む軽元素水素化物※4で従来は全く考慮されていなかった水素結合の存在と、それが水素の吸収放出に大きな効果を及ぼすことを世界で初めて明らかにしたもので、今後、同種の化合物の研究に大きな影響を与えると考えられる。
 
今回の成果は、米国物理学会誌「フィジカル・レビュー・レターズ」オンライン版に1月15日に掲載された。
 
【背景】
地球温暖化の原因である人為的な二酸化炭素の放出を抑える切り札の一つとして、水素ガスを燃料に使用した環境にやさしい自動車の開発が進められていることはよく知られている。しかし、これを実現するためには幾つかの大きな課題があり、その一つとして「大量の水素ガスを如何に軽量コンパクトに貯蔵し、かつ効率的に吸収放出させるか」がある。金属や合金の中には水素をよく固溶※5するものがあり、これらを水素吸蔵物質として用いる研究は1960年代から行われてきた。しかしながら、これらは比重が大きいため、重量あたりの水素の吸収あるいは放出量が小さく(重量比約2%程度)、軽量コンパクトに水素を貯蔵することが出来ない。また、これらの合金に使用される元素は高価で資源が乏しいことや水素の吸収放出を繰り返すことで貯蔵効率が低下するなどの問題があり、今のところ自動車等への応用は難しいと考えられている。
 
これらの金属や合金に代わり近年盛んに研究されているのが軽元素の水素化物をベースにした物質で、少量の金属触媒によって化学結合を制御することで効率的に水素を吸収放出させ、これらを水素吸蔵物質として実用化しようという試みが行われている。
 
水素化アルミニウムナトリウム(NaAlH4)は、軽元素の水素化物の代表である水素化アルミニウム化合物の一つで、理論上では最大5.6%という高い重量比で、かつ摂氏50〜100度の温度で水素を吸収放出し、材料としても安価で大量に手に入れることができる。更に、1990年代後半に数%の割合でチタンやジルコニウム等の金属を添加することで、それまでネックになっていた水素の吸収放出の速度が劇的に改善されることが明らかになって以来、水素吸蔵物質として実用化が期待されてきた。
 
しかしながら、長年の研究にも関わらず、添加された金属が水素の吸収や放出にどのように関わっているのかについての微視的なメカニズムはほとんど分っていなかった。
 
【研究内容】
本研究では物質中に注入されたミュオン(μ+※6が水素(陽子)と同じ存在状態を示すことに着目し、ミュオンを通して水素化アルミニウムナトリウム中での水素の状態を調べることを試みた。実験では、試料として無添加の水素化アルミニウムナトリウムとチタンを2%添加した水素化アルミニウムナトリウムをハワイ大学で用意し、平成18年度からKEKのミュオン科学実験施設でミュオンスピン回転測定のテスト実験を行なうとともに、TRIUMF(カナダ)およびPSI(スイス)のミュオン実験施設で本格的な実験を行った。
 
その結果、どちらの試料においても注入したミュオンが、室温以下で水素化アルミニウムイオンとミュオンとの水素結合による複合体{(AlH4) - μ+- (AlH4)}を形成していることが明瞭に観測され、しかも、温度の上昇とともにその状態から別の状態へと移動する様子が見られた(図1参照)。また、その際、特にチタンを添加した試料では、昇温によりミュオンの状態が先の複合体から異なる格子間位置※7で拡散運動※8をしている孤立μ+状態※9へと移動することが明らかになるとともに、そのために必要な活性化エネルギー※10が、チタン無添加の試料に比べて約3分の1まで大きく減少していることも判明した。
 
試料中に注入されたミュオンは、格子間位置にある水素とほぼ同じような状態をとると考えられており、現実にはミュオンを水素に置き換えた複合体{(AlH4) - H+- (AlH4)}が形成されると考えることができる。
 
【本研究の意義】
この研究成果は、水素化アルミニウムナトリウムの水素放出過程で{(AlH4) - H+- (AlH4)}という水素結合による複合体が形成され水素放出速度が減速されることを意味している。また、添加されたチタンがこの複合体からより動きやすい格子間位置への水素の状態変化に伴うエネルギー障壁※10を大きく下げるための触媒として働いていることを明らかにしたと言える。今後、水素吸蔵物質を開発するに際し、水素結合が起こりにくい結晶構造や構成要素を選択するという指針が得られるとともに、本研究で用いられた手法がそれを判断するための有力な方法として期待される。
 
本研究は、平成18年度科学研究費補助金(特定領域研究)および同年度KEK大学共同利用ミュオン実験(海外研究施設利用)により行われた。
 
  【関連サイト】 ミュオン科学研究施設のwebページ
【本件に関する問い合わせ】 高エネルギー加速器研究機構
  物質構造科学研究所
    教授 門 野 良 典
    TEL:029-864-5625
  高エネルギー加速器研究機構
  広報室長 森 田 洋 平
    TEL:029-879-6047
 

 
image
図1 :水素化アルミニウムナトリウムの結晶構造
ミュオン(水素)はCの位置で2つのアラネートイオン(図中正四面体:4つの頂点に水素原子が配位)に対して水素結合を作っていると考えられる。チタン添加(図では省略)によりエネルギー障壁が下がりミュオン(水素)はCからOの位置へと移動しやすくなり、そこで拡散運動をするようになる。
 

 
image
図2 :水素化アルミニウムナトリウムに注入されたミュオンからの信号
図中の長破線(3S)で示されているのが水素結合状態(図1の位置C)からの信号で特有の振動パターンを示す。短破線(KT)は格子間位置(図1の位置O)からの信号。チタンを添加した試料では、昇温(上図c→d)とともに位置Cから位置Oへの移動割合が無添加の場合(上図a→b)に比べて明らかに増加している。
 

【用語解説】
 
※1 水素吸蔵物質
  気体の水素を比較的大量に出し入れできる物質。古くから知られているものとしてはパラジウムなどを代表とする金属で、結晶の隙間を原子状態の水素が出入りする。
1kgのパラジウム(体積約83cm3)は約7gの水素を吸蔵するが、これは室温1気圧で約80リットルの体積に相当し、パラジウム中で体積が約1000分の1(〜1000気圧相当)までコンパクトになる。ただし、自動車の走行で一度に蓄えられるべき水素は重量で4kg程度(ガソリンの10分の1程度)と考えられており、パラジウムなら600kg近い量を必要とする。
 
※2 水素結合
  窒素、酸素、硫黄、ハロゲンなどの周期表上右側の元素と結合した水素原子が、近傍に位置した他の原子に働かせる引力的相互作用。水素結合は、水(水素と酸素の結合)の性質、水と他の物質との親和性、あるいはタンパク質の高次構造などにおいて重要な役割を担っている。
 
※3 水素化アルミニウム化合物
  水素化アルミニウムナトリウム(NaAlH4)に代表される化合物の通称で、アラネートイオン(AlH4 )とアルカリ金属のイオン結晶したもの。
 
※4 軽元素水素化物
  ホウ素、アルミニウムといった軽い元素と水素との化学結合は酸素とのそれに比べて弱く、触媒等でさらに結合エネルギーを下げることで水素を出し入れできるようになると考えられている。このような物質をここでは軽元素水素化物と呼んでいる。
 
※5 固溶
  固体結晶においても結晶を構成する原子どうしの間に十分な隙間があれば、液体と同じように原子/分子を含むことができる。これを固溶と呼ぶ。水素原子は原子の中でも最も小さいため、たとえばパラジウム結晶ではパラジウム原子3個に対して水素原子約1個の割合で水素を「溶かす」ことができる。
 
※6 ミュオン
  ミュー粒子とも呼ばれ、陽子の約9分の1、電子の約200倍の重さを持った不安定粒子。正電荷を持つものと負電荷を持つものがある。ここでは正電荷を持つミュオン(μ+)(正ミュオン)を研究に用いているが、正ミュオンは物質中でほぼ水素(陽子)と同じように振る舞うことから、加速器施設で大量に発生させたものをイオンビームとして物質に照射し、その内部を調べる「顕微鏡」として用いる。その原理(ミュオンスピン回転法)は、核磁気共鳴(医療用MRI等に用いられている)に比較的近いが、ミュオン自身が放射性粒子である(短時間で崩壊して高エネルギーの陽電子を放出する)ため、極めて高感度であることが特徴である。
 
※7 格子間位置
  固体結晶を構成する原子どうしの間にはある程度の隙間があり、この位置を格子間位置と呼ぶ。
 
※8 拡散運動
  原子は有限温度では熱エネルギーによる運動をしており、固体中の隙間にある原子も隙間から隙間へと自然に移動して行く。これを拡散運動と呼ぶ。
 
※9 孤立μ+状態
  固体結晶中の隙間に入った正ミュオンが、周りの原子と化学結合をせずに存在している状態。
 
※10 活性化エネルギー
  水素/ミュオンが隙間(格子間位置)から隙間へと移動する場合、一般にはある一定以上のエネルギーを持たなければ乗り越えられない壁(エネルギー障壁)があり、それに相当するエネルギーを活性化エネルギーと呼ぶ。
 

copyright(c) 2008, HIGH ENERGY ACCELERATOR RESEARCH ORGANIZATION, KEK
〒305-0801 茨城県つくば市大穂1-1
proffice@kek.jpリンク・著作権お問合せ