2011年8月1日
自然科学研究機構 分子科学研究所
高エネルギー加速器研究機構
自然科学研究機構分子科学研究所の横山利彦教授と総合研究大学院大学物理科学研究科博士課程学生の江口敬太郎氏は、広い温度範囲にわたってほとんど熱膨張しない鉄とニッケルからなるインバー合金について、その性質を詳細に調べたところ、低温でも熱膨張をしないメカニズムを世界で初めて解明しました。インバー合金(invar;不変)は、鉄65.4%、ニッケル34.6%の組成をもち、極低温から室温以上までの広い温度範囲でほとんど熱膨張をしない合金として100年以上前から知られており、その特性を活かして精密機械などに広く利用されています。
熱膨張をしない原因については、これまでワイスの提唱したモデルにより説明されてきましたが、このモデルでは室温程度以上の温度での熱膨張が説明できるだけでした。二人は、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の放射光科学研究施設フォトンファクトリーを利用し、X線を吸収する原子周辺の局所的な構造を決定する手法(X線吸収微細構造分光(XAFS))を用いて、インバー合金の鉄原子とニッケル原子の原子間距離の温度変化について詳細に調べました。さらに、ワイスのモデルに基づく古典計算と、極低温での原子の挙動(量子揺らぎ)を考慮した量子計算によりシミュレーションを行い、実験結果と比較しました。
その結果、低温において熱膨張をしない原因が量子揺らぎであることを世界で初めて明らかにしました。有用な特性をもつインバー合金について、その特性をもたらすメカニズムを新たに解明したことは、今後の材料開発に貢献するものと期待されます。
本成果は、米国物理学会の専門速報誌『Physical Review Letters』のオンライン版に近日中に掲載される予定です。
1897年にスイスの物理学者ギョーム(Guillaum)は、極低温から室温以上までの広い温度範囲にわたってほとんど熱膨張しない異常な合金を発見し[1]、1920年ノーベル物理学賞を受賞しました。この物質は鉄Fe 65.4%、ニッケルNi 34.6%の組成の鉄ニッケル合金で、インバー合金(インバー;invarは不変という意味)と呼ばれるようになり、その後もいくつかの合金でこのインバー効果を示すものが発見されています。この特長から、インバー合金は今日に至るまで精密機械等に広く利用されています。
1963年、ワイス(Weiss) [2]は、簡単なモデルでインバー効果を説明することに成功しました。鉄原子は、原子半径の大きいエネルギー的に安定な状態「高スピン状態」、と原子半径が小さく不安定な「低スピン状態」の両方をとることができ、温度上昇に伴って不安定な低スピン状態の密度が増えることで原子が縮もうとします。一方、温度が上昇すると原子の熱振動が激しくなり、原子同士の衝突を避けるために原子間距離が伸びます。これは普通の意味での熱膨張です。インバー効果は、これら2つの効果がちょうど相殺されて、熱膨張がなくなるというものです。このワイスのモデルは、現在に至るまで定性的に現象を説明するモデルとして受け入れられていますが、実際にはそれほど単純ではなく、室温程度以上の温度での挙動は説明できるものの、低温領域では十分に説明できるものではありませんでした。
研究グループは、KEKの放射光科学研究施設フォトンファクトリーのビームラインBL-9Aを使って、X線を吸収する原子周辺の局所的な構造を決定する手法(X線吸収微細構造分光(XAFS)*1))を用いて、図1に示すような配置をとっているインバー合金の鉄原子とニッケル原子の原子間距離の温度変化について詳細に調べることにより、鉄とニッケルの局所的な熱膨張を測定しました。さらに、ワイスのモデルに基づく古典力学的な計算と、極低温での原子の挙動(量子揺らぎ)*2)を考慮した経路積分*3)量子力学的シミュレーションとを行い、実験結果と比較しました。
図1 インバー合金における鉄(Fe;金色)原子とニッケル(Ni;銀色)原子の配置図の例。
図2には、温度を変化させていったときの、インバー合金の鉄原子Feまたはニッケル原子Niの最も近くに位置する原子との距離(最近接原子間距離)の実験結果(図2上段)と、結晶の一単位の長さを示す格子定数(文献値)の実験結果(図2下段)、量子力学に基づいた量子計算とニュートン力学に基づいた古典計算の結果を合わせて示しました。
温度変化による熱膨張を示す原子間距離をFe原子、Ni原子それぞれについて調べると、Fe原子周囲の原子間距離はほぼ変わらないことからほとんど熱膨張がなく(a)、Ni原子周囲の距離は温度上昇に伴って長くなり、熱膨張がはっきりと観測されている(b)ことがわかります。さらに、観測されたインバー合金のNiの熱膨張は、金属Niの場合に比べるとかなり小さいことがわかりました。
この結果を量子計算(●)および古典計算(◇)と比較すると、実験値(○)は量子計算(●)と概ねよく一致していますが、古典計算(◇)では、100ケルビン(K)以下の低温で実験値(○)と一致せず、むしろ正常な熱膨張と一致しています。このことから、低温でのインバー効果は、ワイスのモデルには従わず、量子揺らぎそのものが原因であることが初めて解明されました。
図2 実験値(○)、量子計算(●, 実線)、古典計算(◇, 破線)で得られたインバー合金の最近接Fe周囲(a)、Ni周囲(b)、格子定数(c)の熱膨張の温度変化。
ギョームがインバー金属及びインバー効果を発見したのが1897年、アインシュタイン(Einstein) [3]が低温の固体の比熱を量子揺らぎで説明したのが1907年、いずれも100年以上も前のできごとです。古くから知られている現象を最新のテクノロジーを駆使して測定し、古くから知られている理論で見直してみる研究姿勢は時として重要であることがわかりました。
有用な特性をもつインバー合金について、その特性をもたらすメカニズムを解明したことは、今後の材料開発にも貢献できるものと期待されます。また、熱膨張をしないこと以外にも、鉄ニッケル合金は、組成により工業的にも大変重要なさまざまな性質を示すことが知られています。例えば、鉄とニッケルの比が22対78であるパーマロイと呼ばれる合金は、透磁率が極めて高い磁石として日常生活にも多用されています。IT産業においても、次世代記憶素子など磁石の有用性はますます高まる状況です。今回の研究は、鉄ニッケル合金の様々な基板上でのエピタキシャル薄膜*4)やナノ粒子にはまだ知られていない興味深い有用な物性の可能性を予見させ、今後系統的な研究を手掛けるきっかけになると考えます。
参考文献
[1] C. E. Guillaume, CR Acad. Sci. 125, 235 (1897).
[2] R. J. Weiss, Proc. R. Soc. Lond. A 82, 281 (1963).
[3] A. Einstein, Annal. Phys. 22, 180 (1907); errata ibid. 22, 800 (1907).
掲載誌:Physical Review Letters(米国物理学会速報誌、フィジカル・レビュー・レター
ズ)
論文タイトル:Anharmonicity and Quantum Effects in Thermal Expansion of Invar Alloy(インバー合金の熱膨張における非調和性と量子効果
著者:Toshihiko YOKOYAMA, Keitaro EGUCHI
掲載予定日:近日中に公開予定
横山 利彦(よこやま としひこ)
自然科学研究機構・分子科学研究所・物質分子科学研究領域・電子構造研究部門
教授
江口敬太郎(えぐち けいたろう)
総合研究大学院大学・物理科学研究科・構造分子科学専攻
5年一貫制博士課程3年
本研究は、文部科学省科学研究費補助金基盤研究(A) 課題番号22241029、及び、高エネルギー加速器研究機構の放射光科学研究施設フォトンファクトリーBL-9Aの共同利用研究[課題番号2010G551]の研究課題の一環として行われました。
横山利彦(よこやまとしひこ)
分子科学研究所・物質分子科学研究領域・電子構造研究部門・教授
TEL: 0564-55-7345; FAX: 0564-55-7337
E-mail: yokoyama@ims.ac.jp
自然科学研究機構・分子科学研究所・広報室(寺内かえで)
TEL/FAX: 0564-55-7262
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高エネルギー加速器研究機構・広報室(森田洋平)
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