7月30日から8月2日は暑い夏の真最中です。それでも色々な分野の人が集まりやすい時期なのでしょうか、KEKでは、放射線を扱う物理、応用物理、医学物理などの研究者や大学院生が参加し、放射線のふるまいを計算機でシミュレーションするプログラムの研究会が開かれます。今日はこの研究会についての話題を紹介しましょう。
主役はEGSプログラム
この研究会の主なテーマとなるプログラムはKEKがアメリカのスタンフォード線形加速器センター(SLAC)、スタンフォード大学、ミシガン大学、カナダ国立研究機構(NRCC)と国際共同で改良に取り組んでいる電磁カスケードモンテカルロプログラムEGSと呼ばれています。初めて聞く人には分かりにくい長い言葉ですが、これはエネルギーの高い電子や光子(エネルギーの高い光は粒子としてふるまい「光子」という)が物質に入射し、内部に次々と新たな電子や光子を滝(カスケード)の流れのように生み出す電磁カスケードシャワーと呼ばれている現象をとらえる計算機プログラムです。この場合の放射線は電子やガンマ線とも呼ばれる高いエネルギーの光子で、それが生み出す電子(Electron)や光子(Gamma線)のシャワー(Shower)をとらえるので英語の頭文字をとってEGSと呼ばれているわけです。モンテカルロといわれるのは後で説明しますが計算手法を示しています。
光子・電子と物質との反応
放射線が物質中を進んでいく現象をシミュレーションするためには、放射線と物質との間でどんな反応がどのくらいの頻度で起こるのか、それについてのデータを用意しておき、計算機の中で仮想的に放射線を走らせたり、そのデータを使って物質と衝突させたりします。どのくらい走ったら衝突するかは乱数を使ってきめます。乱数というのは、無作為に選び出した一連のでたらめな数と考えてください。確率現象が支配する例としては賭け事を思い出す人もいるでしょう。モンテカルロはモナコのカジノがある地名として知られていますが、このように乱数を使って計算する方法を「モンテカルロ計算」といいます。
EGSであつかう放射線は「光子」、「電子」と「陽電子」です。光子はレントゲン撮影で使うエックス線や、さらにエネルギーの高い光であるガンマ線の総称です。これらの放射線と物質の反応を図1に示します。反応が起きるとほとんどの場合、放射線の方向が変わってエネルギーが減り、その分のエネルギーが物質に吸収されます。放射線測定器による放射線の測定やガンの治療ではこのエネルギーの吸収を利用します。人間の診断や治療、放射線の工業利用、科学の実験などで放射線を使う場合、放射線のエネルギー、測定器など選び方には多くの組み合わせがあり、試行錯誤だけではなかなか最適な物に到達できません。シミュレーションプログラムを使うと、条件を順番に変えていったりして比較的短時間で最適な条件をみつける事ができます。
EGSプログラムと改良の研究
EGSは、高エネルギー領域で使用する事を目的に長年開発されてきた計算プログラムです。SLACとスタンフォード大学が共同で開発したバージョン3のEGS3が公開されて以降、広い分野で使用される汎用の計算プログラムとなりました。高エネルギー分野では、電子・陽電子衝突型加速器のカロリメーター等検出器設計で広く使用される中でEGS3は最も標準的な計算プログラムとなりましたが、同時に医学物理分野などの低エネルギー分野での利用が急速に広まり、より低エネルギー領域への拡張が望まれるようになりました。この傾向は、SLAC、KEKとNRCCの共同でバージョン4のEGS4が
1986年に公開された後一層拡大し、EGS4は医学物理分野で最も多く使用されるモンテカルロ計算プログラムとなっていきました。世界中で6000人を越えるユーザーの6割以上が医学物理分野の研究者です。EGS4が公表された以降も主として低エネルギーでの扱いに関する研究が継続されています。低エネルギー電子の扱いの改良は、主としてミシガン大学とNRCCで、低エネルギー光子の扱いの改良はKEKで取り組んできています。改良前後の計算結果と実験の比較を図4に示します。
KEKは国内の普及拠点
EGSの様な汎用の計算プログラムの使い方を理解する事は、近くにそのプログラムの事を良く知った人がいないと一般的には難しい事です。
KEKでは単にEGSの開発に力を注ぐだけではなく、1991年から毎年「EGS4研究会」を主催し、EGS4を使用した研究成果を交流すると共に、その機会を利用してEGS4の講習会を開催し日本国内でのEGSの普及拠点としても活動しています。講習会には、若い人を中心に毎年50人以上の人が参加しています。ほとんどの学会や研究会が専門分野別に行われているのと対照的に「EGS4」研究会は、EGS4という手段をキーワードとした専門分野を問わない研究会という特徴をもっています。そのため、ほとんど話を聞く機会のない他の研究分野の研究の状況を聞く事ができます。意外な分野で自分が行っているのと似た研究が行われている事を知り、他分野での研究から自分の研究のヒントを得る事もあり、特に若い研究者には貴重な場となっています。研究会で発表された内容は、世界中のEGS4ユーザーにとっても有益な情報を多く含んでいることから、研究会の報告集には海外からも多くの送付依頼が寄せられています。このほか、プログラム、マニュアルの配布、使用上の質問に関する回答など、KEKはEGSの国内での普及の拠点として活動しています。
飛跡表示ソフトの利用
EGS4の普及に役立っているものの一つに、光子や電子の物質中での軌跡を、計算体系の形状とともにWindows 計算機の画面に表示する飛跡表示ソフト「EGS4PICT」があります。図2は、 300 keVのエックス線が
空気、人体軟組織、アルミニウム及び鉄に各々10個入射した時のそれぞれの物質中での様子をEGS4を用いて計算しEGS4PICTで表示したものです。放射線と物質の相互作用はなかなか実感がわきにくいものです。しかし、図2のように、計算機の画面上にグラフィックで表示すると、同じエックス線が、物質によって全く異なるふるまいをしていることまで 良くわかります。東京都立保健科学大学、名古屋大学、熊本大学などいくつかの大学ではこの特徴を活かしてEGS4PICTを放射線物理の教材として利用しています。EGS4PICTを利用した放射線教育の例とEGS4PICTは、http://rcwww.kek.jp/research/shield/education.htmlからダウンロードできるようになっています。
EGS5に向けて
KEKでの改良を含め、EGS4公開後なされた改良を集大成し新たなバージョンEGS5として公開するための作業がSLAC、ミシガン大学とKEKの共同で行われています。このプロジェクトには、EGS5を完成させることと、ユーザーに使いやすい環境を提供するグラフィカル・ユーザー・インターフェイスの作成という2つのテーマが設定されています。KEKでは、EGS5に向けてこれまでに改良してきた低エネルギー光子に関連した部分を整備する作業に取り組んでいます。放射線のふるまいを計算機でとらえる試みは、この夏も世界中の研究者の手でさらに発展を続けていきます。
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[図1]光子・電子・陽電子と物質との反応 |
光子、電子、陽電子がそれぞれ黒破線、青実線、赤実線で示されている。 |
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[図2] |
厚さ10cmの空気、人体軟組織、アルミニウム、鉄中での300keV X線のふるまい。 |
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[図3] |
EGS4PICTを利用した授業の風景(第8回EGS4研究会プロシーディングスから) |
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[図4] |
低エネルギー光子の取扱いの改良前後の計算結果と実験との比較 |
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