一技術者として研究開発に励んできた田中耕一さんのノーベル賞受賞は、科学技術の発展に果たす技術者の役割を大変印象付けるニュースでした。KEKの研究開発も、多くの優秀な技術者の研究開発に支えられています。今日は、加速器技術の研究活動で国際的に活躍し、この6月、志半ばで急逝された元KEK技術部次長の阿部勇さんの業績を称え、加速器技術の国際会議が、彼の志を継ぐ若手研究者や技術者に授与する阿部賞を設置したお話を紹介します。
阿部勇さんの業績
阿部勇さんは、KEKに集う多くの技術者を技術部次長として指導しながら、彼の本領である加速器制御の分野において数多くの業績を上げました。加速器制御と一言で言っても数々のものがありますが、彼の研究は特にPC(パーソナルコンピュータ)を使用した制御に集約されていました。今では一般の人達にも多くのPCが使用されているものの、彼が研究を始めた当初では、未だPCの将来像が定かでは無かった時期でもありました。その中で、PCの有用性、将来の展望を見越し、大型加速器の制御への導入に大きな夢を描きつつ幾つかの制御システムを新たに作り出し、貢献を果たしました。当時この様に加速器制御の分野にPCを導入する同じ様な研究が、ドイツの研究所でも開始されていたこともあり、彼の発議のもとに平成8年、最初の「粒子加速器の制御とPC」(PCaPAC)国際会議がドイツで開催されました。
それ以後隔年を定例として、第2回は、阿部さんを議長として、この国際会議はつくばで開催されました。平成10年、これまでの研究を集大成した新たなPC制御システムの開発が、阿部さんの指導で始まり、現在COACK(コンポーネント技術に基づく汎用制御カーネル)として世界に認められています。この様なわが国に留まらない彼の研究姿勢は、広く世界に受け入れられました。こうして、阿部さんは、国際的な共同研究として、ある時は直接会って激論を戦わせ、また、ある時はお互いの時差もものともせず、インターネットを介して議論を深め、PCによる加速器制御の姿を追い求めていました。
平成14年6月2日、阿部勇さんは、毎週日曜日に健康維持の為に通っているジムでいつもの様に汗を流した後、一杯の水に喉を潤しその清涼感に一息の安堵を感じた瞬間、不帰の旅たちをしてしまいました。訃報は忽ちのうちに世界を駆け巡り、ドイツ、イタリア、スイス、インド、中国から幾度となくその真偽の問い合わせがありました。国内の同僚研究者や技術者共々、それが本当の事実であることを認めざるを得ないことに深い悲しみを抱くことになったのです。
阿部賞の設置と授与が決まる
それから4ヶ月後、初秋の美しいローマを望む小高い丘にあるフラスカッティの町中で、第4回PCaPAC国際会議が100人を超える参加者を集め開催されました。それに先立ち同国際会議のプログラム委員会で、阿部賞の設置が発議され全員の賛同が得られました。会期第4日目の10月17日、朝一番のセッションは、阿部さんの追悼式と阿部賞の授与式のために設けられました。この式には日本からご家族の3人が招待され、日本からの参加者10人と共に追悼を受けました。阿部さんとともに、この国際会議を主導して来たドイツ、イタリアおよびスロヴェニアの人々が、阿部さんの生前の写真を前に、彼の業績或いは彼の人となりを懐かしく語り、彼の死を悼みこれからも長く彼の業績を残すことを宣言しました。
続けて行われた初の阿部賞受賞式では、今回の発表の中から特に優れていると評価された、スロヴェニア(Jozef Stefan Institute and Cosylab Ltd.)のVitas Dragan氏とわが国(SPring-8)の中谷氏が選抜され、阿部さんのお姉さんが賞を手渡し両氏の業績を称えました。
この国際会議には、阿部さんが開催を呼びかけた初回とは違って、阿部氏さんと面識の無い新しい世代の若手研究者や技術者も多く参加していました。しかしそれらの人々も、追悼の演説の中に散りばめられた彼の業績の一つひとつの意味を理解することにより、賞の大きさや今後のPCによる加速器制御の行き先を見据えていくことが出来るであろうと、改めて痛感したとKEKから参加した研究者は語っています。
最後に、この国際会議の秘書を務めたチャーミングな女性が送ってくれたメールからの引用を紹介しましょう。「人と人とが言葉の枠を越えて、目や振る舞いでコミュニケート出来ることを知りました。なんと素敵なことなのでしょう」。阿部さんは、KEKの広報室が出来て以来、KEKの技術のニュースを社会に伝える仕事にも大変熱心でした。「コンピュータの味気ないコミュニケートの世界に、人と人との和を作り出すコミュニケートを実践して来たのが阿部さんだったと思います」。阿部さんと親しく研究活動を共にした技術者は阿部さんを偲んでこう語っています。この国際会議の発展と阿部賞が果たす役割がさらに大きくなることを願いたいと思います。
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