今日は、KEKで開発された装置と大阪大学の陽子加速器を使って成功した超冷中性子の大量生産について紹介しましょう。この成果は12月31日にアメリカ物理学会のフィジカルレヴューレター誌に発表されました。超冷中性子は極低温の世界で現れますが、研究者にとって、この発表は大変ホットな話題です。
超冷中性子とは
超冷中性子とはエネルギーが非常に低い、つまり、すごくゆっくりと動く中性子のことです。粒子がもつ運動エネルギーは、温度であらわすこともできますので、英語ではウルトラ・コールド・ニュートロンとよばれています。中性子のエネルギーを速度で示すと、通常の温度(25℃)では秒速2.2kmとジャンボジェット機の10倍程の速さですが、極低温の超冷状態では秒速7m以下となり、自転車なみの低速になってしまいます。こんなに低速にしか動けない中性子の運動は重力の影響を無視できなくなります。一般に中性子は電気を持たないといわれますが、それは全体の電気分布をならした場合で、実際には電気(電荷)分布は一様ではなく、それにより電流を生じ、微小な磁気を帯びています。
また原子核を構成する中性子には強い相互作用、弱い相互作用が働くことをご存知の方もいらっしゃるでしょう。超冷中性子は自然界に発見されている4つの力、重力・電磁気力・強い相互作用・弱い相互作用の全てが重要な働きをする珍しい素粒子状態になっています。超冷中性子は物質根底に潜むなぞを追求するのに大変魅力的な存在なのです。
こんな中性子を詳しく調べるには実験容器に閉じ込める必要があります。ここで問題があります。容器に閉じ込めようとしても、中性子は電気を持っていませんし、その大きさも容器を構成する原子の10万分の1と非常に小さく、ほとんどが原子の間を素通りし外に出てしまいます。勿論、原子核のそばを通過した場合は原子核中に吸収されてしまうこともあります。いずれにしても通常の中性子を容器に閉じ込めることは容易ではありません。
閉じ込めを可能にしてくれるのは量子の世界で現れる粒子の波の性質です。特に超冷中性子のようにエネルギーが非常に低い場合、それに伴う波長は原子の間隔よりはるかに長く、容器壁面で反射され、超冷中性子は容器内に閉じ込められてしまいます。前にお話したように中性子は微小な磁気を帯びているので、磁場の中に閉じ込めることもできます。このような超冷中性子の振る舞いを図1にまとめておきました。
超低温閉じ込めの方法
超冷状態の中性子研究を進める上で最も重要な問題は容器内に閉じ込められる中性子の数です。これまでに試みられた超冷中性子生産を歴史的に見ると分かるように、現在まで、世界最強の超冷中性子源はフランスのラウエ・ランジュバン研究所でした。(図2)今回KEKの増田康博助教授をリーダーとし、大阪大学、東北大学、北海道大学、東北学院大学の共同研究グループが開発した超冷中性子源はこの千倍の能力を持っています。
今回の新世代超冷中性子源では、超低温での超冷中性子の閉じ込めがどのように進められたか図3を見ながら説明しましょう。超冷中性子の種となる中性子は、大阪大学核物理研究センターのサイクロトロン加速器による陽子ビームを重金属に照射して発生させました。陽子の衝突で原子核内に閉じ込められていた中性子(紫色)がエネルギーを得て飛び出した様子が描かれています。この状態では中性子は百億度という高温状態ですが、そばに置かれた重水中の重水素原子核(緑色)に段階的に衝突させてどんどんエネルギーを下げて行きます。その結果、中性子は冷中性子温度(20K)にまで下がります。この状態で重水中に超流動ヘリウムを置き、ヘリウム中に現れる量子やフォノンと衝突をさせて、次々と、超冷中性子状態にまでエネルギーを下げていった様子が描かれています。こうして得られた超冷中性子を実験容器に取り出して計測した結果が成果として発表されました。
今回の実験は陽子ビームの出力78W、超流動ヘリウム温度1.2Kで行われ、容積20リットルの筒状のステンレス容器で2万個以上の超冷中性子が計測されました。(写真1, 2)KEKで新しく開発された新世代超冷中性子源は陽子ビーム30KW、超流動ヘリウム温度0.8Kで運転可能ということですから、これらの改良によりこれまで世界一のラウエ・ランジュバン研究所の千倍以上の大量生産が可能になると考えられています。
科学の地平を広げる超冷中性子
新世代超冷中性子源は素粒子、原子核から物質科学にまたがる様々な分野での利用が期待されています。宇宙の始まりと言われるビッグバン後、宇宙は巨大なエネルギーのもとで、物質と反物質が生成と消滅を繰り返していました。その後、何らかの力によって、物質と反物質の均衡が破られ、物質のみが宇宙に残り、中性子、陽子そして電子が作られ、それらを元に元素の合成が、まず宇宙で、そして星の中で行われてきたと考えられています。物質と反物質の均衡を破った力は中性子の中に電荷の偏り(電気双極子能率)を生じさせると考えられます。中性子の電気双極子能率がどの程度の大きさであるかは、ビッグバン時の物質創成の解明にとても重要な問題なのです。
さらに、ビッグバン後の中性子や陽子による元素合成では、陽子等の原子核による中性子吸収、そして中性子寿命が大きく影響しています。また、中性子寿命は、現在、太陽など星の内部で起こっている核融合過程にも関与しています。中性子の電気双極子能率や寿命の測定で超冷中性子は決定的な役割を演じ、原子核の中性子吸収率の新しい測定を可能にすると期待されます。それ以外にも、超冷中性子は、素粒子の標準理論を確かめる上で重要な中性子崩壊の精密実験を可能にし、素粒子に働く重力の精密実験を可能にします。そして、超冷中性子の物質表面での反射は、表面物理の新しい研究領域を広げるに違いありません。今回の新世代超冷中性子源の開発成功は21世紀の新たな科学の地平線を広げようとしています。
※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ
→プレスリリースのwebページ
http://www.kek.jp/ja/news/press/2003/neutron.html
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[図1] |
超冷中性子の振る舞いの概念図 |
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[図2] |
KEKでは核破砕中性子源と超流動ヘリウムを用いる新しい方法で研究が行われている。 |
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[図3] |
核破砕反応で中性子を核内から取り出し、物質内の重水素との衝突により、熱エネルギーまで、冷却。通常の物質では、冷中性子温度 (20K) 以下の冷却は不可能。冷中性子を超流動ヘリウム中の量子、フォノンに衝突させ、超冷中性子領域まで冷却する。超冷中性子を損失なしで、実験容器に取り出す。 |
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[写真1] |
大阪大学核物理研究センターの陽子ビームラインと今回開発された新世代超冷中性子源 |
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[写真2] |
超冷中性子を発生させるためのステンレス製10リットル超流動ヘリウム容器。上部に超冷中性子導管を通して実験容器部につながっており、それらを含めて全体の容積は20リットルになる。 |
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