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   image 切らずにがんを治す(1)    2003.7.17
 
〜 陽子線治療の登場 〜
 
がんを切らずに治す、ということが出来るならどんなに素晴らしいことでしょう。KEKでは、筑波大学と共同で、120億電子ボルト陽子加速器(12GeV PS)のブースター加速器を利用して1983年から2000年まで、陽子線を用いたがん治療に関する臨床研究を行ってきました。そして、特に胸腹部の深部臓器がんについて世界に先駆けて陽子線治療の有用性を示し、実用化への道を拓くのに大きな役割を果しました。陽子線治療の歴史と、KEKが果たした役割について、2回に分けてお伝えしましょう。

放射線によるがんの治療

現在がんの放射線治療に主に使われているのは、線形加速器によるX線や、コバルトの同位元素から生じるガンマ線です。X線とガンマ線は波長の短い電磁波で、両者をまとめて光子と呼ぶこともあります。しかし、陽子はこれらの放射線とは異なった荷電粒子で、がん治療に極めて適していることを、ロバート・ウィルソン博士が、1946年に指摘しました。彼は後にフェルミ国立加速器研究所の初代所長となって米国最大の陽子加速器の建設を指導しました。

図1はX線や陽子線などの放射線が細胞を破壊するときの様子です。X線や陽子線が生体を構成する細胞に入射すると、途中にある水分子などを電離しながら、エネルギーを失っていきます。細胞の核の中にある染色体に放射線があたると、遺伝子が損傷し、細胞は分裂することができなくなって、死んでしまいます。放射線を使ったがん治療では、正常な細胞にはできるだけ損傷を与えず、がん細胞だけに損傷を与えることが重要です。

患部への照射に有利な陽子線

水などの物質中に陽子が入射してから止まるまでの飛行距離を飛程(ひてい)と言い、これは陽子の運動エネルギーが大きいほど長くなります。図2には陽子やX線などが人体を透過する際にどの深さでどのようにエネルギーを失うかを示しています。陽子線は水中を通過するとき、ある所までは少量のエネルギーしか失わないのですが、止まる直前に残りのエネルギーを集中的に失って停止します。これをブラッグピークと呼びます。エネルギーを選んで飛程をがんの位置に合わせることで、途中の正常組織への影響を少なくしながらがん細胞を効率よく損傷することが出来ます。これに比べX線やガンマ線には飛程というものが存在しません。入射点の体表面近くで電離作用が最も盛んで、従って最も多くのエネルギーを失い、奥へ進むにつれて徐々に減衰しますが、がん組織を越えて奥深くまで放射線の影響が浸透します。そこで実際の治療では1方向だけではなく、色々な方向からがんを照射する方法がとられています。これに対し、最近建設される陽子線治療施設ではどのような方向からでも照射できる機能を備えていますので、ブラッグピークと飛程を持つ陽子線ががんに線量を集中出来る利点は明らかです。

陽子線治療の歴史

陽子線の利点が50年以上も前に指摘されたのに、何故早期に実際の治療に使われなかったのでしょうか?その理由の一つは、必要なエネルギーの陽子を、必要な数だけ要求に応じて作り出す加速器が存在しなかったからです。人体の70%以上は水で、筋肉などでは水中と同じように陽子線が透過します。水中で飛程が25cmとなるには、陽子のエネルギーを2億電子ボルト(200MeV)まで加速しなければなりません。またがん細胞に増殖能力を失わせるには、それなりの数の陽子が必要です。そして治療は1回の照射で済むのではなく、1日1回、数週間にわたり続けなければなりません。他の理由はコンピューターを使ったX線CT(コンピュータ断層撮影法)が発明されるまでは、体の奥のがんの位置と形とを正確に診断出来なかったことです。放射線を集中出来る特性を持つ陽子線にはこのことは決定的です。

加速器から生まれた陽子線治療

最初の陽子線治療は1955年米国カルフォルニア大学ローレンスバークレー研究所で行われました。サイクロトロンを発明したエルンスト・ローレンス博士の弟ジョン・ローレンス博士が医者であったので、バークレー研究所で早くから研究が行われたと言われていますが、短期間でより生体に対する作用の強い重イオンによる治療研究に移行しています。その後、スエーデンのウプサラ大学で、陽子線とX線とは実体は違うのに同じ放射線量なら生物学的効果がほぼ等しいと言う基本的な性質が明らかにされました。

米国のハーバード大学では、中間子を発生させる目的で160MeVサイクロトロンを建設しましたが、早々に医・生物学研究用に転用して、陽子線治療を研究しました。そして日本人には稀ですが、欧米人には多い眼のメラノーマの治療に大きな成果をあげました。それまでは外科手術で眼球を摘出していたのを、視力を失わずに治療出来るようになったのです。眼のがんは浅く、80MeVの陽子で治療出来るので、欧米では広く行われています。これまでの患者数の過半は目の治療です。ハーバード大学では、手術の難しい頭蓋内の治療も研究されていました。旧ソ連でもモスクワとその近くのドゥブナで陽子線治療が行われていました。

KEKで研究開始

1977年にKEKの陽子加速器が完成し、大学の共同利用実験が始まったことは先週お伝えしました。この陽子加速器には、主リングの手前に陽子を5億電子ボルト(500MeV)まで加速することのできる、ブースター加速器(図3、4)があり、この陽子を使って中性子や中間子を発生させるブースター利用施設(現在の中性子・中間子科学研究施設)があります。この施設の利用が検討されていた1970年代後半には、パイ中間子によるがん治療が注目されていました。米国、カナダ、スイスにそれぞれ一ヶ所ずつある中間子工場と呼ばれる強力な加速器施設では、いずれも中間子治療研究を進めていました。KEKでも、勿論パイ中間子を発生することはできましたが、治療に必要な数には達せず、どのような医学利用を目指すかを模索していました。この時ハーバード大学とマサチューセッツ総合病院を兼務していて、眼のがんの陽子線治療を定着させたヘルマン・スーツ博士から、つくばでは陽子線をやりなさいとの助言を受けたのでした。そこでKEKの500MeVブースターから得られる陽子を用いたがん治療の臨床研究を行うために1980年に筑波大学粒子線医科学センター(後の陽子線医学利用研究センター)が発足し、施設建設が始まったのです。


※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ

→キッズサイエンティスト「陽子線医学応用」のページ
http://kids.kek.jp/class/human/class07-01.html
→筑波大学 陽子線医学利用研究センターのwebページ
http://www.pmrc.tsukuba.ac.jp/

 
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[図1]
X線や陽子線などの放射線が細胞を破壊するときの様子。
拡大図(35KB)
 
 
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[図2]
X線、ガンマ線、電子線と、陽子線との体内線量分布の比較。陽子線を治療に用いる時は、がんの大きさに合わせてエネルギーを調整した「拡大ピーク陽子線」を用いる。詳しくは次回に説明。
拡大図(30KB)
 
 
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[図3]
KEK敷地内における関連施設の位置関係
拡大図(55KB)
 
 
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[図4]
ブースター加速器。12GeV陽子加速器を構成する加速器の1つで、陽子を500MeVまで加速します。このとき陽子の速度は、光速の75%に達します。
拡大図(61KB)
 
 
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