日本のグループも参加して国際共同研究として進められている米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)のRHIC重イオン衝突型加速器で、金と金の原子核同士の衝突実験から興味深い実験結果が得られました。今年1月から3月にかけて行われた、重陽子と金の衝突実験の結果との比較から、クォーク・グルーオン・プラズマの徴候が観測されたのではないかとの見方が広まっています。
物質の成り立ちと原始宇宙
物質を細かく分けていくと、もうそれ以上分けられない素の粒子に行き着くという考え方は、古くからありました。古代ギリシャの自然哲学者デモクリトスは、それ以上分割できない基本粒子を「アトム」と名づけました。
さて、現在、アトムは原子の意味に用いられます。確かに、原子は物質を構成する基本的な要素ですが、中心に原子の質量の99パーセント以上を占める原子核があり、その周りを電子が取り巻く構造をしています。原子核自身は、陽子と中性子から構成されており、中間子を交換する強い力により固く結びついています。このアイデアは1934年に湯川秀樹博士により提唱されました。
原子核を構成する陽子や中性子もまた「アトム」ではありません。それらは、クォーク三個がグルーオン(糊(のり)粒子)を交換する力により結びついています(図1(左))。この力は量子色力学(QCD)という理論により記述されます。クォークや電子は基本粒子と考えられています。
QCDには、まだ解決していない基本的なパズルがあります。そのひとつが「閉じ込め」という問題です。クォークやグルーオンが陽子や中性子の中に閉じ込められており、どのようにしても単独の形で取り出すことが出来ません。原子に束縛されている電子であれば、光を当てるなどして取り出すことが出来ることとくらべると、大きく違う点です。これと関連して、なぜ、陽子や中性子はクォークが三個集まった状態が安定であると考えられていますが、その理由はわかっていません。
「閉じ込め」の問題に関して、理論家が面白い予言をしました。それは、物を熱して高温状態にすると、「閉じ込め」が破れ、クォークやグルーオンが自由に飛び交う状態、新しい物質の形態、に相転移するというものです。この新しい形態を、クォーク・グルーオン・プラズマ(QGP)と呼びます(図1(右))
QGPは、ビッグバンの直後、高温の火の玉状であった原始宇宙の形態であったと考えられています。宇宙の誕生から数マイクロ秒(数100万分の1秒)の後、温度が1.5〜2兆度まで下がったところで、クォークやグルーオンは陽子や中性子などの内部に閉じ込められ、現在の物質の形態に移行したと考えられています。
高いエネルギーでの原子核同士の衝突
このような宇宙初期の状態を実験室において再現し、その性質を調べようという試みが始まっています。その手段として、重イオン加速器を用います。高いエネルギーで原子核同士を衝突させることにより、超高温の火の玉状態を作り出すことができます(図2)。
2000年の夏、米国ブルックヘブン国立研究所のRHIC重イオン衝突型加速器で、金・金衝突実験が始まりました。RHIC加速器は世界初の原子核同士の衝突型加速器で、核子当たり100ギガ電子ボルトの金同士の衝突が可能です。周長は約3.8キロもあり、磁石には超伝導技術を用いています(図3)。この衝突エネルギーは、それまでの原子核衝突に比べて約10倍高いものです。
日本のグループは、日米科学技術協力事業(高エネルギー物理学)のプロジェクトとして、RHIC加速器でのPHENIX実験に参加しています。PHENIX実験は、世界12ヶ国から400名ほどの研究者、技術者、学生が参加する大きな国際共同研究です。衝突で作られる火の玉は文字通り一瞬のものですが、そこから放出される色々な粒子や光などを測定することで、火の玉の性質を研究できます。PHENIX実験装置が捕らえた金・金の正面衝突の様子です(図4)。
RHICでの原子核衝突実験の成果
〜 ジェットのエネルギー損失 〜
RHICでは、2000年の実験開始以来これまでに計3回のランがおこなわれました。ランというのは、ある条件の実験データを続けて取得することを言います。最初の2回のランで得られた金・金衝突と陽子・陽子衝突の結果から面白いことが分かってきました。
図6(上)を見てください。高いエネルギーでの陽子同士の衝突では、陽子中のクォークが互いに反対方向に叩き出される反応が起きます。叩き出されたクォークは、安定には存在できないので、それぞれ複数個の粒子(主に中間子)に転化します。その様をジェットと呼んでいます。高い運動量を持つ粒子の多くが、このジェット過程により生成されます。高い運動量を持つ粒子は、元のクォークが叩き出された方向の周りに分布しますので、二つの粒子の方位角の相関を取ると、対のジェットから予想される、同方向及び反対方向の強い相関が見られます。つまり、二つのジェットが方位角で見てちょうど正反対の方向に叩き出されたことを意味しています。
金・金の正面衝突において、不思議な現象が見出されました。PHENIX実験は、高い運動量を持つ粒子の収量が予想を大幅に下回っていることを示しました(図5)。また、RHICのもう一つの大型実験であるSTAR実験は陽子同士の衝突ではくっきりと見えていた反対方向の相関が消えることを見出しました。
このような現象は、どのような原因で起こるのでしょうか。叩き出されたクォークに話を戻します。原子核同士の衝突の場合には、図6(下)のように、それらのクォークは、衝突直後の高温の火の玉中を通過しなければなりません。理論は、その際にクォークはQCD相互作用による大きなエネルギー損失をこうむると予想し、この現象にジェットクエンチングと命名しました。クェンチというのは「抑制する」「冷却する」という意味で、「ジェットが観測できなくなる」という状態を意味しています。
今年1月から3月に重陽子(陽子の同位体)と金の衝突実験が行なわれました。重陽子は、金原子核に比べて小さいため、金原子核同士の衝突で予想されるような大きな高温の火の玉は作らないと予想されます。重陽子と金の衝突においては、金同士の衝突で見られた二つの不思議な現象は見られませんでした。即ち、高い運動量を持つ二粒子の反対方向への相関がちゃんと見え、また、それらの粒子の収量の異常な減少もありませんでした。このことから、金同士の衝突で出来ると予想されていた高温の火の玉ですが、本当に作られていることが確認されました。金同士の衝突で作られる高温の火の玉状態は、普通の物質ではなくて、新しい物質の形態、おそらくそれはクォーク・グルーオン・プラズマであろう、と推定されます。
これからの研究の方向
今回の発見により、宇宙初期に存在したとされる新しい物質の形態の実証を目指す研究に大いに弾みがつきました。しかしながら、その確認のためには、まだ幾つか、実験事実を積み上げていく地道な作業が必要とされます。
また、クォーク・グルーオン・プラズマの生成が確立したとしても、その後、さらにその性質を理解しなければなりません。今後の研究により、宇宙初期の物質の形態、物質の起源についてのより深い理解が期待されます。
※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ
→RHIC加速器Webページ
http://www.bnl.gov/rhic/
→PHENIX実験のwebページ
http://www.phenix.bnl.gov/
→PHENIX日本グループのwebページ
http://phenix.cns.s.u-tokyo.ac.jp/phenix-j/
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03/06/16 プレスリリース
「重陽子-金原子核衝突からのエキサイティングな研究成果」へ
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[図1] |
(左)陽子や中性子は、クォーク3個から構成され、グルーオンを交換して結びついています。(右)高い温度では「閉じ込め」が破れ、解放されたクォークやグルーオンが自由に飛び交う状態(クォーク・グルーオン・プラズマ)の存在が予想されています。 |
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[図2] |
高エネルギーでの、金原子核同士の正面衝突の様子。衝突の初期の二つのパンケーキ状のものは、相対論的効果によりローレンツ収縮した原子核で、緑色の粒々は陽子と中性子を表わします。衝突が始まって、中心部の沢山の赤い点は、衝突により生成されたクォークやグルーオンです。衝突が進むにつれて中心付近から次第に赤い点が緑に、即ち、クォークやグルーオンが「ハドロン化」過程を経て、陽子や中間子等の普通の粒子に変っていきます。 |
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[図3] |
米国ブルックヘブン国立研究所の、RHIC重イオン衝突型加速器とその入射器群。 |
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[図4] |
RHIC-PHENIX実験がとらえた金原子核の正面衝突。PHENIX実験の飛跡検出装置がとらえた荷電粒子の飛跡を点で示します。また、衝突中心から伸びる沢山の線は、解析により粒子飛跡を再構成したものです。 |
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[図5] |
PHENIX実験が測定した高い運動量を持つ中性π中間子の収量をエネルギー損失の無い場合の予想値と比較したもの。金同士の正面衝突において、予想値を大きく下回っており、他方重陽子と金の衝突結果はエネルギー損失のない場合の予想値とほぼ一致している事が分かります。 |
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[図6] |
(上)高エネルギーでの陽子同士の衝突において、一対のクォークが反対方向に叩き出される反応の様子。叩き出されたクォークは、複数個の粒子(主にπ中間子)のジェットとなります。(下)原子核同士の衝突の場合には、叩き出されたクォークは衝突直後の高温の火の玉を通過し、その際大きなエネルギー損失を受けると考えられています。 |
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