|
>ホーム >ニュース >News@KEK >この記事 | last update:05/12/8 |
||
ナノサイズのあなを見る 2005.12.08 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
〜 陽電子と小さな原子ポジトロニウム 〜 |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
先週、先々週のニュースでも取りあげたKEKB加速器では、電子と陽電子を衝突させて物質の究極の姿を探る研究をしていることはもうご存知ですね。陽電子は電子の反粒子で、電子がマイナスの電荷を持つのに対して、陽電子はプラスの電荷を持っています。この陽電子、KEKでは、放射光や中性子、ミュオンなどのように、物質の性質を見るプローブとしても使われているのです。今日は、陽電子で物質の「あな」を見るお話、そしてKEKにある「低速陽電子実験施設」のお話をしましょう。 姿を消す時に光を出す陽電子 がんの検査として最近よく使われるようになった「PET(ペット)」という名前の検査法を聞いたことがありますか? PETとはPositron Emission Tomographyの省略で、最初のPはポジトロン、つまり陽電子のことです。これは、陽電子を放出する放射性同位体を含んだ薬剤を注射し、その薬剤が身体のどこにあるかを見る検査法です。通常がんの検査では、細胞の栄養物質であるブドウ糖の一部が放射性同位体になっている薬剤を使います。がん細胞は細胞分裂が盛んなので、栄養物質をどんどん取り込むため、この薬剤がどこに集まるかわかれば、がんの場所やかたちがわかるからです。 この方法のポイントは、陽電子の性質を上手に利用しているところにあります。がん細胞に取り込まれた薬剤はしばらくの間陽電子を放出し続けます。反物質である陽電子は、電子と出会うと消滅し、このときに180度、つまり一直線上で互いに反対の方向に、2つのガンマ線と呼ばれる光を出す性質があります(図1)。したがって、検査を受ける人の周りを取り囲むようにガンマ線の検出器を並べ、2ヶ所で同時にガンマ線を検出した時には、その2点の直線上に薬剤があることがわかります。ガンマ線は物質中を透過しやすいので、身体の奥深いところに薬剤があっても検出することができます。 このように「姿を消す時に光を出す」陽電子の性質を使えば、光を測ることによって陽電子が姿を消した時の情報が簡単に得られるというわけです。 「あな」を進む小さな原子ポジトロニウム 掃除機が詰まった時には、どうしますか。ホースを外して眺めてみる。いい方法です。詰まっているものがないように見えれば、詰まっていないかもしれません。でも、詰まっているものが透明なガラスのようなものだったら、詰まっていないように見えますね。どうしましょう。 ハタキをホースの片側から入れて詰まっていないかどうか調べる。もっといい方法ですね。反対側からハタキが出てきたら、詰まっていないことになります。掃除機のホースなら何を通してもよさそうですが、もっとずっと小さい、ナノサイズの「あな」を見るのにはどうすれば良いでしょうか。これにも陽電子が活躍します。 ここに「あな」の様子を調べたい物質があります。この物質に陽電子をぶつけると、陽電子は物質中の電子と出会って消滅するのですが、ある確率で電子と束縛状態をつくり、ポジトロニウムとなります(図2)。ポジトロニウムは、自然界にあるもっとも軽い原子である水素原子の陽子が陽電子に置き換わったものであり、水素原子よりもっと軽くて小さな原子ということができます。 ポジトロニウムは物質の中の隙間の方が居心地が良いので、隙間を見つけてその中を走る性質があります(図3)。小さな原子なので、ナノサイズの隙間でも走ることができます。ポジトロニウム(正確にはオルソ-ポジトロニウム)は真空中では約140ナノ秒、つまり0.00000014秒という寿命を持っています。人の時間で見ると短いですが、ナノサイズの世界では十分長い寿命で、この間にポジトロニウムはかなりの距離を走ることができるのです。 あなを走ったポジトロニウムは、最後にはやはり光を出して消滅するので、光を測ることによってポジトロニウムの存在を知ることができます。最初に陽電子を物質にぶつけたときの時間と、ポジトロニウムが消滅したときの時間の差で、ポジトロニウムがどれだけの距離を走ったのかがわかります。この情報からあなのかたちや大きさを知ることができます。 ポジトロニウム飛行時間分光法 カリフォルニア大学リバーサイド校のアレン・ミルズ教授と田中宏幸(たなか・ひろゆき)博士、KEKの栗原俊一(くりはら・としかず)博士のグループは、この方法を用いて、低誘電率(low-k)薄膜のあなのかたちを詳しく測ることに成功しました。低誘電率薄膜は、LSIの高集積化にはなくてはならない材料であり、誘導率の低い薄膜をつくるには、あなのあいた、多孔質の材料を使うことが有望視されています。あなのかたちや大きさ、あながふさがっているか突き通っているかどうかなどの性質は、新しい材料を作るうえで重要な情報です。この成果は11月11日に、米国物理学会発行の学術雑誌であるPhysical Review B誌に発表され、11月28日号のVirtual Journal of Nanoscale Science & Technology(バーチャル・ジャーナル:複数の学術雑誌から特定の分野の論文を選んだ仮想論文集)に選ばれました。 図4は実験データの例です。縦軸はガンマ線の強さ、横軸は時間を表しています。最初の方、80ナノ秒付近にあるピークは、陽電子がポジトロニウムを作らずに試料中の電子と出会って消滅したガンマ線です。試料表面から飛び出したポジトロニウムがあなを走った後に出てくるガンマ線は遅れて右側に検出されます。陽電子のエネルギーが大きくなると陽電子は試料表面のより深い位置に到達するので、陽電子のエネルギーを変えることによって、試料の深さ方向の情報を得ることができます。 この実験法は、ポジトロニウム飛行時間分光法(Positronium Time-Of-Flight Spectroscopy)と呼ばれていて、ナノサイズのあなのあいた多孔質材料を調べるのに適した方法として注目されています。多孔質材料は、低誘電率薄膜の他にも、触媒の担体や分離膜などさまざまな用途があり、これらの新しい材料の開発に今後陽電子が活躍することになるでしょう。 KEKの低速陽電子実験施設 ミルズ教授のグループが実験を行なったのはKEKの「低速陽電子実験施設」です。この施設は、KEKB加速器にも陽電子を供給している電子陽電子入射器棟にあり、昨年度(2004年)からは共同利用に公開されています。発生した高エネルギーの陽電子を、タングステン減速材で減速し、低速陽電子ビームとしてビームラインに導いています。 ビームラインの終端には、ポジトロニウム飛行時間分光装置(Ps-TOF)が設置されています(図5、図6)。共同利用施設として、いつでも使える(常設されている)ポジトロニウム飛行時間分光装置があるのは、世界でもKEKだけです。ポジトロニウム飛行時間分光装置の他にも、陽電子にはさまざまな用途があり、例えば電子顕微鏡の電子を陽電子に置き換えた「陽電子顕微鏡」は、陽電子の透過力が電子に比べて高いため、より厚い試料を見ることができるので生体の観察に適していると考えられています。これらの研究についてはまた次の機会にご紹介しましょう。
|
|
|
copyright(c) 2004, HIGH ENERGY ACCELERATOR RESEARCH ORGANIZATION, KEK 〒305-0801 茨城県つくば市大穂1-1 |