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水分子が生みだす電子の波紋 2009.4.16 |
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〜 電子回折で開くピコ・ワールド観測への道 〜 |
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すべての物質は粒子でもあり、同時に波でもあります。このことが私たちの日常的な感覚とかけ離れているのは、私たちが生きている時間や空間のスケールでは、物質の粒子としての性質が圧倒的であるためです。原子や分子などのスケールでは、それらは粒子やその集合として存在すると同時に、波やその重ね合わせとしてふるまいます。 ナノワールドは不思議の国 私たちの日常では、物質は実体であり、波は現象です(図1)。しかし、量子力学が支配するナノスケールや、さらに小さなピコスケールの世界では、その常識は通用しません。それをまざまざと教えてくれる、ある興味深い実験をご紹介しましょう。ボールを打ち出すピッチングマシーンのように電子を打ち出すことのできるマシーンと、壁と、スクリーンを用意します。マシーンをスクリーンに向け、そのあいだを壁で遮ります。ただ、壁には電子が通るのに十分な穴を2つ開けておきます。(電子にとっては)巨大な空気の分子に邪魔されないように、念のため周囲はすべて真空にしておきます。電子をひとつぶ打ち出すと、奥のスクリーンにひとつぶの電子がぶつかった痕がつきます。もうひとつぶ打ち出すと、またひとつぶの痕がつきます。それを何度も何度も繰り返していくと、やがて奥のスクリーンには、波の干渉を示す縞模様が現れてきます。ひとつぶの電子が波としてふるまい、中央の壁の2つの穴によって回折をおこしていることを表す結果です(図2)。 上の説明では少々戯画化してありますが、この"二重スリット実験"は、光が波であることを証明するために行われた"ヤングの実験"を電子を対象にアレンジしたものです。1961年以降繰り返し行われており、1989年には日立製作所の外村彰さんらのグループによって当時最新の技術を用いて追試が行われ、ひとつぶの電子が波としてもふるまうことが実験的に証明されています(図3)。また1999年には、電子や光子のような極微の粒子の替わりにフラーレンという大きな分子を使った実験が行われ、同様の干渉縞が生じることが確認されています。 既に実用化されている電子の波 粒子であり波でもあるという電子の二重性は、直感的には理解しにくいですが、様々な分野で実用化されています。例えば、試料に電子線を照射し回折現象を観測して結晶構造を知る"電子線回折"という手法は、電磁波であるX線を用いたX線回折と同様、電子の波の性質を利用したものです。しかし回折で物質の構造を観測するには、原子や分子が規則的に配列した"結晶"が必要です。X線や電子線などの波を物質にあて、そこで起こる波の変化を見るためには、物質の内部で原子や分子により散乱された波がうまく強めあったり弱めあったりすることが必要なのです(図4)。 結晶よりももっと小さなスケールで起こる回折や干渉を観測し解析することができれば、電子で見ることのできる世界がさらに広がる筈です。はたして、このような回折実験を1つの分子の中で行うことは可能なのでしょうか? 水分子の中の電子の回折を観測 大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所(物構研)の柳下明(やぎした あきら)教授のグループは、トリエステ大学P. Decleva教授のグループと共同で、物構研・フォトンファクトリーのビームラインBL-2Cを用いて、なんと1個の水分子の中で起きる電子の回折を観察することに成功しました。 酸素原子に、2つの水素原子がおよそ105°の角をなしてぶら下がっているように見える水分子の図や模型を、どこかで目にしたことがあるでしょうか(図5)。実はこのおなじみの水分子の姿は、直接観測されたものではなく、量子力学的に基づく計算から求められた姿です。氷の構造から液体の水のふるまいまで、水がもつ様々な性質を大変よく説明づけることができるので、現在では水分子の"形"として広く受け入れられています。実際には、1分子の大きさはおよそ1億分の1cmほど。表面張力でぷるんと丸くなった小さな水滴の中には、なんと百億個のそのまた百億倍もの水分子がうごめいています。水分子は、ひとつぶを観測するには小さ過ぎ、また活動的すぎるのです。では、柳下さんらはいったいどのようにして、1個の分子の中の電子の回折を観測したのでしょうか? 分子の中から電子をとり出す 彼らは電子を外から照射するのではなく、水分子を構成する酸素原子の電子を利用することで、問題の解決を図りました。 柳下さんらは、水分子を構成する酸素原子のもっとも内側の軌道にある電子(内殻電子)に電子加速器から発生する強力なX線を照射し、エネルギーを与えて光電子として飛び出させ、観測を行いました。内殻電子が飛び出すと、その穴を埋めるように、外側の軌道にある電子の1つが内側の軌道に落ち込み、1つ以上の電子が飛び出します(オージェ崩壊)。水分子は、酸素原子と水素原子が外側の軌道にある電子を共有すること(共有結合)で結びついているので、オージェ崩壊が起きると共有結合が保てなくなり、バラバラに飛散します(図6クーロン爆発)。しかし、水素原子イオンと酸素原子イオンがバラバラに飛び散る前に酸素原子の内殻から飛び出した光電子は、2つの水素原子によって回折されます。 柳下さんらは、飛び散る3つの原子イオンの方向と飛び出した光電子の方向を同時に、分子のスケールでは無限遠と言える遠方で測定しました(図7)。そしてその解析により、酸素原子から発した光電子波が2つの水素原子によって回折される現象を可視化することに成功したのです(図8)。 生命科学を支える基礎研究 "電子線回折"は、現在では物質の表面・界面などの構造を知るための、重要な手法のひとつとなっています。「今回の水分子1個による回折現象の観測も、今後の開発により実用への大きな道が開かれる可能性がある」と柳下さんは語ります。例えば、測定に十分な大きさの結晶を得るために、物質によっては非常に大きな労力と長い時間が費やされてきたタンパク質の構造解析においては、結晶を作ることなくその分子の局所的な構造をピンポイントで解析する手法の開発につながるかもしれません。現在主流となっているX線による構造解析や中性子線による構造解析を行うためには、物質の内部で原子や分子による回折を受けた波同士が強めあうよう重ね合わさることが必要です。そのため、測定には十分な大きさの結晶が必要となるのです。より小さな結晶でも測定ができるよう、電子線の強度を強めたり測定精度を上げるための開発も、日常的に進められています。 直感的にはなかなか理解することの難しい量子力学の世界における研究・探求が、確かに私たちの生活や文化を支える生命科学の基礎となっているのだということを、垣間見せてくれる成果です。続報を楽しみに待ちたいと思います。 この成果は、3月14日付の学術論文誌Journal of Physics B. に掲載されました。
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