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加速器はプレイグラウンド 2010.1.28 |
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〜 山崎敏光先生、文化功労者として顕彰 〜 |
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2009年10月28日、山崎敏光東京大学名誉教授が文化功労者に選ばれました。 山崎先生は、1957年に東京大学理学部物理学科を卒業、その後、東京大学原子核研究所助手、カリフォルニア大学およびニールス・ボーア研究所研究員を経て、1967年9月から東京大学理学部講師、1968年11月より同助教授、1972年12月より同教授、1986年より東京大学原子核研究所長を務められ、現在は仁科記念財団理事長に就かれています。 山崎先生は、原子核物理と粒子ビーム科学の分野で指導的な研究者であり、KEKにおいても実験と人材育成に多彩な活躍をあげてこられました。その代表的な業績をご紹介しましょう。 KEK-BSFからはじまったミュオン(μ粒子)科学 1972年12月、東京大学理学部教授に就任された山崎先生は、その後米国バークレー及びカナダのバンクーバーにおいてミュオン(μ粒子)のスピン回転実験の研究を開始し、原子核と物性研究の境界域に新しい知見をもたらしつつ、1978年、東京大学理学部中間子科学実験施設(UT-MSL)を創設、高エネルギー物理学研究所(KEK)ブースター利用施設(BSF)※に新しい中間子実験ファシリティ(Booster Meson Facility、略称BOOM)を建設しましたが、これは世界で初めてのパルス状ミュオンビームファシリティで、ミュオン利用への道を拓きました。 * BSF計画は、BOOMのほか中性子散乱施設(KEK-KENS)、筑波大学粒子線医科学センターの三者で構成されていました。また、中間子科学実験施設は1988年、中間子科学研究センターに改組されました。KEK-PSからCERNへと拡がる反陽子研究 1991年、山崎先生は高エネルギー物理学研究所の陽子シンクロトロン(KEK-PS)での実験で、液体ヘリウム中にとまった反陽子が、常識に反して、ただちに消滅しないことを発見しました。実験を継続するためにすぐにヨーロッパの欧州合同原子核研究機関(CERN)に移り、低温反陽子リング(LEAR)を使って、この反陽子ヘリウムの謎を追求し、多数の高角運動量準安定準位の存在を解明しました。またレーザー共鳴、マイクロ波共鳴の手法により、その精密な分光から反陽子・陽子の荷電空間時間反転(CPT反転)の不変性を高い精度で決定しました。また、反陽子ヘリウムが水素分子と低温で化学反応する際の、量子トンネル現象を発見しました。 KEK-PSからJ-PARCへと続く高密度核の解明 1997年、KEK中性子科学研究施設(KENS)でのK中間子原子核を探る実験から、2002年に山崎・赤石両氏が、高密度核の存在を予言した論文を発表しました。その密度は通常原子核密度の10倍に達しうるというもので、世界的に大きな議論を巻き起こしました。この予言された高密度核の実験的探索が、まさに今、東海村のJ-PARCで始まろうとしています。 2006年5月19日に開催された「KEK-PS 運転終了記念シンポジウム」で山崎先生が参加されたパネルディスカッションの感想として、中井浩二・KEK名誉教授が述べられた言葉をあげます。 『山崎さんは、らせん階段を登るように、試行錯誤、失敗と成功を繰り返し、セレンディピティ(思わぬものを偶然に発見すること)の連鎖を招いたと話されました。セレンディピティを研究に活かされる環境、つまり失敗を許し成果を急がない環境、の大切さを指摘されていました。山崎さんがKEK-PSを「プレイグラウンド」と呼んで物理を楽しまれた精神が J-PARCにも引き継がれることを期待したいですね。』
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