Bファクトリー計画評価委員会報告書概要
1994年に認可されたBファクトリー計画は1999年7月に物理実験を開始した。この計画に関してこれまでの研究活動と社会に対する影響を評価するために評価委員会が設立され、2003年3月13日及び14日に評価委員会を開催した。
本委員会は、Bファクトリー計画の実験及び加速器グループの成果を高く評価する。国際共同実験チームBelleは、素粒子物理学の35年来の謎であるCP対称性の破れ(物質と反物質の非対称性)に関する小林・益川理論の有効性を確立した。この成功は、世界最高のルミノシティを達成したKEKB加速器なしには実現しなかった。日本の科学の歴史において前例の無い規模の国際共同研究を成功裏に実施してきたことは称賛に値する。
この報告は、KEKBの学問的達成点、国際協力と競争、社会に対する影響について述べる。
1. 序論
現在の宇宙には理解されていないことが多く存在する。その一つは宇宙において物質が反物質に比較して圧倒的に優位であることで、この理解のためには粒子と反粒子の対称性(CP対称性)の破れを理解することが鍵である。さらに質量の起源やこの世界がなぜ3次元か、などの基本的な問題も残されている。また、力と物質の統合を目指す仮説である超対称性は、多くの新粒子の存在を予言している。
KEKBとスタンフォード線形加速器センターに建設されたPEP-IIは、物質と反物質の対称性の破れを研究する最強の手段である。ここでK中間子以外の系で初めてCP対称性の破れが発見された。これらの発見は小林・益川理論に証明を与えるものである。この理論が証明された現在、KEKBの目的は、未知の粒子の効果によるCP対称性の破れの探求に向けられる。こうした研究は、もっとも基本的なレベルでの宇宙の理解に向けての重要な突破口である。
2. KEKBの学問的達成点
2−1 物理
近年5年間の高エネルギー物理学に関する国際会議では、CP対称性の破れとニュートリノの質量の問題がその主な議題であった。1973年に小林と益川は3種類のクォークしか知られていなかった時代に6種類のクォークがあればCP対称性が破れることを理論的に示した 。1994年にトップクォークが発見され、小林・益川理論は標準理論の一部と考えられるに至ったが、CPに関する測定を行うためには加速器のルミノシティを2桁増やす必要があった。KEKBとPEP-IIはこのような背景で建設され、BelleとBaBarは互いに競争を続けながら実験を行い、小林・益川理論の予言とよく一致する結果を得た。Belle実験による主な成果は以下のとおりである。
・B→ψKs崩壊におけるsin2φ1の精密測定
・B→ψKL、ψK*崩壊におけるsin2φ1の測定
・B→ππ崩壊におけるCP対称性の破れの測定
・B→φKsにおけるCP対称性の破れの大きさがψKsのそれと違うことを発見したこと
・B→l+l−Xsの発見
これ以外にも世界初の測定が数多く行われている。これらの現象が新しい物理を意味するかどうかはさらにこれらの研究を続けることによってのみ明らかになる。この目的でルミノシティをさらに1桁以上増やすためのSuperKEKB計画が検討されている。
2−2 測定器
Belle測定器はこの実験のために最適化されたものである。ここでは全ての粒子を測定するために最高の技術が使われている。また、Bの崩壊点を測るために高性能のシリコン検出器も開発された。これらは全て大変良く機能し、さらに高いルミノシティでも通用すると考えられる。
2−3 加速器
KEKBはTRISTANの資産を最大限有効利用して3.5GeVの陽電子と8GeVの電子を蓄積して衝突させる加速器である。1999年に実験を開始し、2001年にはすでに世界最高のルミノシティを達成した。積分ルミノシティにおいても日々世界記録を更新している。このような成功は以下の理由によるものでる。
・有限交差角による衝突によってビームの分離を行うことが容易であったこと
・超伝導RFキャビティーが大電流で成功裏に動作したこと
・新しいアイデアに基づく常伝導RFキャビティーの成功
・磁石配置の設計が高いフレキシビリティをもたらしたこと
・線形加速器をアップグレードし、直接入射を可能にしたこと
・ビーム軌道の測定装置を総合的に活用したこと
3. 国際協力と競争
Belleグループは13の国と地域、55の研究機関から411人の研究者が参加する国際研究グループである。このグループは測定器の建設、実験の遂行、データの解析などにおいて極めて大きな成功を収めており、このような大規模な国際協力の成功例であると言える。KEKBとPEP-IIの間の競争はこの成功に大きな寄与をしてきた。この競争は公平かつ友好的なもので、一方で成功したアイデアはすぐに他方でも活用されている。KEKは海外からの研究者に対して良好な研究環境を提供している。
4. 社会に対する影響
4−1 知的好奇心と将来に対する投資
現代社会において長期的な繁栄は基礎的な科学技術の進展に密接に関連しているが、これは短期的な利益を生み出すものではない。科学の価値はむしろ知的好奇心を満足させることにある。KEKBは物質の根源的な理解を深める場所を提供し、世界中からの若者をひきつけた。この成果は納税者とともに分かち合うべきである。
4−2 広報
KEKBの目的を一般社会に理解してもらうことは容易ではない。研究者はその目的と予想される結果について一般に知らせる努力が要求される。この点においてKEKは努力を重ねてきているが、なお工夫の余地がある。
4−3 大学における研究と教育
高エネルギー物理学の長期的発展には大学における活発な研究活動が欠かせない。KEKは過去20年にわたって内外の大学研究者に研究の場を提供してきた。基礎科学の分野で研究能力を身に付けた若い研究者は新しい分野においても有能な研究者でありうる。知識のみならず若い研究者を多く育てていることもわが国の国際貢献であろう。研究に必要な規模からみて大規模な研究機関が研究の中心となることはやむを得ないが、大学と研究所の間の積極的な人事交流は双方にとって有益である。大学がKEKでの研究に独立して使える予算を持つことも重要である。
4−4 企業との関係
日本の大規模な学術研究は伝統的に企業との密接な協力関係によって行われてきた。KEKBにおいても多くの企業が建設に関わってきた。これはITの分野にも該当する。Belle実験で扱う大量のデータを処理するために巨大な計算機システムとデータストレージ装置が開発された。加速器の建設においては、企業との共同開発がより顕著であったが、近年企業は加速器技術に対する関心を失いつつある。このために国際協力をより強化して加速器技術を維持することが望まれる。
5.結論
(1) KEKBとBelle実験の第一段階は大きな成功を収めた。加速器グループは半年の建設開始時期の遅れを克服するために5年間でKEKB加速器を建設し、最初の2年間という重要な時期にBelle実験に対しPEP-IIに匹敵する積分ルミノシティを供給することができた。
(2) Belleグループは、BaBarグループと同時にCKM角φ1を高い精度で測定した。双方の実験結果はよく一致し、小林・益川理論が立証された。これは、高エネルギー物理学の最近10年間の特筆すべき成果の一つであり、物質構造のより深い理解に道しるべを与えるものである。
(3) 実験の次の段階は、さまざまな反応をより精密に測定することである。もし小林・益川理論からのずれが確立されれば、新しい物理の確かな兆候となるであろう。この点においてKEKBのルミノシティが世界最高であることから、Belleグループが優位である。
(4) より高いルミノシティをもつSuperKEKBへ改造することは新しい物理の探索において重要な役割を果たすことになる。
(5) 大規模なBelle国際共同研究の成功と同時にKEKの基幹設備が大きく充実したことは、将来の国際研究機関の在り方についての前例となるであろう。
(6) 大学と国立研究機関の適当なバランスは高エネルギー物理学の長期成功にとって鍵である。的を射たバランスを維持する努力が必要である。
6.委員会委員名簿
|
Kurt Hubner |
|
欧州合同原子核研究機関 |
|
顧問 |
|
牟田 泰三 |
|
広島大学長 |
|
|
(委員長) |
長島 順清 |
|
大阪大学 |
|
名誉教授 |
|
Pier Oddone |
|
ローレンスバークレー国立研究所 |
|
副所長 |
|
三田 一郎 |
|
名古屋大学 |
|
教授 |
|
立花 隆 |
|
評論家・ルポライター |
|
|
用語解説
・Bファクトリー
素粒子の一種であるB中間子を大量に生成することを主たる目的とする加速器の総称。KEKBやPEP-II(スタンフォード線形加速器センター)がその例。B中間子は構成要素として、重いクォークであるb−クォークを含み、CP対称性の破れの研究にとって重要な素粒子。
・Belle、BaBar
Bファクトリーを使った実験チームあるいは測定装置のニックネーム。BelleはKEKBにおける実験、BaBarはPEP-IIにおける実験。
・反粒子、反物質
素粒子には、質量が等しく、電荷などの符号が反対の反粒子が存在する。例えば、電子の反粒子は陽電子。通常の物質が素粒子(粒子)から構成されるのと同様に、反粒子から構成された反物質が存在しうる。この宇宙がなぜ、反物質ではなく、物質で満たされているかが謎である。
・CP対称性の破れ
粒子と反粒子に本質的な違いがあるかどうかは、粒子と反粒子の入れ換え“C(チャージ)”と空間反転“P(パリティ)”を組み合わせたCP変換に対する性質を調べると分かる。CP変換に対して自然法則が変わらないとき「CP対称である」といい、そうではないとき「CP対称性が破れている」という。後者の場合、粒子と反粒子の振る舞いには本質的な違いが存在する。
・ルミノシティ
衝突型加速器において、衝突の頻度を決める一つのパラメータ。ルミノシティに衝突の断面積をかけると衝突反応の頻度が得られる。
|