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last update:08/01/24  

   image 水素の出入りを邪魔するのは水素!?    2008.1.24
 
        〜 水素吸蔵物質で発見された水素結合 〜
 
 
  最近、地球温暖化について耳にする機会が増えました。世界的に関心が高い問題の一つで、様々な議論や取り組みがなされています。地球温暖化の原因である人為的な二酸化炭素の放出を抑える切り札の一つとして、水素ガスを燃料に使用した自動車の開発(図1)が進められていることは、皆さんもご存知でしょう。水素ガスと言えば、理科の授業で水酸化ナトリウムの溶液に亜鉛やアルミニウムを入れて発生させる実験を思い出しますが、水素ガスは、燃やすと酸素と反応して水になり、二酸化炭素や有害物質を発生させないので、環境に優しい燃料として自動車や車椅子などの動力源として期待されています。しかし、これを実現するためには幾つかの大きな課題があり、その一つとして「大量の水素ガスを如何に軽量コンパクトに貯蔵し、かつ効率的に吸収・放出させるか」があります。これは自動車用に限らず、エネルギー源として水素を循環させる「水素エネルギー社会」を実現する上でどうしても通らなければならない関門の一つです。

水素を吸収・放出する物質

水素はとても燃えやすい気体で、取り扱いがとても難しい物質です。水素を安全に格納する容器(水素吸蔵物質)として金属(「遷移金属」と呼ばれる比較的重たい金属)や合金を用いる研究が1960年代から行われてきました。

金属や合金というと硬い物質というイメージがありますが、これらの中には水素が容易に出入りできる(固溶する)という性質を示すものがあります。しかし、これまでの研究により開発された最も軽い合金系物質でも、水素が出入りできる量は重量比で約2%程度(例えば自動車の一度の走行に必要な重量約4kgの水素に対して容器となる金属の重量約200kg)であり、軽量コンパクトに水素を貯蔵するにはまだ不十分です。また、これらの合金に使用される元素は一般に高価で資源としても乏しいことや、水素の吸収・放出を繰り返すことで貯蔵効率が低下するなどの問題があり、今のところ自動車等への商業ベースでの応用は難しいと考えられています。

軽元素化合物で実用化を

そこで、これらの重たい金属や合金に代わり近年盛んに研究されているのが軽い元素の水素化物をベースにした物質で、これらに触媒の働きをする少量の金属を混ぜて水素と軽い元素の間の化学結合を制御することで効率的に水素を出し入れし、これらを水素吸蔵物質として実用化しようというものです。

水素化アルミニウムナトリウム(NaAlH4)は、軽元素の水素化物の代表である水素化アルミニウム化合物の一つで、理論上では最大5.6%という高い重量比、及び摂氏50〜100度という扱いやすい温度で水素を吸収・放出し、なおかつ材料としても安価で大量に手に入るという点で大変魅力的な材料です。しかし一方で「水素の出入りが極めて遅い」という大きな難点を抱えていました。ところが、1990年代後半になって、NaAlH4に数%の割合でチタンやジルコニウム等の金属を添加すると水素の出入りの速度が劇的に改善されることが明らかになり、水素吸蔵物質としての実用化への期待が一気に高まりました。

しかし、その後の長年にわたる研究にも関わらず、NaAlH4内での水素吸収・放出の仕組みや、NaAlH4に添加されたチタンやジルコニウムが水素の吸収・放出の過程にどのように関わっているのか、微視的なメカニズムはなかなか解明されず、実用化に向けた次の段階への明確な指針が得られない状況が続いていました。

今日ご紹介する研究は、このNaAlH4でチタン添加によりどのような仕組みで水素吸収・放出速度が劇的に改善されるのかについて、原子レベルで起きていることを調べたものです。その結果、水素の吸収・放出過程でそれまで知られていなかった「水素結合」によって水素が動けない状態になっていること、さらに、チタン添加によりこの水素結合が壊れて水素が動きやすい状態へと変化し易くなることが突き止められたのです。

それでは、具体的にどのような研究が行われたのか、少し詳しく見てみましょう。

水素の代わりにミュオンで調べる

KEKでは放射光、中性子と並んで、ミュオン(素粒子のひとつ、ミュー粒子ともいう)を用いて物質の性質を調べる研究が行われています。最近、宇宙から降り注ぐ高エネルギーのミュオンを用いて、火山や溶鉱炉といった大きな構造物の内部を透視する手法が新聞に取り上げられていましたが、加速器を使って人工的に得られる大強度のミュオンを用いれば、高感度で高精度な実験研究を行うことができます。また、ミュオンは電荷により正負2種類がありますが、正の電荷を持ったミュオンは陽子(プロトン)と同じ電荷で、重さも陽子の約9分の1と電子より遥かに陽子に近いため、物質中で陽子の軽いアイソトープ(同位体)として振る舞います。実際、水素原子の中心にある陽子をミュオンで置き換えた「ミュオニウム」と呼ばれる原子の直径(〜1オングストローム)は、元の水素原子に比べてわずか0.5%の違いしかありません。ですので、物質中のミュオンの状態を調べることは、水素の状態を調べることとほぼ等しくなるのです。

KEK物質構造科学研究所ミュオン科学研究系の門野良典教授、下村浩一郎研究機関講師らのグループは、この物質中に注入されたミュオン(μ+)が結晶の隙間にある水素(陽子)と同じ存在状態を示す性質に着目し、ハワイ大学C. M. Jensen教授のグループ、および独立行政法人産業技術総合研究所エネルギー技術研究部門秋葉悦男主幹研究員らと共同で、NaAlH4中での水素の状態やチタン添加が及ぼす効果について、ミュオンを使った実験により調べることを試みました。実験は、試料として無添加のNaAlH4とチタンを2%添加したNaAlH4をハワイ大学で用意し(図2)、KEK、 TRIUMF研究所(カナダ)、PSI研究所(スイス)のミュオン実験施設を用いて行われました。

その結果、どちらの試料においても注入したミュオンが、室温以下で水素化アルミニウム(AlH4)イオンとミュオンとの水素結合による複合体{(AlH4) -μ+- (AlH4) }を形成していることが明瞭に観測され(図3、4参照)、しかも、温度の上昇とともにミュオンが複合体を形成している状態から別の状態へと移動する様子が見られたのです。また、その際、昇温によりミュオンが先の複合体の状態からもっと動きやすい状態へ(図3のCからOへ)と移動することが、特にチタンを添加した試料において明らかになるとともに、そのような移動(状態変化)のために必要な活性化エネルギーが、チタンを添加した試料では、チタン無添加の試料に比べて約3分の1まで大きく減少していることも判明しました。

鍵は水素結合にあり

この結果から、本来的にNaAlH4では、実験でのミュオンを水素に置き換えた複合体{(AlH4) -H+- (AlH4) }が形成されていると考えられます。これまで、水素結合とは窒素、酸素、硫黄、ハロゲンなどの周期表上右側の元素と結合した水素原子が、近傍に位置した他の原子に働かせる引力的相互作用で、水(酸素-水素)の性質、水と他の物質との親和性、あるいはタンパク質の高次構造などにおいて重要な役割を担っていることが知られています。しかし今回の結果は、NaAlH4のような軽元素の水素化物中において、従来全く考慮されていなかった水素結合が重要な役割を担っていることを初めて示しました。水素結合が、水素の「吸収」と「放出」の鍵であることが分かったのです。

水素の吸収・放出とチタンの働き

今回実験に用いられた試料が「水素を一杯に含んだ状態」であることを考えると、この結果は、AlH4イオンの一部が壊れて水素が結晶の隙間に出てくる際に、高い確率で他のAlH4イオンとの複合体{(AlH4) -H+- (AlH4) }が形成され、それによって水素の放出速度が大きく減速される、ということを意味していると考えられます。また添加されたチタンについては、この複合体からより動きやすい隙間位置への水素の状態変化に伴うエネルギー障壁を大きく下げるための触媒として働いている、ということが明らかになったとも言えるでしょう。

今回の実験により、水素吸蔵物質を開発するに際しては、水素結合が起こりにくい結晶構造や構成要素を選択するのがよいという指針が得られました。また、この研究で用いられた手法は、今後の研究・開発を進めていくための手段となることが期待されています。



 
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提供: 産業総合技術研究所 エネルギー技術研究部門
水素エネルギーグループ
[図1]
水素ガスを燃料とする自動車から放出されるのは、二酸化炭素ではなく水。環境にやさしい自動車として、世界的に開発が進められている。写真は、産業技術総合研究所とトヨタ自動車(株)が開発した燃料電池自動車。
拡大図(82KB)
 
 
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提供: ハワイ大学
[図2]
今回の研究対象となった物質である水素化アルミニウムナトリウム。安価で大量に得られる。本来は白色の粉末だが大気中で酸化されて水素が抜けると徐々に灰色になる。
拡大図(64KB)
 
 
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[図3]
ミュオン(水素)はCの位置で2つのアラネートイオン(図中正四面体:4つの頂点に水素原子が配位)に対して水素結合を作っていると考えられる。チタン添加(図では省略)によりエネルギー障壁が下がりミュオン(水素)はCからOの位置へと移動しやすくなり、そこで拡散運動をするようになる。
拡大図(43KB)
 
 
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[図4]
図中の長破線(3S)で示されているのが水素結合状態(図3の位置C)からの信号で特有の振動パターンを示す。短破線(KT)は格子間位置(図3の位置O)からの信号。チタンを添加した試料では、昇温(上図c→d)とともに位置Cから位置Oへの移動割合が無添加の場合(上図a→b)に比べて明らかに増加している
拡大図(38KB)
 
 
※もっと詳しい情報を
        お知りになりたい方へ

→ミュオン科学研究施設のwebページ
   http://msl.kek.jp/index.html
→産業技術総合研究所
    エネルギー技術研究部門
        水素エネルギーグループのwebページ
   http://unit.aist.go.jp/
          energy/hydrogen-e/

→キッズサイエンティスト:
    ミュオンによる広域中間子科学 のページ
   http://www.kek.jp/kids/
          multi/material/myuon.html

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