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内殻空孔をもつ原子を観測 2008.8.28 |
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〜 重ね合わせの状態の解明に向けて 〜 |
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量子力学に支配された電子や原子などのミクロの世界は、古典力学的日常を生きる私たちにとってはまるで不思議の国です。そんな不思議の国と私たちの日常のつながりを解き明かすための、ある研究成果についてご紹介します。 量子の世界は不思議の国 日常と量子の世界がいかに相容れないものかを物語る、あるかわいそうな猫の話をご存知でしょうか。"シュレーディンガーの猫のパラドックス"として知られるその話は、理論物理学者のシュレーディンガーが提唱した、量子論の確率的解釈の問題点を指摘したある思考実験です。 箱の中に毒ガス発生装置と猫を入れ、箱の外の放射性同位元素が崩壊して放射線を出したら毒ガスが発生するように細工をしておきます。放射性同位元素は毎時50%の確率で崩壊するとします。さて、1時間後、箱の中の猫はどうなっているでしょうか? 放射性同位元素の崩壊は量子論に支配された現象であり、いつ崩壊するかは確率の問題です。蓋を閉じてちょうど一時間後、「崩壊した状態」と「崩壊していない状態」がどちらも同じ確率となります。すると、このとき箱の中の猫は、量子論的には生きているのでも死んでいるのでもなく、生きた状態と死んだ状態が混ざり合った状態であると解釈されます。日常の世界では考えられない事態です。なお、量子論では、箱の蓋を開けて"観測"を行った瞬間に混ざり合った状態は崩壊して一つの状態に収縮し、猫は生きた状態かもしくは死んだ状態のどちらかになると考えられるので、この"パラドックス"は解消するとされています。 このような混ざり合った状態は"重ね合わせの状態"と呼ばれています。"重ね合わせの状態"とは何なのか、"観測によって状態が決まる"とは物理的にどのようなことなのか、更なる解明が待望されています。 不可能と思われていた内殻空孔局在の観測 さて、原子を構成する電子のうちもっとも内側の電子(内殻電子)の軌道は、原子核の近くに局在化していると考えられています(図1)。では、同じ原子が並んだ分子に光を照射し、内殻電子にエネルギーを与えて軌道から飛び出させたとき、電子の不在によってできる空孔(内殻空孔)の局在化は観測できるのでしょうか?どちらの原子から電子が放出されたのかを特定することは果たして可能なのでしょうか? "同じ原子が並んだ分子から内殻電子を放出させた状態"とは、量子論的には等価な原子それぞれが内殻電子を失った状態が混ざり合った状態であり、観測するまでは内殻電子がどちらの特定の原子から放出されたのかは決まらないのです。シュレーディンガーの猫とは比べ物にならないほどの小ささではありますが、まさに"重ね合わせの状態"です。 これまでにも、内殻空孔が局在することを立証しようとする様々な試みが行われてきました。そして、二つの原子からなる分子に光を照射し、原子の内殻軌道から電子を放出させて内殻空孔を生成すると、分子は1価のイオンと原子になり、対称性が破れることは既に観測により明らかにされていました。内殻空孔が特定の原子に局在していれば対称性は破れることになるので、これらの結果は内殻空孔の局在を間接的に立証したことになります。しかしこれまでの研究では、内殻空孔がどの特定の原子に生成したのかを決めることはできませんでした。内殻空孔が生じると、一千兆分の一秒程度の極めて短かい時間のうちに空孔は外側の電子によって埋められてしまう(オージェ崩壊)のです。このため、局在した内殻空孔を持った原子を実験で決定することは不可能と思われてきました。 アイディアで壁を克服 大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構(KEK)物質構造科学研究所の柳下明(やぎした あきら)教授のグループは、国立大学法人京都大学八尾誠教授のグループ、トリエステ大学P. Decleva教授のグループ、大学共同利用機関法人自然科学研究機構分子科学研究所小杉信博教授らと共同で、ネオンという原子の2原子分子を用いることで、この問題を解決しました。希ガスであるNeの2原子分子は、原子同士の距離が3.2オングストローム(1オングストロームは1千万分の1ミリメートル)と共有結合している分子と較べて5〜10倍程度も長いために、内殻空孔のオージェ崩壊が一方の原子内で起こるといえることに着目したのです。 柳下教授らは、KEK物質構造科学研究所・フォトンファクトリーのビームラインBL-2Cを用いて、ファン・デル・ワールス力で結びついたNe2分子に軟X線放射光を照射し、電子を放出させる光電離実験を行いました。図2は、分子のポテンシャル・エネルギーをあらわした図です。彼らは分離していくイオンと、図2の(2)の過程で放出された光電子の同時観測を行い、光電子が観測された方向を分離していくイオン対の座標系にプロットしました(図4)。(a)の場合、つまり図2の(3)(4)のオージェ崩壊を含む一連の過程では、光電子放出からNe+とNe2+の解離イオンに落ち着くまでの時間スケールが大変短いため、光電離が起こった瞬間の分子軸と分離方向は同じと見なすことができます(図3)。このとき光電子の確率分布(図4(a))は、明らかに非対称になっています。内殻空孔が局在していることの証拠です。そして観測されるイオンがNe+とNe2+であることと、オージェ崩壊が光電子を放出した原子内で起こると言えることから、光電子はNe2+イオンの方から飛び出したのだと結論付けることができるのです。 一方、図2の(5)(6)のオージェ崩壊を含む過程では、(6)で光を放出して二つの一価のイオンに分離するまでに、分子は回転してしまいます(図3)。イオン分離したイオンと光電子を両方観測しても、光電子が飛び出した方向に偏りは見られず、また飛び出した電子がどちらの原子に由来するのかを特定することはできません(図4(b))。同じ光によって発生したはずの内殻空孔であり光電子なのに、その後の観測結果は異なるのです。 基礎の一歩は次へのステップ こうして内殻空孔の重ね合わせの状態に対する観測が行われ、内殻空孔が局在することが実験的に確認され、かつ内殻空孔をもつ原子の特定にも成功しました。これは"重ね合わせの状態の測定とは何か"という謎の解明への確かな一歩です。さらに本研究は、生体分子・溶液などの放射線効果の原理を知る上で、極めて重要な役割を果たしていると考えられる素過程の解明にも光を当てました。内殻空孔の崩壊過程自体は、弱く結合した原子集合体では普遍的に起こる物理現象であるからです。 これら基礎的研究の成果がどのようにして私たちの日常につながる成果の礎となっていくのか、続報が楽しみです。 今回の成果は、米国物理学会誌「フィジカル・レビュー・レターズ」に掲載されました。また本研究は、平成19年度科学研究費補助金(基盤研究(B))、平成19年度科学研究費補助金(特別研究員奨励費)および平成19年度KEK物質構造科学研究所放射光共同利用実験により、KEK物質構造科学研究所・フォトンファクトリーのビームラインBL-2Cを利用して行われました。
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