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4. トリスタンと加速器科学

4.3 加速器理学に関する研究

4_3_1 電子ビームのスピン放射偏極


電子(または陽電子)が蓄積リングの中を回っているうちに、放射光を放出しながら自然にそのスピンの向きが揃ってくる現象を放射偏極、または自然偏極という。1963年にSokolovとTernovは、一様な磁場の中を運動する電子(または陽電子)のシンクロトロン放射光パワーのうち10-11がスピンフリップに関与することにより、電子のスピンは磁場と逆向きに、陽電子は磁場の向きに偏極することを指摘した。そのためシンクロトロン放射による偏極の機構は、Sokolov-Ternov効果と呼ばれる。完全に一様な磁場中を円運動する電子の到達できる最高偏極度は、92.4%で非常に緩やかに平衡状態に達する。平衡状態に達するまでの特性時間が偏極時間で、電子のエネルギーの5乗に逆比例し、円運動の半径の3乗に比例する。電子ビームのエネルギーをE (GeV)とすると、偏極時間はトリスタンでは2.9x109/E5秒で与えられ、トリスタンのビームエネルギー30GeVでは約2分で偏極することになる。この偏極時間はHERAやLEPに比べ極端に短い。

実際の蓄積リングでは、ビームを導く磁場は種々のタイプのマグネットから構成されており、マグネットのアライメントや磁場のエラーのため電子の軌道はもはや単純な円運動ではなく、歪んだ閉軌道を描くために、電子は様々な方向の磁場の作用を受け、軌道が曲げられるだけでなくスピンも回転を受ける。そのため偏向磁場の向きとスピンの向きは平行ではなくなり、Sokolov-Ternov効果による偏極作用が減少する。他にも、スピンフリップを伴わないシンクロトロン放射によるスピンの確率過程的運動が、電子のベータトロン運動やシンクロトロン運動と共鳴して起こす消極作用があり、実際の加速器では、放射偏極作用がこれらの消極効果と競い合って平衡状態のスピン偏極度が決まる。

高エネルギー電子ビームの偏極の測定には、円偏光レーザー光を電子ビームにあて電子・光子散乱すなわちコンプトン散乱を検出する方法がよく使われ、コンプトンポーラリメータと呼ばれている。この場合、レーザー光子は電子ビームの方向へ後方散乱される。レーザーの円偏向を左右切り換えると、横偏極電子に対する線の散乱角分布には上下または左右の非対称性、縦偏極電子に対してはエネルギー分布に差が現れる。従って、後方散乱線の上下分布またはエネルギー分布を測定し、左右円偏光に対する非対称度を求め、100%偏極のときの非対称度に対する比として電子ビームの偏極度を計測できる。

トリスタン主リングに設置されたポーラリメータの模式図を図74に示す。測定システムは、レーザーおよび偏光を制御する光学系、レーザービームを蓄積リングのビームパイプの中に導き電子ビームにあてるための光路、および線検出器から構成されている。偏極測定には、レーザーの機種により一光子計数法と多光子計数法の2通りの方法がある。一光子計数法は、小パワーで繰り返しの速いレーザーを用い、電子ビームとレーザーパルスの1回の衝突で1個以下のコンプトン散乱を起こし、線を1個ずつ検出する方法で、線の角分布とエネルギー分布を同時に計ることができ、横偏極および縦偏極を同時に測定することができる。このためのレーザーとして波長514.5nm(2.41eV)、ピークパワー100W、パルス幅15ns、2バンチモード200kHzの電子ビームの繰り返しに同期できるArイオンレーザーを使用した。多光子計数法は高出力低繰り返しのレーザーを用いて、1回の衝突で多数の線を散乱させその角分布を計る方法で、横偏極を高速で測定することができる。このためのレーザーとして波長532nm、パルスエネルギー100mJ、パルス幅10ns、繰り返し10HzのNd:YAGレーザーを使用した。レーザーの直線偏光は、ポッケルスセルと1/4波長板によって左右の円偏光に変換され、電子ビームとの衝突点で半径約1mmのスポットに集光される。後方散乱された線は、リングのアーク部で電子ビームと分かれ衝突点から約40m離れた線検出器に入る。線検出器は、タングステンコンバーター、位置検出用のシリコンマイクロストリップ検出器、エネルギー測定用の鉛ガラスカロリメーターからなる。

偏極度の絶対値は、偏極の立ち上がりの時定数を測定し、最高偏極度92.4%に達するまでの自然偏極時間に対する比から得られる。ビームエネルギーE=14.76GeVでの自然偏極時間は68.5分で、立ち上がりの時定数から偏極度は69%であった。この値は予想された最高偏極度92.4%よりかなり低い。スピンチューン(スピンの歳差運動周波数の電子の回転周波数に対する比)は、E(GeV)/0.44065と書けるが、整数になるとき消極共鳴により偏極度は0になる。ほかにも、スピンチューンが1次のベータトロンおよびシンクロトロンチューンに等しくなるときに強い消極共鳴が起こる。実際の電子ビームでは、これらの消極共鳴により偏極度が著しく下がったと考えられる。電子リングの垂直方向の閉軌道の歪みは、スピンの向きを垂直偏向磁場の向きと平行でなくし、スピンチューンが整数次の消極共鳴と結合した強い消極作用を起こす。この消極作用を補償し偏極度を改善するために、単に閉軌道の歪みの絶対値を小さくするだけでなく、スピンチューンに最も近い、歪み角のフーリエ高調波成分を消去するように閉軌道補正を行った。この補正の結果、75%の偏極度が得られた。この偏極度改善のための軌道補正の技術をスピンマッチングと呼び、トリスタンではLEPやHERAに先駆けて試み、その有効性を実証することができた。

電子リングのビームのエネルギーは、マグネットのアライメントと磁場の強さから求めることができるが、その精度は高々10-4程度である。スピンの消極共鳴を利用すると、もっと精密に測定できる。水平方向の振動磁場でビームを励起すると、スピンの歳差運動の周波数と振動磁場の周波数の和または差がビームの回転周波数の整数倍に等しくなるとき、消極共鳴が起こる。これからスピンチューンが測定でき、電子の異常磁気モーメントの値からエネルギーを決定できる。実際には、振動磁場としてベータトロンチューン測定のためのビーム振動器を使用し、励起振動数を掃引し、偏極度が0になる周波数を探した。このとき測定値の精度は、掃引周波数の幅で決まり、エネルギー値の相対精度は10-5以下にできる。この消極共鳴の方法により、公称29GeVの時のビームエネルギーは28,887.639±0.022MeVと測定された。これは磁場の設定値から求めたものからわずか3MeVずれているだけであった。また5日間にわたってビームエネルギー変動をこの方法で測定した結果を図75に示す。その変動幅は6MeV程度であることがわかる。

 
Figure 74: ポーラリメータ
 
Figure 75: 1994年12月6〜10日の5日間での消極共鳴法により測定されたビームエネルギー変動



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