今日、素粒子の振る舞いは、「標準理論」により記述されることが知られているが、それを可能にした背景には、1950年代に始まった粒子加速器の大きな進歩があることはよく知られている。次々に建設された高いエネルギーの加速器により、新しいクオークやレプトンが相次いで発見され、ついに2012年には、ヒッグス粒子の発見に至った。
我が国においても1971年に高エネルギー加速器研究所が設立され、1973年には世界最高エネルギーを目指す、「トリスタン計画」が発表され、1986年には電子・陽電子ビーム衝突実験で世界最高のエネルギーを実現した。トリスタン電子陽電子衝突ビーム実験の経験は、B-ファクトリー計画に引き継がれ、2001年には、B中間子の崩壊でCP対称性の破れを発見し、小林・益川理論の正しさを実証した。
振り返ってみると、トリスタン計画は非常に野心的なもので、電子・陽電子ビーム衝突実験のみならず、陽子・陽子ビーム、陽子・反陽子ビーム衝突を世界最高エネルギーで実現することを目指すものであった。トリスタン計画では、当時未発見であったトップクオークやヒッグス粒子の発見を目指したが、残念なことにこれらの粒子はトリスタンのエネルギー範囲にはなく、後にフェルミ研究所やCERNのより高いエネルギーのビーム衝突型加速器で発見された。
世界の高エネルギー物理の研究者の間では、より高いエネルギーを実現する加速器計画が議論され、1980年代の初頭より、アメリカに重心エネルギー40 TeVを実現する加速器、SSC計画(周長約90km)、が取り上げられた。そして、1987年にはレーガン大統領によりSSC計画の建設が承認され、テキサスに加速器のトンネルの掘削が開始された。多くの我が国の高エネルギー物理研究者もこの計画に参加し、様々な設計作業に携わった。(しかし、残念ながら、計画は途中で中止されその建設は実現しなかった。)
我が国においても、筆者を含めて何人かの方々が、同様の施設を我が国に建設できないか、作るとしたらどのような問題があるかを考えた。その中では、当然、予算、技術力、マンパワーなどが取り上げられたが、我が国に建設するとしたら、上記の問題のほかに、我が国固有の問題として、狭い国土の中で、どこに建設するか、トンネル等の建設コストはどうなるのかという問題があった。そもそも、周長90kmもの大型施設を建設できる場所が我が国に存在するか、どのような候補地が考えられるかという問題も検討する必要があった。その課題に答えるべく作業した結果がこの報告書である。
この報告書は、昭和58年(1983年)に作られた。読み返してみると、幼稚な面もあるが、なんかの参考になればと思い、生出勝宣加速器施設長の勧めもあり、このような形で復刻したのがこの資料である。
平成26年 (2014年) 7月
〜KEK名誉教授、元素粒子原子核研究所 所長 髙﨑 史彦氏 記〜