陽子線によるがん治療は、後にFermi National Accelerator Laboratoryの所長になるR. Wilsonによって1946年に提案された。そしてKEKの陽子シンクロトロンが稼動する頃(1974年)は、目のがんには有効であるが、他の部位には使えないとの見解が欧米で一般的であった。ブースター利用施設で陽子線治療を実施したところ(1983年)、深部がんにも大変有効であることが明らかになった。上記の欧米の見解が生じたのは、まだCTが無く、深部がんの位置・形状を正確に診断出来なかった時に、陽子線を照射したためと推定される。
KEK PS(高エネ研で最初に建設された陽子シンクロトロン)の500MeVブースタービームを使用した陽子線がん治療施設。
PMRC 1での治療成績が良かったので、筑波大学病院に建設された陽子線治療専用施設。
当初Proton Therapy Co-Operative Groupの名称で、陽子線治療の情報交換のために、Harvard 大学で組織されたが、後に炭素線治療を含めた現在の組織になった。
ホームページは http://www.ptcog.ch/ で表は此処から引用
当初は 陽子線形加速器+40GeVシンクロトロン であったが、コストを1/4に削減するために 陽子線形加速器+500MeVブースター+8GeV(後に10GeV)主リング に変更された。
ブースターは当初主リングに陽子ビーム9パルスを加速・入射したあと、主リングで加速、取り出し、入射磁場への復帰までの間は、陽子を加速しない空運転をしていた。この期間もブースターで陽子を加速するようユーザーから要求され、500MeV陽子がパルス中性子、中間子に加えてがん治療研究に使用されることになった(ブースター利用施設)。
ブースタービームの医学利用が、放射線医学総合研究所の梅垣洋一郎先生から提案された。
KEK側と相談の上、筑波大学医学系放射線科の秋貞雅祥先生に依頼する事になった。
当時がんの放射線治療研究には、速中性子が使われていた。そして将来はパイ中間子か重イオンと言われていた。
つくばでの陽子線治療は、Harvard大学のSuit教授から強く勧められた。
医学利用施設の建設は、初代所長諏訪繁樹先生が、KEK定年後筑波大学に移って担当された。様子を見に行ったときには、若い人を相手にご自分でクレーンの操作をしておられた。諏訪先生は論文を書かれないことで有名であったので、記録には残っていないと思われる。
速中性子治療、陽子線ラジオグラフィに陽子線治療を追加して出発したブースターの医学利用は、10年後の検討の結果、陽子線治療だけが継続されることになった。
〜 福本貞義氏記 〜