2011年9月1日
7月14日、英国の学術誌Natureに興味深い論文が発表されました。皆さんも使用されているようなインクジェットプリンターで、簡単に高性能の有機半導体デバイスを作成する技術を開発した、という内容でした。これは産業技術総合研究所の長谷川達生(はせがわ たつお)博士をリーダーとする研究チームによる成果で、この技術により世界最高性能の有機薄膜トランジスタを作ることに成功しています。この新しい技術の評価にはKEKのフォトンファクトリーが大事な役割を果たしています。
コピー機も印刷機も存在しない頃、人々は手書きでしか文や図画を移すことができませんでした。文明の発達に伴い、木版、凸版と機械も発達し、今では写真も各家庭で印刷できるようになっています。インクジェットプリンターでこのようなことが可能になったのは、狙い通りの位置に、適量のインクを滴下する技術が発達したからです。文字や写真がきれいに印刷できるのは、マイクロメートルレベルで描画しているためで、これはちょうど電子デバイスの微細電子回路と同じくらいの大きさです。インクジェット印刷技術を利用すれば、微細な電子回路も「印刷」できてしまうかもしれません。このように、印刷技術によって電子デバイスを作る技術は「プリンタブルエレクトロニクス」と呼ばれ、さまざまなデバイスの製造コストを劇的に下げる革新的な技術として注目されています。
長谷川博士、山田寿一(やまだ としかず)主任研究員、峯廻洋美(みねまわり ひろみ)特別研究員らの研究チームは、このプリンタブルエレクトロニクス技術の開発に取り組んできました。特に、有機溶剤によく溶け、常温・常圧でデバイス加工ができる有機半導体を、この技術を実用化する最有力候補と捉えていました。
TFT(薄膜トランジスタ、Thin Film Transistor)は、液晶ディスプレイで画素の表示を制御するためによく用いられている技術です。TFTは数ナノメートル(ナノは10億分の1)ほどの半導体層と絶縁層を重ねて作られます。これまでの技術では、TFTを作るためには真空中で薄膜を作成する必要があり、大量の電力を消費するため、割高になってしまいます。もし、これをプリンターで作ることができるようになれば、コストは大幅に下がるでしょう。それだけではなく、柔らかく軽い有機物でできた半導体の薄膜をプラスチックシートのようなものに印刷すれば、軽くて薄い、紙のように丸められるフレキシブルなディスプレイができるかもしれません。
インクジェット印刷で有機半導体の薄膜を作るためには、まず有機半導体のインク、つまり有機溶剤に溶けた有機半導体を作らなくてはなりません。そしてシート上に印刷したときにそのインクが結晶化する、つまり半導体として働くために分子が規則正しく並ぶ必要があります。ところが、結晶化させようとすると、インクの液滴中での対流などによるランダムな結晶化が起こり、均質な半導体の薄膜を印刷するのは非常に困難でした。
これを解決するために、研究チームは、有機半導体を溶かしたインクと、有機半導体の結晶化を促すインクの2種類を交互に滴下する「ダブルショット」印刷法を開発しました(図2)。半導体インクには、C8-BTBT(ジオクチルベンゾチエノベンゾチオフェン)という、有機溶媒によく溶けTFT材料として適した性質を持つ有機半導体を用いました。まず1基目のヘッドから「結晶化インク」をシート上に印刷します。続いて、2基目のヘッドから「半導体インク」を重ねて印刷します。シート上で2種のインクが混合されると、半導体結晶の成長が緩やかに始まります。2種類のインクを別々に使うことによって、これまで制御が難しかった有機半導体の結晶化をうまく制御することができるようになりました。
印刷された有機半導体が原子レベルで規則正しく並んだ結晶になっているかどうかは、デバイスの性能を左右する重要な情報となります。これを調べるため、研究チームの熊井玲児(くまい れいじ)博士(現・KEK物質構造科学研究所教授)は、フォトンファクトリーのBL-8Aを用いて、放射光X線回折分析を行いました。結晶化の証拠であるX線回折スポットがきれいに観測され、この薄膜は高い結晶性を持つことが確かめられました(図3)。また、この薄膜を偏光顕微鏡で観察したところ、薄膜全体が同一の単結晶から成っていることが分かりました。(図4)
この新しい印刷技術で作った薄膜結晶に電極と絶縁層を取り付け、実際のトランジスタを作成しました。そして、トランジスタとしての性能(キャリヤの移動度)を測定したところ、現在の液晶ディスプレイに使用されているアモルファスシリコンTFTに比べても10倍以上、そして従来の印刷法で作成した有機TFTと比較すると100倍以上という性能を持つことが確かめられました(図5)。これは有機TFTとしては世界最高の性能値となります。
研究グループは、半導体薄膜だけでなく、配線や電極もすべて印刷法で作成した微細電子回路の作成にも取り組んでいます。紙のようにコンパクトにたたんで携帯できる情報端末を持ち歩く時代がそこまで来ています。そんな技術の縁の下で放射光は活躍しています。
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