これまでにもご紹介したようにKEKのKEKB加速器を使い、Belle実験グループは、物質と反物質の性質の違いである「CP対称性の破れ」をB中間子の崩壊過程で観測を積み重ね、より確かなものとしてきました。今日は、この実験の際に現われる二つのπ(パイ)中間子の崩壊過程でも「CP対称性の破れ」が起こっている確かな証拠が観測されたことをお話ししましょう。この結果は1月22日(現地時間)にアメリカのコロラド州アスペンで開かれた国際会議で発表されました。
「CP対称性の破れ」は、ひとつの物理現象とそれを「CP反転」させた現象の間に違いがあることを意味しています。「CP反転」は物質を反物質に変える役目をするので、その破れは物質と反物質の振舞に違いを引き起こします。これは小さい効果ですが確実に存在することがこれまでの観測でわかっていました。Belleグループが発表した新結果は、電気的に中性なBゼロ中間子がふたつの反対の電荷を持ったπ中間子に崩壊する過程(B0 → π+π-)と、そのCP反転された過程(反B0 → π+π-)の比較に関するものでした。Bゼロ中間子は反bクォークとdクォークからできています。これに対して、その反粒子である反Bゼロ中間子はbクォークと反dクォークから出来ています。今回の実験で調べられたパイ中間子では、π+中間子はuクォークと反dクォーク、π-中間子は反uクォークとdクォークからそれぞれ出来ていて、一方が他方の反粒子に対応しています。
研究者がこの小さな破れにこだわる理由は、なぜ宇宙には物質と反物質が同じ数だけあるのではなく、物質だけが主に存在するのかという謎を解く鍵がそこにあるかもしれないからです。
日本をはじめ13カ国のおよそ300人の研究者で構成されるBelleグループにとっては、1973年に提唱された「CP対称性の破れ」に関する小林・益川理論を検証することが第一の目標です。これは当時まだ3つしか見つかっていなかったクォークの数を6つに増やすとクォーク混合という現象を通じて、ごく自然に数学的にきれいな形で「CP対称性の破れ」が現れることを導いた理論でした。その後、1981年、当時まだ最新の観測結果だったbクォークの寿命が予想よりはるかに大きいという事実から「CP対称性の破れ」現象がB中間子系で大きく観測できる可能性があることがCarterと三田によって指摘されました。これによってB中間子系がクォーク混合と「CP対称性の破れ」の観測にとって特に重要であることが広く認識されました。(bクォークとそれを含むB中間子の寿命は1兆分の1.5秒程度ですが、素粒子の世界ではこれは例外的な長寿の部類に属しています。)
クォーク混合は、太陽から届くニュートリノの数の減少を説明するニュートリノ振動とも密接な繋がりを持つ現象です。
原理的には観測可能でも、実際に大量のB中間子を発生させ、その崩壊過程を詳細に測定するのは加速器研究者と素粒子実験研究者にとって大変なチャレンジでした。KEKは1990年頃からこのプロジェクトに取り組んできました。その結果つくられたのがKEKB加速器とBelle測定器です。KEKB加速器はすでに1億個以上のB中間子対を生成し、これまでいろんな衝突型加速器が達成してきた記録のほとんど全てを更新するなど、大成功をおさめています。
もし「CP対称性の破れ」がないなら、B0 → π+π-と反 B0 → π+π-の起きる確率は同じになるはずです。これに対して、Belleの新結果ではふたつの観測量でこれらのプロセスの間に違いが観測されました。一つは、崩壊時間の分布が、反Bゼロ中間子とBゼロ中間子では違っていることです。もう一つはBゼロ中間子と反Bゼロ中間子が同数ずつ生成されたにもかかわらず、反 B0 → π+π-の数がB0 → π+π-の数より多いことです。この解析に使われたB中間子対の数はおよそ8500万個と非常に多いにもかかわらず、このうちπ+π-崩壊事象はわずかに163例だけでした。(殆んどのBゼロ中間子と反Bゼロ中間子は他のものに崩壊したことになります)
図1は今回発表された崩壊時間分布です。データポイントは崩壊時間ごとに観測された崩壊事象の数で、Bゼロ中間子と反Bゼロ中間子からの崩壊がそれぞれ△と〇で表されています。B中間子は常にペアで生成されるので、それぞれの事象にπ+π-に崩壊したB中間子の他にもうひとつのB中間子が存在します。崩壊時間は常に他方のBの崩壊点を基準にするので、どちらが先に崩壊したかによって正の値も負の値も取り得るのです。実線および点線で描かれたカーブは「CP対称性の破れ」をパラメーターにした理論の予想で、カーブがデータと一致するようにパラメーターの値が決められています。もし「CP対称性」が成り立っているならこのふたつのカーブは同じになるはずです。しかしBelleの新結果はふたつのカーブの形と面積に明らかな違いが見られます。
この形の違いは「間接的CP対称性の破れ」と呼ばれる効果によって起きると考えられています。B中間子系の「間接的CP対称性の破れ」の発見は2001年にBelleグループとBaBarグループ(アメリカのスタンフォード線形加速器センターで実験中)によって発表されました。これはB0 → π+π-に比べてはるかに大きな頻度で起きるBゼロ中間子のJ/ψ(ジェイプサイ)とKs(ケイショート)崩壊を使って観測されたものでした。この現象は今では高い精度で確立されていて、小林・益川理論の正統性(少なくとも部分的に)を示す重要な証拠と考えられています。
両研究グループは、小林・益川理論をさらに厳密に検証し、それだけでは説明出来ないかもしれない現象を発見する可能性を求めて、難しいB0 → π+π-プロセスの解明に取組んできました。ここでは「ペンギン」と呼ばれる効果(02/7/29プレス発表資料参照)が邪魔をして、解明を不明瞭なものにするのではないかと危惧されていました。しかし一方でこのペンギン効果がB0 → π+π-と反B0 → π+π-の崩壊頻度の間の違いを引き起こす可能性があることも指摘されてきました。これは「直接的CP対称性の破れ」と呼ばれ、現在までのところB中間子系では見つかっていません。Belleの新しい結果はペンギン効果が介在していることを強く示唆するものです。しかし「直接的CP対称性の破れ」に関しての結論はまだ出せません。
統計的に考察すると「CP対称性」が成り立っているにもかかわらずBelleの観測結果が得られる確率はわずかに1万分の7となります。これはB0 → π+π-で「CP対称性の破れ」が起きている確かな証拠です。BaBarグループは現在までのところ、この崩壊では「CP対称性の破れ」は無いとしています。しかし統計のゆらぎによる測定誤差は両グループともまだ大きく、このため、お互いの結果が矛盾するとはっきり言うことはまだ出来ません。もしかするとBelleの結果が統計のゆらぎによって実際より大きく出て、BaBarの結果は反対に小さい方にゆらいでいるのかもしれないのです。両グループのデータ量がさらに増えるにつれて、この違いは近い将来解消されるはずだと考えられています。
今日は実験データを増やし、絶えず解析を積み上げて「CP対称性の破れ」に迫るBelle実験グループの最新発表をお知らせしました。興味を持たれた方は、これまでに関連してお話ししてきた記事も参考にしていただければ今回の発表の重要性がより理解出きることでしょう。
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[図1] |
B0 → π+π-(△)と反 B0 → π+π-(○)事象の崩壊時間分布。時間の単位はピコ秒(1兆分の1秒)。
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[写真1] |
Belle測定器 |
KEKB加速器で生成されたB中間子と反B中間子対の崩壊を精密に測定する巨漢測定器。 |
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[図2] |
Belle測定器で観測された崩壊事象 B0 → π+π- |
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[写真2] |
実験中は24時間体制でKEKB加速器やBelle測定器の監視が行われる。写真は、Belle制御室内の様子。 |
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[写真3] |
KEKB加速器の世界最高性能達成を祝しての記念撮影。中央にはKEKの菅原寛孝機構長と昨年のノーベル物理学賞受賞者の小柴昌俊東大名誉教授、1976年の受賞者パートン・リヒター元SLAC所長が並ぶ。
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