加速器から発生する放射光という光を使って物質の極微の構造を調べる研究についてはこれまでにも何度かお伝えしました。KEKの放射光研究施設(Photon Factory)で開発された新しい実験方法で、触媒反応が段階をおって進んでいく様子をとらえることに成功したという、最新の研究成果についてご紹介しましょう。
触媒とは
小学校の理科の実験で酸素を作ってみたことのある人は多いと思います。オキシドール(過酸化水素水)に二酸化マンガンという物質を加えると、酸素がブクブクと発生します。過酸化水素水は二酸化マンガンと接触することによって、酸素と水に分解されるわけですが、二酸化マンガンは過酸化水素水と反応したあと、別の物質に変わるのではなく、元に戻ります。この二酸化マンガンのように、反応の前と後で状態が変わらないけれど、他の物質が化学反応を起こすことを助ける物質を触媒(しょくばい)といいます。
触媒は化学反応の速度を制御したり、反応から出来る何種類もの物質の中から特定の物質を選択的に作ったりという重要な役割を果たしています。例えばポリエチレンやPET(ポリエチレンテレフタレート)のようなポリマー(重合体)を作る反応、薬を作る反応、自動車や工場の排ガス中の有害物質を分解して取り除く反応など、日常生活と切っても切れない関係にあります。人類や他の生物の中で行われている酵素反応も一種の触媒反応です。
触媒を効率良く使うために
触媒を使った化学反応の効率をあげるためには、触媒をできるだけ微細な粒子にしておく必要があります。こうすれば表面積が増えて、化学反応が起きる機会も増えるわけです。また、アルミナ(酸化アルミニウム)やシリカゲルのように細かい孔があって表面積の大きな物質(担体)に触媒の微細粒子を吸着させ、触媒が塊になりにくい工夫もよく行われています。ところが実際の反応ではそのような工夫にもかかわらず、触媒の細かな粒子がいつの間にかくっついて大きな塊になってしまい、触媒の効率が悪くなってしまうことがしばしばあります。
触媒を細かな状態のままで保つ技術は、化学反応を効率良く進めるためには極めて大事ですが、それにはまず、化学反応のそれぞれの段階で触媒がどのような状態になっているのかを詳しく調べる必要があります。
一酸化炭素がロジウムの塊を崩す
ロジウムは貴金属の一種で、自動車の排ガスに含まれる有害物質を取り除く触媒としてよく使われています。アルミナの表面に吸着したロジウムの塊(クラスター)は、一酸化炭素(CO)を吸着するとロジウム原子とロジウム原子の間の結合が切れて、バラバラの状態(モノマー種)になるという特殊な性質を持つため、多くの注目を集めていました。なぜロジウムは一酸化炭素によってバラバラになるのでしょうか?
これまでの研究方法では、物質が反応を起こす前と起こした後でどのように変化したかを捉えることはできても、実際に化学反応を起こしている最中にはどのような状態なのか、直接情報を得ることは難しいとされてきました。そこで考えられたのが時間分解XAFSという方法です。
時間分解XAFS
XAFS(ザフス)はX線吸収微細構造(X-ray Absorption Fine Structure)の通称で、入射するX線のエネルギーを変えながら物質による吸収の具合を測定する実験方法です。このように、入射する光のエネルギーの関数として、その応答(この場合は物質による吸収)を測定したものをスペクトルと呼びます。XAFS測定で得られたスペクトルを解析すると、試料の化学的な状態や構造を求めることができます。
図1は通常のXAFSの装置です。放射光はいろいろな波長の光を含んだ光ですので、まず、モノクロメーターと呼ばれる装置に光を通し、特定のエネルギーの光だけを取り出します。X線領域のモノクロメーターは通常シリコンなどの結晶を利用しています。結晶を回転させて結晶に入射するX線の角度を変えれば、出てくるX線のエネルギーを変えることができます。この装置でXAFSスペクトルを得るためには、モノクロメーターを少しずつ動かしてX線のエネルギーを1点1点変えながら測定する必要があります。このため1つのスペクトルを測定するのに最低でも10数分かかり、これでは触媒の反応過程を追うことができません。
KEKの放射光研究施設では、図2のように、エネルギーの違うX線を違う場所に飛ばして、それぞれの場所ごとに測定できるような検出器で測定する方法を開発しました。この方法では、モノクロメーターの代わりに、ポリクロメーターと呼ぶ湾曲したシリコン結晶を用いています。結晶が湾曲しているため、結晶上の位置によって放射光が違った角度で入射することになり、結果として出てきたX線は、まるで虹のように連続的ないろいろな波長(エネルギー)を持っています。この放射光の虹が1点に集まるところに試料を置くと、虹がいっぺんに試料の1点に入射し、試料を通って広がったところでそれぞれ別々に測定できるので、一瞬のうちにスペクトルを取ることができます。装置に改良を重ねることによって、100ミリ秒(0.1秒)でスペクトルを取ることができるようになり、反応の途中の状態を刻々と観測することができるようになりました。時間を細かく分割して調べることができる方法として、「時間分解」XAFS法と呼ばれています。
アルミナ上のロジウム触媒と一酸化炭素の反応のリアルタイム追跡
一酸化炭素がロジウムの塊を壊す反応の謎を解くため、アルミナの表面に吸着したロジウム触媒に、室温で一酸化炭素をさらして反応させ、反応の様子を時間分解XAFS法で追いました。
図3は,0.1秒ごとに測定したXAFSスペクトルの時間変化です。全体の図では分かりにくいですが、右下の時間帯を区切った拡大図を見ると、反応開始後0.8秒から3秒の間と、3秒後から6秒後の間にそれぞれ一連の反応を行っていることが読み取れます。さらにこの図よりもっと高いエネルギー領域のスペクトルを精密に測定し、その信号を解析すると、図4のような動径分布を得ることができます。これはひとつのロジウム原子から見たときに、どれくらい離れた場所にどういった原子がどれ位あるかを示しています。一酸化炭素を導入する前(図4の「0秒後」に相当)は、ひとつのロジウムの周りには5個のロジウムが0.265ナノメートル離れたところに、さらに平均1.6個の酸素が0.213ナノメートル離れたところに観測されます。最初の0.6秒までは顕著な変化が見られませんが、反応の進行とともに構造の変化が見えてきます。
このデータから推定される反応過程を図5に示します。一酸化炭素を導入する前は、アルミナ表面上に1層目に7つ、二層目に3つのロジウム原子からなるクラスターを形成しています(図5A)。一酸化炭素導入後0.6秒経つと、ロジウムのクラスターに一酸化炭素が部分的に配位し(B)、2秒後にはロジウム一個に対して一酸化炭素一分子となるまで吸着し、ロジウム間の結合が切れます(C)。その後さらに時間が経つと一酸化炭素は飽和吸着し、ロジウムはアルミナ表面の酸素原子とより強く結合しながらモノマーとして分散されます。このように、アルミナ上のロジウム触媒がバラバラの状態になるのに、一酸化炭素がどのように関与しているかを細かく追跡することができました。
この研究は、東京大学理学研究科の岩澤康裕教授と大学院生の鈴木あかねさん、KEKの野村昌治教授らの共同研究として行われたものです。
時間分解XAFS法の将来
この方法は今後、PF-AR(アドバンストリング)に設置されたテーパードアンジュレータという特殊な挿入光源により強度の高いX線を利用し、またより短い時間で反応できる検出器を利用することによって、もっと細かく時間を分解できるようになることが期待されています。小さな分子たちが巧妙にいろいろな仕事をこなす姿を、刻々と見ることができるようになるでしょう。
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[図1] |
一般的なXAFS(ザフス)実験法の装置。モノクロメーターを動かして試料に入射するX線のエネルギーを変えながら1点1点測定し、スペクトルを得る。 |
[拡大図(60KB)] |
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[図2] |
時間分解XAFS実験法の図と装置写真。放射光は湾曲したシリコン結晶(ポリクロメーター)で連続したエネルギーを持つ「虹」に分けられ、試料に1点で集められる。試料を透過したX線はまた広がりはじめるので、一次元X線検出器でそれぞれのエネルギーのX線の透過X線強度を測定することができる。 |
[拡大図(36KB)] |
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[図3] |
ロジウムのX線吸収スペクトルの時間変化。測定開始 (0s) から6秒後 (6000ms) までの時間変化が重ねて描かれている。23234電子ボルト付近と23238電子ボルト付近に吸収量が変化しない場所がある(拡大図1と2)。このことから測定中に二種類の化学的状態の間を変化していることがわかる。 |
[拡大図(29KB)] |
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[図4] |
測定された吸収スペクトルの時間変化から、原子の距離の時間変化に換算したもの。実験前は1個のロジウム原子の回りに5個のロジウム原子が0.265ナノメートルのところに、1.6個の酸素原子が0.213ナノメートルにあったのが、反応の進行とともに構造が変化している様子が見える。 |
[拡大図(45KB)] |
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[図5] |
図4の解析から推定される、ロジウム原子のクラスターと一酸化炭素分子の反応過程。 |
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