私たちが住んでいるのは3次元の世界です。ボールを投げたり、紙飛行機を飛ばしたりする時、ボールや紙飛行機は、縦、横、高さ、という、3次元の世界の運動法則に従います。
ものに電気が流れる時、物体の内部では原子の間を電子が運動しています。日本人で2人目のノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎先生は、電子がもし一次元にしか運動できないとすると、とても奇妙な振る舞いが起きることを理論的な計算から予言しました。
今日は、放射光をカーボンナノチューブに当てたら、朝永先生が予言したこの特異な状態が現れた、という話題をご紹介します。
日本で生まれた1次元金属の理論
鉄や銅などの金属は電気がよく流れる物質として知られています。この時、金属内部では電子が流れているのですが、この時の電子の振る舞いは3次元金属の性質を表す理論(フェルミ液体論といいます)でよく説明することができます。
朝永先生は、1950年に1次元金属の電子の振舞いを記述する理論(朝永−ラッティンジャー液体論と呼ばれています)を発表しました。それはフェルミ液体論とは全く異なる新しい理論です。
1次元とはどんな世界でしょうか。例えば、私たちが旅行するとします。3次元の世界では目的地にたどり着くためには、高速道路や普通の道路、電車、地下鉄、あるいは飛行機など、いろいろなルートを使うことができます。それに対して1次元の世界では、太さも幅もない1本の線だけの世界です。上のルートでいえば、1車線の高速道路だけしかない、というわけです。急ごうと思って自分の自動車だけがスピードを出せば追突事故を起こします。それでも速く目的地に行きたければ、他の自動車にもスピードアップをお願いして集団暴走するしか手がありません。
1次元金属では、電子(自動車)を高いエネルギー(スピードアップ)に励起しようとすると、他の電子も一緒になって集団励起(集団暴走)が起きます。そのため普通の金属とは全く異なった不思議な性質が現れるのです。詳しい計算によれば、物理的な性質は、べき乗則(Y=Xα の関数形)で表せます。この特異な状態が朝永−ラッティンジャー液体状態です。
カーボンナノチューブの1次元性とは
カーボンナノチューブ(図1)は、1991年に飯島澄男先生が煤(すす)の中から発見した新物質です。炭素原子を直径約1.4ナノメートル(1ナノメートルは1ミリメートルの100万分の1)の筒状に丸めた構造をしています。未来の半導体材料などの広い分野での応用が期待されていることでも有名です。
カーボンナノチューブは円筒形をした2次元構造ですが、問題となるのは電子にとっての次元です。電子の運動は円周方向と軸方向に運動できるので2次元です。電子は波としての性質も持っています。量子力学を適用すると、円周方向は決まった状態だけとなって、電子は軸方向だけしか自由に動けなくなります。言い換えると、チューブ上の電子は1つの通り道だけしか通れなくなります。ですから、3次元の世界でも1次元金属が存在できるという訳です。その最有力候補がカーボンナノチューブなのです。今まで電気抵抗測定という間接的な実験で、カーボンナノチューブの性質が調べられてきました。しかし、その結果は幾通りもの解釈が可能で、朝永−ラッティンジャー液体状態の確認には至っていませんでした。そこで、東京都立大学の石井廣義助教授を代表とする東京都立大学、KEK放射光施設・フォトンファクトリー、奈良女子大学、広島大学のグループは、電子の状態を直接観察することを考えました。
放射光で確認された朝永予言
この実験は、単層カーボンナノチューブを極めて高い純度まで精製し、KEKの放射光研究施設と広島大学放射光科学研究センターの放射光を使って行なわれました。放射光をカーボンナノチューブに当てると、光電効果によって電子が飛び出してきます。その電子のエネルギーを調べると、カーボンナノチューブの中で電子がどのように運動しているのかを直接観察することができるのです。
図2が実験結果です。横軸にフェルミ準位(電子のエネルギーの基準となる位置)から測った電子のエネルギー、縦軸に光電子の放出強度をとって描いてあります。放出強度は電子のエネルギーの0.46乗というべき乗則で表されます。次に、フェルミ準位直上の光電子放出強度がどのような温度変化を示すかを調べたのが図3です。横軸に温度をとって描きました。これも温度の0.48乗というべき乗則で表わせます。
このように、光電子放出強度が、エネルギーと温度に対してべき乗則に乗ることは、朝永先生の理論計算の予想と一致していて、カーボンナノチューブにおいて、朝永−ラッティンジャー液体状態が実現していることを示しています。
この結果は、これまで長い間、架空の世界のものと思われていた朝永先生の予言“1次元電子系の特異な状態”が実際に存在することを確認した世界で初めての実験です。都立大の石井助教授は「この結果は低次元電子系の多彩な物理のほんの一部を明らかにしたに過ぎません。今後の研究が、低次元電子系の多彩な物理の理解につながることに期待し、そして、ナノテクノロジーに新たな可能性を開く手がかりになればと思っています。」と語っています。
この成果は2003年12月4日発行の英国科学雑誌ネイチャーに掲載されました。
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[図1] |
炭素原子からなる2次元六員環ネットワーク1枚を筒状に丸めた構造をもつ単層カーボンナノチュープの模型。 |
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[図2] |
カーボンナノチューブと金(3次元の金属)の光電子スペクトル。金のスペクトルは、3次元金属の特徴(フェルミ準位で飛びのあるフェルミ分布関数)を示しています。 |
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[図3] |
フェルミ準位直上の光電子放出強度の温度変化。40K(マイナス233度C)より低温では、より良い分解能で観察する必要があります。 |
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[図4] |
写真はKEKの放射光研究施設。今回の実験に利用したビームラインBLー11D。 |
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