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last update:06/01/12  

   image 放射線の量を予測する    2006.1.12
 
        〜 応用分野が広がるGeant4 〜
 
 
  シミュレーション、あるいはシミュレータという言葉を聞くと何を思い浮かべますか。皆さんのパーソナルコンピュータに入っている宇宙基地を舞台にした戦略ゲームだったり、あるいは地球環境を計算機内で再現させようとする地球シミュレータというかたもおられるでしょう。実験研究の目的でシミュレーションを行なう場合、対象の実物模型を作成して行なうこともあれば、コンピュータを使って仮想的に行なう場合もあります。最近はコンピュータ性能の発達にともない、シミュレーションとコンピュータは不離一体となってきています。この記事では高エネルギー実験で実験結果を導くにあたって不可欠なコンピュータ・シミュレーションが、医療や宇宙分野での様々な問題解決に広く使われていることを紹介しようと思います。

Geant4シミュレータってなあに?

高エネルギー実験では目で見えない素粒子反応を様々な粒子検出器を組み合わせることにより観測します。例えば、物質の重さの起源と考えられる未発見のヒッグス粒子探索の場合を例にとりますと、図2に見るように多くの粒子検出器から構成される巨大で複雑な測定器が必要となります。実験を行ない、素粒子理論が予測するヒッグス粒子が実際に存在するかどうかを検証するには、ヒッグス粒子が既知の素粒子へ崩壊反応する事象がどのように測定器で観測されるかを正確にコンピュータ・シミュレーションする必要があります。これは測定器シミュレーションとよばれ、電子、ミューオン、陽子、パイ中間子などの既知の様々な素粒子と測定器を構成する検出器の種々の物質との相互作用の詳細な知識をもとに作成されています。実験での観測結果とシミュレーションの結果を比較することで、ヒッグス粒子が発見されたかどうかを判断するわけですから、測定器シミュレーションは測定器そのものと並び重要なものなのです。

Geant4はこの測定器シミュレーションを作り上げるためのソフトウェアです。そこには、今までの実験および理論から得られた素粒子と物質の相互作用の知識が集大成されています。素粒子の電磁相互作用、ハドロン相互作用、弱い相互作用を非常に広いエネルギーにわたり正確にシミュレーションする物理過程記述プログラム、複雑な測定器の幾何学形状の記述、様々な物質の化学組成の記述、あるいはシミュレーション結果を可視化するツール等が、誰でもがどのような実験装置にも応用できるような形で用意されています。Geant4は今から約10年前にKEKをはじめとする日本の高エネルギー研究機関の研究者とヨーロッパの高エネルギー実験研究所であるCERNの研究者が中心となり開発を開始したもので、当時としては非常に斬新なソフトゥエア開発手法であったオブジェクト指向技術を駆使し、国際協力でのソフトウェア開発という、これも当時としては非常にチャレンジングな環境での開発プロジェクトでした。1998年末に初版のプログラムが世界の高エネルギー実験研究者に対して公開され、その利用は急激に広まり、現在では世界の主な高エネルギー実験グループはすべてGeant4を測定器シミュレーションとして使っています。現在、Geant4は国際協力のもとで世界の主な高エネルギー研究機関からの100人以上におよぶ研究者、エンジニアにより定常的に維持改良が続けられており、物理過程記述プログラムの様々な実験グループによる広範な正当性検証とあいまって、その信頼性は確固としたものになっています。

DNAの世界とのかかわり

さて、この高エネルギー実験のためのシミュレーションプログラムがどうして、遺伝情報の担い手であるDNA、デオキシリボ核酸(図3)の世界とかかわるかということに話を移しましょう。がん治療に放射線が使われることはみなさんご存知とおもいます。治療線源としてはX線、γ線、電子が広く使われていますが、高エネルギー加速器からの陽子やイオンも使われます。特に陽子、イオン粒子を用いた治療は日本が得意とするところで、例えばKEKの陽子加速器ブースターを用いた陽子治療は約20年以上前に開始されましたし、千葉にある放射線医学総合研究センターのHIMACイオン加速器は世界で非常に数少ない実用治療装置です。

放射線でがんを治療できる理由は、放射線がDNA損傷をおこさせることにあります。治療線源からの放射線が細胞内のDNAを通過する際、そのエネルギーの一部をDNAに付与し、それにより原子が電離され、それがDNA鎖の切断を誘起します。正常細胞はこのDNA損傷を修復する機能が高く、細胞が損傷により死ぬ確率は低いのですが、がん細胞の場合は修復機能が低く、細胞死の確率が高くなり、この差ががん治療に用いられるわけです。

実際の治療では、放射線をどのくらいの量、どのような時間間隔で、そしてどのような方向から照射するのがもっとも治療に効率的かを決めなければなりません。がんは一つ一つが全て異なっているわけですから、これらの条件はそれぞれについて決定する必要があり、その基礎となるのは、がん細胞および正常細胞へ治療放射線が与える線量の正確な計算値です。Geant4の物理過程記述プログラムは素粒子だけではなくイオンと物質の相互作用記述も正確に扱えますから、それを利用して治療に使われる様々な放射線の人体に対するエネルギー付与を医療が必要とする精度で計算できます。また、人体を含む複雑な形状を柔軟に記述できる機能がここでは重要な役目をはたします。

現在、Geant4は世界各国の医療関係者により使われており、今まで実際の治療に使用されていた線量計算の妥当性を検証したり、あるいは新しい放射線治療手法の開発や、治療用の加速器の設計などに応用されています。国際的なユーザ組織も作られています。また、DNA損傷の基礎過程のシミュレーションをGeant4に直接、組み込む試みも始まっています。図4にHIMACからの炭素イオンビームの水中でのエネルギー線量の測定値をGeant4が再現している様子を示します。

宇宙空間とGeant4

DNAの世界から宇宙へと目を広げてみましょう。地上から400km上空には、日本、アメリカ、ヨーロッパなど世界15カ国が共同建設している国際宇宙ステーション(ISS)が周回しています。そこには現在2人の宇宙飛行士が常に滞在し、宇宙空間での実験など様々な活動をしていることは、スペースシャトルで野口飛行士がISSを訪れて常駐飛行士と握手を交わしたことなどで皆さんご存知だと思います。

人間が地上を離れ宇宙に出た場合、健康面から考慮しなければならないリスクの中に放射線被ばくがあります。被ばくの原因となる放射線は宇宙線、太陽表面のフレアから出る陽子、地磁気に補足されている荷電粒子などです。地上にいれば大気層がこれらの放射線の多くを遮蔽し人類を守ってくれているのですが、宇宙空間ではこの遮蔽が無いことが問題なのです。ISSなどで宇宙に長期間滞在するとなると、被ばくによる発がんのリスクが高くなるわけで、その対策は非常に重要となります。その対策を考えるにあたりGeant4が使われます。

DNAとGeant4の関係で説明しましたように、放射線はDNAを損傷させるので、その損傷の割合が正常細胞の修復機能を上回ってくると発がんのリスクが高まります。そこで、ISSに搭載する実験室や飛行士の居住空間の放射線防御設計が非常に重要になります。ここでもGeant4が備えている各種放射線と物質との相互作用記述能力がその力を発揮するところです。ISSの複雑な構造を柔軟に記述できる機能とあいまって、Geant4は宇宙研究での強力なシミュレーションプログラムになっています。図5、6にISSの完成図とそれをGeant4で記述したものを示します。複雑なISSの構造をGeant4で記述し、宇宙空間の放射線がISS内にどう影響するか、また、どのような放射線遮蔽材をどのように配置するのが適切かをシミュレーションで決定しています。

この宇宙空間での放射線防御は、日本、米国、ヨーロッパ等で計画されている、月面、あるいは火星面での基地計画の検討においても重要な問題ですが、ここでもGeant4が使われています。図1はヨーロッパ宇宙局の火星基地計画に関する予想図なのですが、この図を冒頭に示した理由は、Geant4によるシミュレーションがこれを実現するのに重要な役割を果たすことを示すためでした。

このニュースでは高エネルギー実験で使われるGeant4シミュレーションが全く異なった分野で用いられていることを紹介しましたが、これは基礎科学の知識が予測しない方向へと波及し利用されていく一つの例です。なお、Geant4に関する総合論文はエルズビエール出版社が発行している自然科学、医学、宇宙などに関連する180以上の学術誌に掲載されている全論文のなかで、もっともよく購読されているものの5位(2005年11月集計)にランクされました。



※もっと詳しい情報をお知りになりたい方へ

→日本Geant4ユーザ会のwebページ
  http://www.geant4.org/G4UserGroup/ja/
→Geant4グループのwebページ
  http://geant4.web.cern.ch/geant4/(英語)

→関連記事
  ・02.03.22
    測定器内の素粒子の動きを再現 〜Geant4ユーザー研究会から〜

 
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[図1]imageESA / AEOS - Medialab
ヨーロッパ宇宙局の火星基地プロジェクト(オーロラプロジェクト)で飛行士が火星面でロボットを用いて作業をしている想像図。この図とGeant4シミュレーションの関係については、本記事を最後までお読みいただければ分かります。
拡大図(52KB)
 
 
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[図2]imageアトラスグループ
New@KEKの2005年12月15日の記事に紹介されている、LHC加速器アトラス実験測定器をGeant4シミュレーションで記述したもの。
拡大図(68KB)
 
 
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[図3]imageNature
DNA、デオキシリボ核酸
拡大図(88KB)
 
 
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[図4]image群馬大学 医学部 遊佐顕氏
放射線医学総合研究所(千葉市)の重イオン加速器で測定された炭素イオンの水中での深度線量分布をGeant4がシミュレーションで再現した結果をしめす。黒点および緑線がデータ、その他の点がGeant4が用意している各種の物理過程モデルでシミュレーションした結果。図の右に見える鋭い山はBraggピークとよばれ、イオン治療において重要な役目をはたす。Geant4はこのピークを正確に再現している。
拡大図(22KB)
 
 
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[図5]imageESA
国際宇宙ステーション(ISS)の完成予想図
拡大図(79KB)
 
 
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[図6]
imageTore Ersmar氏-KTH、ESA Contract 15613/01/NL/LvH、 "Simulation of the Radiation inside the ISS and Calculation of Doses"
国際宇宙ステーション(ISS)をGeant4で記述したもの。ISSの複雑な構造が詳細にシミュレーションに組み込まれている。これを用いて宇宙放射線の実験棟や飛行士居住空間の放射線防御の構造の設計が行なわれている。
拡大図(34KB)
 
 
 
 
 

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