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湯川博士生誕100周年 2007.1.11 |
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〜 原子核をつなぎとめる中間子 〜 |
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2007年は湯川秀樹博士(図1)の生誕100周年になります。戦後間もない1949年、日本人として初めてノーベル賞を受賞した博士の業績と人柄は、戦争で荒廃していた人々の心に勇気と希望を与えました。博士が提唱した中間子理論についてご紹介しましょう。 小さなものにこだわる 湯川秀樹博士は農商務省地質調査所に勤務する地理学者の小川琢治の三男として、1907年に生まれました。本好きの父親と母親の影響を受けて、兄弟は自主的にいろいろな本を読んで勉強をするようになったといわれています。 そんな中で博士は物理学に強い興味をいだき、「物質はどこまで小さくすることができるのか」というテーマで、兄と激論を交わしたことがある、という逸話が伝えられています。 京都大学で物理学を学び、結婚後に大阪大学と京都大学に職を得た博士(図2)は、当時知られていた原子核の中にある陽子と中性子をつなぎ止めている力の正体について、考えを巡らせていました。 原子核をつなぎとめる力 英国の物理学者ラザフォードがアルファ線を金箔にあてる実験から原子核を発見したのは1911年のことです。原子の大きさを野球場に例えると、原子核はパチンコ玉ほどの大きさしかないことがわかったのです。 原子核の狭い空間にはプラスの電荷を帯びている陽子が原子番号と同数、閉じ込められています。1932年には英国の物理学者チャドウィックが中性子を発見しますが、中性子は電荷を持たないので、プラスどうしで強く反発するはずの陽子がどうやって原子核の内部に閉じ込められているのかは謎のままでした。 1934年になって湯川博士は陽子と中性子を結びつける新しい種類の粒子があれば、陽子と中性子を強く結びつけることが出来る、という理論を提唱しました。この粒子が媒介する力は電気や磁気の力と違って、原子核内の短距離でしかはたらきません。このことから、博士は未知の粒子の重さを電子の200倍ほどと予言しました。陽子や中性子と電子の中間の重さをもつこの粒子は「中間子」と呼ばれるようになりました。 陽子と中性子が中間子をキャッチボール 中間子理論のポイントは、当時知られていた陽子と中性子の間の力を媒介する新しい粒子の存在を予想したことです。陽子と中性子が力の粒子をキャッチボールすることで、陽子が中性子に変わったり、中性子が陽子に変わったりします(図3)。これによって陽子や中性子は原子核の内部につなぎとめられるのです(図4)。 発表当時、未発見の粒子を使って原子核の内部の力を説明する湯川博士の理論はあまり注目されませんでした。 ところが1937年になって、宇宙線の中から湯川博士が予言したのと似た重さを持つ粒子が発見され、博士の論文は一躍有名になります。その後、宇宙線で発見されたのはミュー粒子という電子の仲間の素粒子で、予言されていた中間子ではないことがわかりましたが、1947年に英国の物理学者パウエルが原子核乾板とよばれる実験手法によりこの中間子を見つけました。このことから湯川博士は1949年、パウエルは1950年にそれぞれノーベル物理学賞を受賞しています。 力を媒介する粒子が重さを持つと、力の及ぶ範囲が限定されます。このような力を生成する場のことは現在では「ユカワ・ポテンシャル(図5)」と呼ばれ、今でも物性物理学などの理論的な計算に使われています。
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