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加速器研究施設トピックス 2010/08/30

〜KEK電子陽電子入射器による3リング同時トップアップ入射の実現〜


1. 入射器とは?

KEKつくばキャンパスでは、高エネルギー物理学実験のためのKEKB1電子・陽電子リング(周長約3 km)、放射光利用実験のためのPF2(周長187 m)およびPF-AR3(周長377 m)リングが稼働しています。KEKの電子陽電子入射器は全長約600 mの線形加速器であり、これら4つのリング型加速器へ電子あるいは陽電子ビームを供給しています<図1>。入射器の最下流はビームスイッチヤードと呼ばれ、その名の通り鉄道の操車場のようにビームを振り分け、それぞれのリングへビームを入射しています<図2>。

<図1> KEK入射器(LINAC4)と4つのリング型加速器
<図2> 入射器最下流のビームスイッチヤードにおけるビームの振り分け

1) KEK B-factory
2) Photon Factory
3) Photon Factory Advanced Ring for pulse X-rays
4) LINear ACcelerator


2. ビームを入射する

1台の入射器で、4つの異なるリングへビームを供給する必要があります。さらに、各リングに必要とされる入射ビームの主要パラメーターは、<表1>の ように異なっています。異なるエネルギーのビームを効率よくリングへ入射するためには、各ビームに最適な入射器パラメータを設定する必要があります。入射器パラメータとは、電磁石(500台以上)の磁場や制御機器へのタイミング信号(200個所以上)などの設定値です。入射器は、最大50 Hz(1秒間に50回)でビームを生成・加速することが可能ですが、ビーム入射先のリングを変更する場合には入射器パラメータを変更する必要があります。このようなパラメータ変更には、5分以上必要な場合もありました<図3>。<図4>は、2000年5月のKEKB電子・陽電子リングの典型的な運転例(24時間)を示しています。ビーム入射は約90分ごとにおこなっていたため、リングに蓄積している電流値ひいてはルミノシティー5が徐々に減少してしまいます。ルミノシティーは、衝突型加速器性能の指標であり、高い実験効率(単位時間当たりに得られる実験データの量)を高めるためには高いルミノシティーを長時間保つことが必要となります。
<図5>は、PFリングの蓄積電流値の例(24時間)を表しています。PF(およびPF-AR)リングへは、1日2回(場合によっては3回以上)の定時刻入射をおこなっていました。KEKBリングと同様に、放射光リングの蓄積電流値が減少すると、得られる放射光強度も減ってしまい、実験効率が落ちてしまいます。2005年には、KEKBリングへの連続入射を開始しました<図6>。これは、入射器パラメータを頻繁に変更し(数分ごとに)、電子・陽電子リングへ交互にビームを継ぎ足す方式の運転です。ルミノシティーの低減はかなり改善されましたが、積分ルミノシティーのさらなる向上や調整効率向上のため、蓄積電流値をより一定に保つことが望まれていました。また、これと同時に、PFリングへのトップアップ入射運転6への要望も高まっていました。

5)KEKBリングのルミノシティーは、瞬間値・積分値共に世界最高記録です。
6)常にビームを入射し続けて、蓄積電流値を一定に保つ運転のこと。トップオフ入射と呼ばれることもあります。

<表1> 入射ビームのエネルギーおよび電荷量

  エネルギー (GeV*) 電荷量 (nC**)
KEKB電子 8 1
KEKB陽電子 3.5 1***
PF 2.5 0.1
PF-AR**** 3 0.2

*) G(ギガ)は109、eV(エレクトロンボルト)はエネルギーの単位である電子ボルトを表しています。8 GeVは、80億電子ボルトに対応します。
**) n(ナノ)は10-9、C(クーロン)は電荷量の単位です。1 nCの電子ビームには、約62億個の電子が含まれています。
***) ただし、陽電子生成用一次ビームには、3.7 GeV・10 nCの電子ビームを使用します。
****) PF-ARリングでは、3 GeVで入射された電子ビームがリングの中で6.5 GeVまで加速されます。



 
<図3> 従来の入射器ビーム運転概念図

KEKB-HER (High Energy Ring): KEKB電子リング
KEKB-LER (Low Energy Ring): KEKB陽電子リング



<図4> KEKBリングの蓄積電流値およびルミノシティー(24時間)
電子(上段)、陽電子(中段)リングの蓄積電流値、およびルミノシティー(下段)
<図5> PFリングの蓄積電流値(24時間)

 

<図6> KEKB連続入射時の蓄積電流値およびルミノシティー(24時間)

3. 入射器アップグレード

このような要求から、2004年6月より、KEKB電子・陽電子、およびPFリングへの3リング同時トップアップ運転のための入射器アップグレードが始まったのです。
それは、50 Hzごと(20ミリ秒間隔)に電荷量の違うビームを異なるエネルギーまで加速し、それぞれのリングへ入射するという、入射器にとっては大きな挑戦でした。

入射器パラメータの高速切り替え
同時トップアップ運転のためには、入射器パラメータを20ミリ秒ごとに切り替える必要があります。まずは、ビームエネルギーの高速制御について検討しました。入射器では、クライストロンと呼ばれるパルス駆動の大電力高周波(RF)発生装置(パルス幅4マイクロ秒)からの出力電場を利用して、電子あるいは陽電子ビームを加速しています。RF電場によるビーム加速では、ビームとRFの位相速度を同期させています<図7>。実際の運転では、ビームの電荷量に依存して最適な加速RF位相が変化します。また、電子と陽電子では電荷の符号が逆であるため、加速RF位相は180度異なっています。このようなRF位相の制御には、クライストロンを励振している低電力RFの位相を高速制御する方式を採用しました。
当初、最も困難と思われたことは電磁石磁場の高速制御でした。入射器の電磁石電源はほぼ全てがDC電源であり、20ミリ秒ごとの設定値変更など到底不可能です。全ての電磁石電源をパルス電源へ置き換えることは、コストの面からとても現実的とは言えません。そこで私たちは、「異なるエネルギーのビームに対して、互換性のある磁場設定値はないか?」と考え始めたところ、見事にそのような解が見つかりました。最もエネルギーの違いが大きいビームは、KEKB入射用8 GeVとPF入射用2.5 GeV電子ビームです。ビームエネルギーの調整は、ビーム加速に使用するクライストロンの数を変化させておこないます。つまり、ビーム加速に不要なクライ ストロン出力は、意図的にビームとのタイミングをずらすことになります。<図8>は、入射ビームごとのエネルギー変化の違いを表しています。PF用の2.5 GeVビームも、入射器前半では入射に必要なエネルギー以上に加速します。その後、しばらくの間は加速せず、入射器後半で必要なエネルギーまで一気に減速しています。このように、異なる入射ビームに対しても、なるべく同じエネルギーになる領域を増やすことで、共通の電磁石磁場値を用いたビーム輸送が可能となります。入射器後半では、エネルギーが異なる3種類のビームに対して「中庸な電磁石磁場値」を用いることにしました。

<図7> RF電場によるビーム加速
<図8> 入射ビームごとのエネルギー変化の違い
縦軸はビームエネルギー、横軸は入射器最上流からの距離

イベントタイミングシステムの導入
高速ビームエネルギー制御のためには、クライストロンを制御するためのタイミング信号やRF位相の高速制御が必要となります。これまで入射器で使用していたタイミングシステムでは、50 Hzごとに設定値を変更することは不可能でした。そのため、イベントシステムと呼ばれる新タイミングシステムを導入しました。これは、イベントジェネレーター(親機)とイベントレシーバー(子機)が光ファイバーで接続され、親機で設定したイベントに対応したタイミング信号を子機から生成する装置です。
イベントごと(例えば、KEKB電子ビームやPFビームなど)に、異なるタイミング信号を関連づけることにより、50 Hzごとのビームエネルギー変更が可能となりました。入射器では、VME64xバス6のイベントジェネレーター1台、レシーバー21台を導入しました。また、何台かのVMEバスにはDACボード7が装着され、RF位相を高速に制御するためのアナログ信号を出力しています。

<図9> イベントタイミングシステムの写真

6)コンピューターのバス規格の一つです。加速器制御の分野では、VME規格の計算機システムが広く使用されています。
7)Digital-to-Analog Converterと呼ばれる、デジタル信号をアナログ信号へ変換するための回路です。

新PF-BTとパルス偏向電磁石
PF入射のための入射器パラメータ変更には、5分以上の時間が必要でした。これは主に、入射器下流に設置されたECS(Energy Compression System)と呼ばれるエネルギー広がり圧縮用電磁石の設定値変更に時間がかかるためです。
入射器とリングを繋ぐビーム輸送路は、Beam transport(BT)と呼ばれますが、従来のPF-BTはECSの下流に設置されていました。ECSの設定変更を避けるため、<図8>のような新しいPF用BTを建設しました。また、PF入射ビームを選択的にBTへ導くため、<図9>のようなパルス偏向電磁石を設置しました。

<図10> PF-BTとECS電磁石
<図11> パルス偏向電磁石の写真

孔空き陽電子生成標的とパルスステアリングマグネット
陽電子ビーム入射は、高エネルギーかつ大電荷量の一次電子ビームを陽電子生成標的である重金属に衝突させた後、電磁シャワーによって得られる陽電子のみを捕獲および加速することによって実現しています。入射器では、10 nCの電子ビームを3.7 GeVまで加速し、タングステン標的へ衝突させています。これまでの運転では、電子と陽電子ビームの切り替えは、タングステン標的をビームラインへ機械的に挿抜することによっておこなっていました。機械的な出し入れのため、もちろん高速な制御は不可能です。また、ベローズと呼ばれるダクト部分が挿抜のたびに伸縮するため、その寿命も問題になります。
当初は、陽電子生成標的を迂回するための新ビームライン建設を検討していましたが、コストの面のみならず、スペースの観点から非常な困難を伴うことが判明しました。そのため、<図12>の写真にあるような孔空き標的の利用を考えつきました。標的自身はビームラインへ挿入したままで、陽電子ビーム生成のためには一次電子ビームを標的へ衝突させます。一方、電子ビームを輸送する際には、<図11>のようにパルスステアリング電磁石でバンプ軌道を作ることにより、標的横の孔を通過させるという方法です<図13>。電子ビームが上手く孔を通過できるか不安でしたが、<図14>のように、孔を通した場合のビームロスは実用上問題にならないくらい少ないことが実証されました。

<図12> 孔空き陽電子生成標的(タングステンW)
<図13> 電子・陽電子ビームの高速切り替え運転

 

 
<図14> 従来の方法(上段)と孔を通過させた場合(下段)のビーム軌道および電荷量

3リング同時トップアップ入射の実現!!!
上記のような種々のサブシステムの開発・試験を完了し、2009年4月より、いよいよ3リング同時トップアップ入射の営業運転が始まりました<図15>。<図16>および<図17>は、同時トップアップ運転時のKEKB、PFリング蓄積電流値を示しています。KEKB、PFリングの電流値変動は、それぞれ0.05%、0.01%程度に抑えることが可能となりました。
残念ながら今回のアップグレードでは、PF-ARリングへの入射は従来通りの遅い切り替え方式のまま残りました。これは、新しいAR-BT建設にはかなりの予算が必要となるためです。そのため、1日2回のPF-AR入射のため、それぞれ約15分間は同時トップアップ入射が中断されてしまいます。しかしながら、KEKB・PFリング共に、以前の運転と比較すると格段に実験効率が向上したことは一目瞭然です。こうして入射器アップグレードは、当初の目的を達成することができました。

<図15> 3リング同時トップアップ時の入射器ビーム運転概念図
<図16> 同時トップアップ運転時のKEKBリング蓄積電流値およびルミノシティー(24時間)
<図17> 同時トップアップ運転時のPFリング蓄積電流値(24時間)

4.まとめと今後の課題

新PF-BTの建設を始めとして、イベントタイミングシステム、パルス偏向電磁石、孔空き陽電子生成標的などのサブシステムの開発研究を経て、3リング同時トップアップ運転が実現しました。
これらの成果は、入射器グループのみならず、PF、およびKEKB加速器グループの多くの人々の多大なる貢献により得られたものです。入射器アップグレードプロジェクトは、個々のシステム開発の成果のみならず、他のグループとのチームワークを一段と強化することが出来た点も、大きな成果と言えるでしょう。
KEKBリングの運転は2010年6月末で終了してしまいましたが、現在、SuperKEKB計画へ向けた改造が進んでいます。入射器では、新しい電子銃の開発(低エミッタンスRF電子銃)や陽電子収集システムのアップグレードが大きな課題となっています。また、SuperKEKBでは、KEKBリングと比べてビーム寿命8が1/10程度になることが予想されています。このため、1日2回、たった15分程度のPF-AR入射といえども、KEKB入射を中断することはできません。そのため、PF-AR入射と3リングトップアップ入射を同時に実現するためのアップグレードを検討していますが、詳細については次の機会に紹介したいと思います。

8) 蓄積ビームが真空ビームパイプ中の残留気体と衝突して散乱やエネルギー損失を起こしたり、その他の理由から、物理的またはビーム力学的安定領域から外れることによって、蓄積ビーム電流値が約1/3に減少する時間を意味しています。

〜 記事提供 : 加速器第五研究系 佐藤 政則 氏 〜

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