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加速器研究施設トピックス 2010/10/07

IPAC10 仁科記念講演 〜From TRISTAN to B-Factory〜


第1回世界加速器会議の前日、5月23日に開催された仁科記念講演会「仁科博士生誕120周年記念講演会‐仁科博士と日本の加速器科学の発展」において、理研仁科センターの要請により木村 嘉孝名誉教授による標記タイトルの講演が行われました。ここにアウトラインを紹介致します。詳しくは当日使用したPower Pointのスライドをご覧下さい 。
ppt (Power Point 50.6MB)

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TRISTANは日本最初のビームコライダーである。建設は1981-1986年。最高エネルギーは32GeV電子+32GeV陽電子であり、当時世界最高を誇った。  KEK(当時は高エネルギー物理学研究所)は、1971年国立の大学共同利用機関第1号として筑波に創設され、研究活動の基盤施設となる12GeV陽子シンクロトロン(KEK-PS)の建設も同時に始まった。
しかしKEKが実現したのは、研究者グループや行政当局による長年にわたる議論の末のことであり、この間に基盤となる加速器計画も紆余曲折を経ることとなった。実際研究者グループが最後に提案したのは、当時としては世界最先端となる40GeV陽子シンクロトロン(建設予算約300億円)であったが、結局は予算規模が約1/4に縮小され、12GeV(当初の設計値は8GeV)の加速器施設となった(内容的には異なるが、このエネルギーの陽子シンクロトロンが約40年後にJ-PARCとして実現している)。

(各図クリックで拡大図が開きます)

そこでKEKを始めとする日本の高エネルギー物理学研究者グループは、当初から、建設中のKEK-PSに続く計画のことを考えており、その中で、当時加速器部門のリーダーであった西川 哲治先生の構想がTRISTAN計画であった。この計画にも電子・陽子衝突などいろいろなオプションがあったものの、KEK-PSによる実験研究が軌道に乗ってきた1970年代の終わり頃、いよいよ計画の実現に向けて踏み出す段階で、上記の電子・陽電子コライダーに決まった。
当時の素粒子物理では、標準理論を支持する実験結果が積み上がってきており、そのベースとなる小林-益川理論(1973年)についても注目が集まっていた。そこで日本で素粒子研究のための加速器を建設するとなれば、その目標をこの理論の検証におき、あわよくばその結果をノーベル賞につなげたいと考えるのはごく自然なことであった。
小林-益川理論は、大雑把に言えば、6種類のクォークを仮定し、その量子状態の混合によってCP対称性の破れを説明したものである。実際1970年頃までは存在するクォークは、(u,d,s)の3種とされていたが、小林-益川理論の後1974年には4番目のcクォークが、さらに1977年には5番目のbクォークが相次いで発見された。そこで本理論の完全検証として、6番目のtクォークの発見と、CP対称性の破れが理論どおりに起きていることの証明が残されていた。当時既存の加速器によって、ttの質量は40GeV以上であることが分かっており、理論的には60GeV近辺で見つかるのではないかという予想があった。KEKでこのエネルギーの装置をつくることには、先ず敷地の制限に伴う大きな困難があることは分かっていたが、tクォークの発見がもたらすインパクトの大きさを考え、結局は研究者の総意でこの目標に挑戦することとなった。

一般に電子・陽電子のリングコライダーは、エネルギーの2乗に比例して径を大きくとるのが最も効率がよいとされている。これを30GeVリングに適用すると直径は約3kmとなるが、KEKの敷地には1kmのリングが入るかどうかという状況であった。そこでTRISTANは、膨大な放射光損失を補うために、RFに非常に大きな負担のかかる設計にならざるを得なかった。実際リング設計でも、RF空洞を設置するスペースとして、4箇所のビーム衝突点の両側に夫々97mの直線部が設けられた。またこれに付随して、RF加速装置の開発にも多大のエネルギーを注ぎ込む必要があった。それは常伝導のAPS空洞や世界初の大きなシステムとなる超伝導加速空洞を始めとして、世界最大出力のクライストロン、その電源システム、日本最大規模の液体ヘリウム冷却システムなどに及んだ。

日本最初のビームコライダーということで、他にもいろいろな加速器技術の開発が行われたが、主なものとして、全アルミ合金製真空ビームダクトシステム、ローベータ用超伝導4極磁石、計算機による集中制御システム、ビーム開発のための国産汎用軌道計算プログラムなどがあげられる。

TRISTANは予定通り1986年に完成し、tクォーク探しの実験に入った。しかし程なくして、ttの質量はTRISTANのエネルギー領域より遥かに大きいことが他の実験事実も合わせて明らかとなった。そこでTRISTAN実験と並行して、小林-益川理論検証のもう一つのテーマ、CP対称性の破れを測定する可能性としてBファクトリーについての検討が進められた。それが大きく前進したのは、1980年代後半に出された非対称エネルギーBファクトリー(KEKB、電子8GeV+陽電子3.5GeV)の計画であり、KEKを始め、研究者グループ、行政当局も交えた数年にわたる検討の結果、加速器トンネルを始め、TRISTANの設備、装置を最大限有効活用するという条件で、1994年からKEKBの建設に取り掛かり、TRISTAN実験は1995年で終了させることが決まった。

KEKBでは、必要なビーム電流が、TRISTANの数百倍とこれまでのどのビームコライダーでも実現されたことのない大きさであり、その実現にはTRISTANに勝るとも劣らぬ多くの問題に直面した。しかし最終的にはこれらの困難を克服し1998年に完成、世界最高のルミノシティ(2.1x1034 cm-2s-1)を達成した。実験でも2001年に、小林‐益川理論が予言するCP対称性の破れの観測に成功、結果的にはそれが2008年の小林、益川両氏のノーベル物理学賞受賞につながった。

〜 記事提供 : 高エネルギー加速器研究機構 顧問・名誉教授 木村 嘉孝 氏 〜

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