J-PARCにおいてKEKと日本原子力研究開発機構(JAEA)が協力して最初に製作し設置したのは線形加速器です。長さが約120mの装置で負水素イオンビームを約180MeV(1億8000万電子ボルト、光速の約50%のスピード)の運動エネルギーまで加速しています。ここまでのビーム加速には共振周波数324MHzの高周波四重極型線形加速器(RFQリニアック)とアルバレ型ドリフトチューブ線形加速器(Drift Tube Linac, 以下「DTL」)及び分離型DTL(Separated DTL, 以下「SDTL」)が使用されています。[1] この先に環状結合型線形加速器(Annular-ring Coupled Structure linac, 以下「ACS」リニアック)を更に追加しビームエネルギーを400MeV(4億電子ボルト、光速の約71%のスピード)まで増加させ、より大きい電流のビームを後段のリングに打ち込む準備が進んでいます。ACSリニアックが実用化されるのは世界初です。この時、線形加速器の全長は約250mになります。そしてRCSリングでのビーム出力を目標の1MWまで上げられるようになります。
負水素イオンを180MeVまでの加速をしている主な線形加速器はDTLとSDTLです。どちらも加速する仕組みは同じで、概略を<図1>に示します。図で赤い円はビーム(荷電粒子)の固まりです。矢印は電場の向きでビームの電荷を正とすれば矢印方向にビームは力を受けます。[2] 円筒状の空洞の中は大電力の高周波により中心軸にそって電場が生じますが、その方向は半周期毎に逆転します。電場が進行方向に向いている時にビームは加速されます。しかし電場が進行方向に対して逆向き(図では左向き)の時は減速されてしまうので、この期間は電場をさえぎるドリフトチューブの中をビームは通過しています。そして次のチューブとチューブの間(「加速ギャップ」と呼びます)に顔を出した時にちょうど進行方向(右向き)に電場が向いているように、チューブの長さを決めておきます。すると徐々にビームは加速されます。速度が増えると1周期に進む距離は増えるので、チューブの長さもチューブ間の加速ギャップも長くなります。ところが加速ギャップが広がると電場がビーム軸に集中しなくなってしまい加速効率が下がります。そのため負水素イオンの線形加速器ではビームが光速度の50%位まで加速されると、高速度粒子を効率良く加速できる結合空洞型と言う構造のリニアックへ切り替えます。
<図1>DTL中での加速される荷電粒子と電場の様子 |
一般的な結合空洞型線形加速器は<図2>から<図4>に示したような円筒型の空洞をビーム軸方向に並べた構造をしています。各々の空洞の共振周波数は同じです。こういった共振器が多数連結して全体として共振する場合、隣接する空洞間で振動の基準(「振動の位相」と表現される)が少しずつずれたたくさんの共振パターンが存在します。(個々の円筒空洞が同一電磁場モードの場合)n個の空洞が連結した時はn個の異なる振動パターンがあります。<図2>から<図4>には重要なパターンを示しました。まず<図2>は0モードと呼ばれ、全セルが同じ向きのモード(隣との位相のずれが0なので0モード)です。<図3>は隣通しが逆向きのパターンのモードで、これは位相が180度(=πラディアン)ずれているのでπモードと呼ばれています。そして<図4>は隣との位相のずれが90度の場合(0モードとπモードの中間)でπ/2モードと呼ばれるモードです。π/2モードでは1個おきに電場がない空洞が存在します。
先に説明したDTLは0モードに相当しますが、ドリフトチューブのような遮蔽物を途中に入れないとビーム加速には使えません。しかしπ/2とπモードの場合は長さを合わせれば遮蔽物がなくとも荷電粒子を加速できます。特にπモードは全ての部分で加速できるために加速効率の良さそうです。ところがJ-PARCの線形加速器に採用されているのはπ/2モードなのです。理由は外乱に対して最も強いからです。色々な影響を受けても、しっかりと電磁場のパターンを維持できるからです。[3]
ではどんな外乱があるのでしょうか。まずは実際に空洞を作る時の機械的な誤差です。出来上がった各円筒空洞の形状は設計寸法から少しずれますから個々の空洞の周波数は少しずつ異なります。更に大電力高周波を投入すると空洞は暖まり変形します。もちろん冷却水で熱を取りますが完全ではありません。この変形で更に周波数がずれます。そういった外乱があってもπ/2モードならば加速用の電磁場分布を維持しますが、πモードは大きく分布を乱してしまいます。
<図2>0-モードで共振している結合空洞型加速器内での荷電粒子と 電場の様子の例(初期条件に依存) |
<図3>π-モードの場合 |
<図4>π/2-モードの場合 |
でも<図4>を見て分かるように、π/2モードでは1個おきに加速に使えない円筒空洞(これを「結合セル」、電場のあるのを「加速セル」と呼びます。)があるので、加速効率は下がってしまいます。そこで結合セルの影響を減らしてπ/2モードの加速効率を上げる方法が考案されています:
(1)二重周期型構造(Alternating Periodic Structure, 以下「APS」):<図5>に示したように結合セルの間隔を狭くした構造です。APSはKEKで開発されトリスタン電子・陽電子衝突リングで使われていました。[4] 構造は非常に単純で軸対称性も高いです。ただし、ビーム軸上に結合セルが残っていて効率を少し下げています。
<図5>APSリニアックへの変形 |
(2)側面結合型構造(Side Coupled Structure, 以下「SCS」):<図6>はSCSと呼ばれるアメリカのロス・アラモス研究所で開発された構造で、結合セルを横にずらして加速軸上から完全に除きます。原理も、構造も簡単です。そのためロス・アラモス研究所以外のいくつかの施設で採用されています。ただし結合セルが片側のみにあるため対称性がくずれ加速電場がほんの少しだけ傾いています。そして結合セルが横に出ているので機械的強度が少し弱いそうです。
<図6>SCSリニアックへの変形 |
(3)環状結合型構造(Annular-ring Coupled Structure, ACS):<図7>がJ-PARCが採用したACSで、結合セルを周囲に押し出してしまいます。従って、結合セルは加速セルの周囲を環状に取り巻きます。その結果、構造は複雑になりますが加速電場の対称性は高くなります。更に1枚の円盤に加速セルと結合セルを同時に加工できるので全体の強度もSCSよりも強くなります。ただしSCSより太くて重くなってしまいます。J-PARCでは大強度ビームを安定に加速するため、加速電場の対称性を重視してACSを採用しました。
<図7>ACSリニアックへの変形 |
製作はまず銅の円盤の片面に加速セルの半分を、残りの面に結合セルの半分を加工します。<図8>加速セル数は17なので、この円盤を34枚積み上げてロー付けして加速タンクとします。そして加速タンク2個を橋絡空洞と呼ばれる別の空洞を間に挟んで一体化し加速モジュールとします。<図9>に一体化後の加速モジュールの写真をお見せします。左右が加速タンク、中央の低い位置にあるのが橋絡空洞です。(橋絡空洞は<図4>に示したような単純に円筒を接続したπ/2モードの空洞で2つの加速タンクを結びつけ共振させています。ビーム加速はしていません。)
<図8>ACSリニアックの加工の基準セル。 左:加速セル面 (中央の穴をビームが通過する。そこを取り巻く4個の角穴は結合セルを結ぶスリット。 外の8個の丸穴は真空排気用) 中:加工セルの断面 右:結合セル面 |
<図9>ACS加速モジュール全景。中央部の低い位置にあるのが橋絡空洞。 加速タンク側面の多数の出っ張りは冷却水の出入り口。 |
ACSリニアックの加速モジュールは2012年の夏までに合計21台製作します。既に量産は始まっていて2010年末までに6台が工場からJ-PARCに納入される予定で、その後も月1台のペースで納入されます。入荷した全てのACS空洞には大電力の高周波を投入する試験を行い[5]、空洞の健全性を確かめます。そして地下トンネル内への設置は2012年の夏から秋にかけて行う予定です。従って2012年度中には下流のRCSリング加速器に400MeVの陽子ビームを打ち込めるはずです。そしてRCSからのビーム出力1MWへの挑戦が始まります。
参考:
[1] 現在のJ-PARCの加速器の写真です。 http://j-parc.jp/Acc/ja/sochi.html
[2] 実際に加速するのは負水素イオンであり、正電荷の場合とは逆向きになります。でも、矢印の方向に加速されると説明する方が分かり易いので以下の説明でビームは全て正電荷の粒子と仮定しています。
[3] 池上氏のリニアックの講義録です。 http://accwww2.kek.jp/oho/OHOtxt/OHO-2001/txt-2001-6.pdf
[4] 専門的な説明です。 http://www.kek.jp/hyouka/TRISTANreport/4_2_2.html
[5] 開発の初期に行った短いACSモジュールの大電力試験の様子です。 http://j-parc.jp/ja/news/2006/news-j0606.html
〜 記事提供 : 加速器第二研究系 内藤 富士雄 氏 〜