KEK の電子陽電子入射器において大電流 RF 電子銃の開発が進められていますが、その RF 電子銃から初めて SuperKEKB の主リングに電子を入射することに成功しました。大電流で拡がりの小さな電子ビームを作ることのできる光陰極 RF 電子銃の実現は、SuperKEKB の電子陽電子衝突性能を達成するために重要な一歩となります。
本年の 1 月末から試運転を始めた、KEK の B ファクトリー・アップグレード計画 (SuperKEKB 計画) については、順調に性能向上のための開発研究を進めています。2010 年まで行われた KEKB 計画においては、小林博士と益川博士が提唱した素粒子の標準理論が検証され、さらに宇宙の物質と反物質が同数ではないことに対して、理解を進めることができました。引き続き始まった SuperKEKB 計画では電子と陽電子の衝突性能を KEKB の 40 倍にまで向上させ、宇宙の創生の疑問に答えようとしています。この実験のために電子と陽電子を生成して入射するために、電子陽電子入射器においても、その性能の大幅な向上が進められています。
図1:電子陽電子加速器群の模式図。電子陽電子入射器は約 600 m の長さを持ち、SuperKEKB リング加速器は約 3 km の周長を持つ。
電子陽電子入射器は約 600 m の長さをもち、大電流の電子や陽電子を生成したあと、それぞれ 70 億電子ボルト (7 GeV) と 40 億電子ボルト (4 GeV) まで加速して SuperKEKB リングに入射します。電子と陽電子で異なるエネルギーを用いることによって、衝突時に重心が移動するため、生成される B 中間子の測定が容易になる効果があります。SuperKEKB 計画においては、KEKB 計画に比べて衝突性能を向上させるために、入射する電子陽電子についても電流を増やすと同時に、ビームを細く、拡がりを小さくする必要があります。このことをビーム・エミッタンスを小さく(低く)すると表現します。
このような大電流で低エミッタンスの電子ビームの生成を実現するために、後に説明するような光陰極 RF 電子銃の開発が進められています。また、大電流で低エミッタンスの陽電子の生成については、大電流電子ビームをタングステン金属に衝突させて、発生する陽電子を、新しく開発したフラックスコンセントレータというパルス電磁石によって集めます。大量に陽電子を集めると、陽電子のエミッタンスは大きくなってしまうので、ダンピングリングというリング型加速器をもちいて、低エミッタンスにする予定です。
本年の 6 月末までの最初の段階の試験運転(フェーズ1コミッショニング)が本格化していますが、この期間中には電子陽電子の衝突を予定していないため、低いエミッタンスのビーム入射は必須ではありません。しかし、来年度の後半に予定されているフェーズ2コミッショニングおいては、低エミッタンスの電子・陽電子の入射が必須となります。そこで、フェーズ1コミッショニングの期間中にも、開発中の RF 電子銃による試験入射を行い、開発中の機能の確認を行うことにしていました。
電子を発生する装置を電子銃と呼びます。低エミッタンスではない大電流ビームを生成するためには、これまで高熱の酸化金属から発生する電子を利用した熱電子銃を使ってきました。(陽電子を生成するために使用する一次電子は低エミッタンスである必要はないので、フェーズ2コミッショニングにおいても熱電子銃を使う予定です。)これに対して、光陰極の RF 電子銃は品質の高い、大電流低エミッタンスのビームを生成するために、高強度レーザー・高耐性光陰極・高電界マイクロ波空洞を組み合わせ、それぞれの開発に工夫を凝らしています。
高強度レーザーは、大きく分けてファイバー・レーザー発振器、ファイバー・レーザー増幅器、光パルス整形装置、固体結晶レーザー増幅器、波長変換装置などから構成されています。レーザー媒体としてはイットリビウム (Yb) を含んだ YAG 結晶とネオジウム (Nd) を含んだ YAG 結晶を使用しており、生成された電子ビームのエミッタンスが増えないように、約 1000 億分の 2 秒 (20 ps) の適切な長さの光が必要になります。赤外の波長の高強度レーザー光を作った後で、非線形光学結晶を用いて電子生成効率の高い紫外光に変換します。
生成された紫外光は高耐性光陰極に照射されて、電子を大量に生成します。使用している陰極はイリジウム・セリウムの合金で、電子の生成効率が非常に高いわけではありませんが、真空度などの外的要因に大きく左右されずに電子を生成できることが大きな特徴です。東日本大震災においては、旧熱電子銃の真空が破れ、大きな影響を受けたことが、高耐性合金陰極を選択したひとつの要因になっています。
図3:マイクロ波空洞に取り付けるために、銅製のブロックに嵌めこまれた銀色のイリジウム・セリウム合金の光陰極。
高電界マイクロ波空洞は電子が拡がってしまう前に、直ちに一つの揃った方向へ加速するために用いられます。加速電界が低いと、電子の負の電荷どうしの反発によって、すぐに電子が拡がってしまい、低エミッタンスを実現することができません。そこで、大電流の電子を加速するために都合の良い、結合の強いサイドカップル型の空洞を、さらに単位長さあたりの電界を向上させるために互い違いに 2 系統重ねて、サイドカップル擬進行波型マイクロ波空洞と呼ぶ新しいタイプの空洞を開発しました。
図4:生成された電子を直ちに加速するサイドカップル擬進行波型マイクロ波空洞(銅色の部分)と真空装置。
図5:サイドカップル擬進行波型マイクロ波空洞の断面図。右に光陰極があり、生成された電子は加速されて左から出て行き、次の加速管でさらに加速される。
これらの新しい技術を組み合わせることによって、品質の高い電子を生成することが可能になります。旧熱電子銃では、大電流を得るために少し長め (1 ナノ秒) の電子パルスを熱陰極から発生させ、その後に数メートルにわたる低周波数のマイクロ波空洞で 10 ピコ秒の電子バンチにまで圧縮していましたが、それでも大電流・低エミッタンスのビームを生成することは困難でした。RF 電子銃を使用することによって、光陰極から適切な長さの短パルス電子バンチを生成することが可能となり、さらに高加速電界の RF 空洞の出口までの 20 cm ほどで、600 m の入射器全体で加速する電子の性質の主要部分を決めてしまうことが可能になります。
RF 電子銃によって、SuperKEKB リングに入射するためには、適切なタイミングで電子を発生させてリング加速器のマイクロ波と同期させる必要があります。その精度は、1000 億分の 3 秒 (30 ps) 以下です。ところが、高強度レーザーを発生させるための初段のファイバー・レーザー発振器はファイバーの輪を周回させて光を増幅するために、独自の周期を持っています。そのため、これらの間の精度の高いタイミング同期にも高度な電子回路が必要となります。このような電子回路の調整を経て、5 月 31 日には SuperKEKB の電子主リング (HER) への入射に成功しました。
図6:RF 電子銃で生成された電子 (青) と比較対象の熱電子銃から生成された電子 (緑) の、水平方向位置 (上)、垂直方向位置 (中)、電荷 (下) の電子銃からビーム輸送路終端までの、情報プロット。この時点では、バンチ圧縮を行っていないので、途中でビーム損失がある。
さらに、RF 電子銃による電子入射と熱電子銃による陽電子入射の切り替えの調整を行った後、6 月 8 日からは、RF 電子銃からの電子入射を継続しています。
現在のところ、バンチあたり約 60 億個の電子を生成して、一秒間に最大 25 回の入射を行っています。しかし、既に目標とする、バンチあたり約 300 億個の電子の生成にも成功しており、2 年後にはそのような大量の電子を定常的に生成します。さらに、一秒間に 100 回の入射を行う予定です。これらの開発の積み重ねが、SuperKEKB 計画の成功に繋がります。
〜 文責: 加速器第五研究系 古川 和朗、夏井 拓也 〜