1.大型加速器をもつ研究所としての世界デビュー

1976年、KEKは念願の(PS:陽子シンクロトロン)を完成させました。

その大きさは直径108 m、エネルギーは当初 8 GeV (最終的に 12 GeV (ギガ電子ボルト))でした 一方、アメリカやヨーロッパでは同等以上の加速器がすでに運転中、エネルギーが数十倍の陽子加速器も稼働を始めていました。

この陽子シンクロトロンの建設途上の1974年、アメリカの電子・陽電子衝突型加速器(SPEAR)が、それまでの常識では考えられない新粒子を発見するという快挙を成し遂げ、アメリカやヨーロッパでは次々とこの電子・陽電子衝突型の加速器を建設し始めました。

KEKも1986年、電子・陽電子衝突型加速器「トリスタン」を完成させました。これは、直径1㎞で、完成当時電子・陽電子衝突型としては世界最大を誇り、エネルギーも世界最高でした。これでKEKは「高エネルギー加速器をもつ研究所」として世界から認められる段階に達しました。



2.電子・陽電子 衝突型加速器のサイズ



3.トリスタン加速器と測定器

  トリスタン加速器は1周3㎞のトンネル内に作られた巨大な円形加速器です。

  加速器トンネル内部

  日本初の衝突型加速器:単一の円形加速器の中で電子と陽電子ビームを反対向きに走らせ、ビームが正面衝突するときに起きる反応を詳細に観測します。

  トリスタン実験では、3 つの大規模汎用測定器、VENUS(ビーナス)、TOPAZ(トパーズ)、AMY(エミー)と、磁気モノポール探索装置 SHIP(シップ)が4 か所のビーム衝突地点に設置されました。

VENUS 測定器 TOPAZ 測定器
AMY 測定器 SHIP 測定器

  AMY測定器は、日米中韓の研究者が共同で建設しましたKEKは、国際的な共同研究の拠点として、世界に認められる研究所になりました。

  トップクォークの探索、量子電気力学や量子色力学の精密データ採取などを行い、大規模な超伝導加速空洞を採用するなど、年々巨大化してゆく加速器運転の難しさを克服する経験を積むことができました。


4.トリスタンからKEKBへ

  KEKは1999年、トリスタン加速器の経験を最大限に活かし、次期計画としてKEKB加速器を完成させました。

  KEKB では、電子用、陽電子用として、別々の円形加速器を同じトンネル内に並べて作ります。1か所にだけ両加速器の交差点を作っておくと、そこでビームが衝突し、さまざまな素粒子反応がおきます。その交差点を取り囲むようにBelle測定器をおきます。

  1970年代の陽子シンクロトロンや1980-90年代のトリスタンで育った人材と技術、ノウハウ、またトリスタン時の多くの資源を活用しながら、斬新かつ前例のない設計思想に基づき、極めて高い「ルミノシティ」(衝突性能)を実現し、この指標で世界のトップに躍り出ました。


5.KEKB 加速器を用いた小林・益川理論の正しさの証明

  1973年、益川敏英博士と小林誠博士は、当時、素粒子物理学界で大きな注目を浴びていた“CP 対称性の破れ” を説明する論文を発表しました。論文では、(1) 当時K中間子の崩壊で知られていた“CP 対称性の破れ”はクォークが6種類あれば説明できること、そして(2) 5番目のクォークを含む B中間子(当時は未発見)でも“CP 対称性の破れ”が見え得ること、が指摘されました。魅力的なこの理論ですが、(2) については長年にわたって仮説にとどまっており、実験でその確かさを証明する必要がありました。

  理論発表から四半世紀以上も経った2001年、KEKB加速器によって生み出される膨大な数の電子・陽電子の衝突過程をBelle測定器が観測し、その分析結果が小林・益川理論を支持することが確かめられました*。

  発表した理論を直接的に支持する実験結果が得られ、両博士は2008年にノーベル物理学賞を授賞しました。

ノーベル物理学賞メダル(レプリカ) 小林誠博士 益川敏英博士

  *太平洋の向こう側、アメリカの研究所でも同じ実験が行われていました。両者は同時に小林・益川理論が正しいことを証明したことになります。


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