プレス・リリース

電子が織りなす隠された世界を解き明かす放射光技術を実証
− 散乱X線の偏光特性を調べることで励起した電子の軌道状態を識別することに成功 −

2011年6月14日
独立行政法人 日本原子力研究開発機構
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構

【発表のポイント】

  • 非弾性散乱X線の偏光特性(X線の振動方向についての規則)を調べる手法を開発
  • 偏光特性を調べることが、励起状態における電子の軌道状態(電子の広がり方)の識別に有効であることを実証
  • 超伝導などの物性・機能の発現の仕組みの解明を加速するものと期待

独立行政法人日本原子力研究開発機構【理事長 鈴木篤之】量子ビーム応用研究部門石井賢司研究副主幹らは、国立大学法人東北大学【総長 井上明久】、大学共同利用機関法人高エネルギー加速器研究機構【機構長 鈴木厚人】及び財団法人国際高等研究所【所長 尾池和夫】と共同で、放射光X線を用いて励起状態(電子が、通常の基底状態より高いエネルギーを持つ状態)における電子の広がりの様子を調べる測定手法を開発し、その有効性を大型放射光施設SPring-8で実証しました。

銅酸化物高温超伝導体などの遷移金属化合物1)においては、物質中で電子がどのように広がっているか(軌道状態2))が電子の動きやすさや相互作用の伝搬する方向を決定する上で重要であると考えられています。共鳴非弾性X線散乱法3)は、このような電子の軌道状態を変えるような励起を観測できる実験手法ですが、これまでは様々な軌道状態への励起状態が混在し、区別することが難しいとされてきました。

この課題を解決するために、今回、当研究グループはX線の特性の一つである偏光4)に注目し、散乱X線(試料によって散乱されて出てくるX線)の複数の偏光成分を分離できる装置を開発しました。この装置によって、共鳴非弾性X線散乱実験において偏光特性を調べることができます。そして、この手法を用いてSPring-8で実験を行い、どのような軌道状態へ電子が励起されたか識別することができることを遷移金属化合物である銅フッ化物KCuF3 5)で実証しました。

今回の手法開発とその実証により、偏光特性を解析した共鳴非弾性X線散乱法を用いれば、特に強相関電子系で発見されている超伝導、磁性や誘電特性など様々な物性・機能に関わる電子軌道の励起状態の種類を理論モデルによらないで決定でき、これらの機能発現機構解明が加速されるものと期待されます。

なお、本研究の一部は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業チーム型研究(CREST)の研究領域「次世代エレクトロデバイスの創出に資する革新材料・プロセス研究」の一環として行われ、米国物理学会誌”Physical Review B”のRapid CommunicationsにEditors’ Suggestionとして6月14日(現地時間)にオンライン版に掲載される予定です。

【本件に関する問い合わせ先】
(研究内容について)
独立行政法人日本原子力研究開発機構
量子ビーム応用研究部門 副部門長 水木純一郎 TEL:0791-58-2701
量子ビーム応用研究部門 研究副主幹 石井賢司 TEL:0791-58-2643
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
物質構造科学研究所 構造物性研究センター センター長 村上洋一
TEL:029-864-5589 E-mail:youichi.murakami@kek.jp
(報道担当)
独立行政法人日本原子力研究開発機構
広報部 報道課長 上原勇相 TEL:03-3592-2346
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構
広報室 室長 森田洋平
TEL:029-879-6047  E-mail:press@kek.jp

【研究開発の背景と目的】

遷移金属化合物には、銅酸化物における高温超伝導やマンガン酸化物における巨大磁気抵抗効果など、有用な性質を示す物質が数多く存在していることが知られています。また、これらの物質では電子の間に強い相互作用が働いており、その理論的な取り扱いは非常に難しいことから、基礎科学的な観点からも数多くの研究が続けられています。その主役となるのが遷移金属原子中の電子(d電子)であり、物質中でのd電子の広がりの様子(軌道状態)が電気の流れやすさや、相互作用の伝播方向など、遷移金属化合物の性質を決める上で重要な役割を果たすことがしばしば見られます。従って、遷移金属化合物においては、軌道状態を識別した上でその振る舞いを調べることが、物質の性質を理解する上で不可欠となります。

遷移金属化合物中の電子の運動状態(エネルギーと運動量)を調べることができる実験手法として、共鳴非弾性X線散乱法が発展してきています。この手法は、最先端の放射光X線を用いることでようやく可能となった新しい分光法です。しかしながら、運動状態を調べる上での有効性は認められてきたものの、d電子の軌道状態を実験のみで区別することは困難であり、これまでは理論計算の助けが必要でした。



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図1

遷移金属化合物中のd電子の軌道状態。軌道状態により電子のエネルギーが異なっています。X線非弾性散乱では、X線のエネルギーを電子に与えることで、軌道状態を変化させることができます。



【研究の手法】

今回、独立行政法人日本原子力研究開発機構(以下、原子力機構)量子ビーム応用研究部門の石井賢司研究副主幹らのグループは、光の持つ重要な特性である偏光に着目し、共鳴非弾性X線散乱における偏光特性を調べることで軌道状態を識別することができるのではないか、と考えました。

そこで、まず、X線の偏光状態を分離して検出することができる偏光解析装置を製作し、大型放射光施設SPring-8の原子力機構ビームラインBL11XUに設置されているX線非弾性散乱分光器にとりつけました。SPring-8の蓄積リングから出てくる放射光X線の偏光方向は良くそろっているので、それをそのまま試料に入射し、実際の実験では試料により散乱された側のX線の偏光特性をこの偏光解析装置により調べることになります。偏光解析実験の概念図を図2に示します。

一方、試料面では、電子の複数の励起状態を見るため、d電子軌道状態が整列した銅フッ化物KCuF3を選択しました。単結晶の精度が実験の精度にも影響することから、KEKの村上洋一教授らはブリッジマン法6)にて高品質の単結晶を育成しました。



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図2

偏光解析実験の概念図。SPring-8の蓄積リングから出てくるX線の偏光は黒矢印のように良くそろっているので、それをそのまま試料に入射します。一方、試料により散乱されたX線には二つの偏光成分(赤矢印と青矢印)が混ざっているので、偏光解析装置を用いてそれぞれ分離して測定します。



【得られた成果】

測定で得られた共鳴非弾性X線散乱スペクトルの一つを図3に示します。赤丸と青丸が実験データで、それぞれ図2に示した散乱X線の赤と青の偏光状態に対応しています。図3には、対応するエネルギー位置にd電子軌道状態もあわせて示しています。(0eVにある軌道状態をエネルギーの基準に取っています。)



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図3

銅フッ化物KCuF3の共鳴非弾性X線散乱スペクトル。図2に示す散乱X線の二つの偏光条件(赤と青)での測定結果を、同じ色の○でプロットしています。あわせて、d軌道の状態を対応するエネルギー位置に示しています。赤と青の矢印は、それぞれの偏光条件で観測される軌道状態の変化になります。



KCuF3の軌道状態を変える散乱は、スペクトルの1.0eVから1.5eV辺りに観測されます。赤色のデータで示す偏光条件では1.4eVにピーク構造があり、図の赤い矢印で示した軌道状態の変化に対応します。一方、青色のデータでの偏光条件では、1.4eVに加えて、1.0eVにも散乱強度があり、二本の青い矢印で示した二種類の励起が同時に観測されていることがわかります。即ち、1.0eVの励起と1.4eVの励起は共鳴非弾性X線散乱において異なる偏光特性を持っており、それを調べることで二つの電子励起状態を識別できるということになります。さらに、この偏光特性は共鳴非弾性X線散乱の散乱過程を考えた理論モデルでよく説明できることもわかりました。

【今後の予定】

本研究は、共鳴非弾性X線散乱における散乱X線の偏光特性を世界で初めて調べることに成功し、この手法がこれまで不可能であったd電子の軌道状態を変える励起の識別に有効であることを示したものです。一般に、光の偏光特性と電子の軌道状態の持つ対称性とは厳密に結びついていると考えられており、今後、共鳴非弾性X線散乱の偏光特性を調べることで、理論計算に頼らず実験のみから物性に関わる電子軌道状態を決定できるようになり、さらには、超伝導や磁性など遷移金属化合物の物性発現機構解明が加速されると期待されます。

【用語解説】

1) 遷移金属化合物
銅(Cu)やニッケル(Ni)など、周期律表で第3族から第11族に属する遷移金属元素を含んだ化合物を遷移金属化合物と呼びます。これらの物質では、遷移金属元素中の不対電子であるd電子が電気伝導や磁性などの物性を担うことになります。
2) 軌道状態
原子中の電子は、エネルギーや角運動量に応じて様々な形をした広がりを持っており、その形状を軌道状態と呼びます。遷移金属化合物での物性の主役となるd電子は、多くの場合、図1に示したいずれかの軌道状態をとることが知られています。
3) 共鳴非弾性X線散乱
物質に照射したX線が試料によって散乱される際に、試料との間にエネルギーの授受があるものをX線非弾性散乱と呼びます。X線は物質中の電子と同程度の運動量を持っているため、X線非弾性散乱ではエネルギーに加えて運動量の授受も可能であり、そこから電子の運動状態を調べることができます。また、試料中の構成元素の電子準位間に対応するエネルギーを持つX線を利用した場合は散乱強度に共鳴増大効果が生じるため、特に、共鳴非弾性X線散乱と呼ばれています。今回の研究では、銅の電子準位間に相当するX線を利用することで、銅のd電子の軌道状態を選択的に観測することができました。
4) 偏光
X線などの電磁波は、進行方向に対して垂直方向な電場と磁場が振動しながら進んで行きます。その電場がどちらを向いているかを偏光と呼びます。SPring-8などの放射光X線では、ほとんどの場合、偏光は水平方向を向いており、今回の実験でもその水平偏光したX線をそのまま試料に入射しました。
5) 銅フッ化物KCuF3
この物質中は、二種類のd電子軌道状態が互い違いになって周期的に配列した軌道秩序の典型物質として知られています。軌道秩序の結果、磁気相互作用の伝播方向が一軸方向で強くなっており、一次元磁性体としても数多くの研究がなされています。
6) ブリッジマン法
一定の温度勾配がある炉内に原料を置き、端から徐冷することによって結晶を育成させる方法。本研究では試料を静止させたままで、温度勾配のみを変化させる静置冷却式を採用しました。通常行われる下降式ブリッジマンに比べ、引き下げ時に生じるモーター振動による結晶成長への影響を排除できるためです。