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日本の原子核素粒子研究の礎 2005.5.12 |
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〜 西東京市の「原子核研究所址碑」 〜 |
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4月29日に「西東京いこいの森公園」が開園しました。この公園は東京都の旧保谷市と旧田無市が2001年1月に合併して西東京市が誕生したのを記念して、東京大学原子核研究所の跡地(緑町3丁目)に造られた、広さ約4.4ヘクタール(東京ドームのグラウンド部分の約3.5倍)の市立公園です。 原子核研究所のOB・OGからよせられた寄金と西東京市の御厚意によって、公園内に「原子核研究所址碑」が建立されました(図1)。開園に先立つ4月24日に、原子核研究所にゆかりの人々が集って址碑の“お披露目の会”が催され、除幕式がとり行われました(図2、図3)。 大型実験設備の全国共同利用研究所 東京大学原子核研究所(通称“核研”)は日本学術会議の1953年の勧告に基づき、大型実験設備を持つ全国共同利用研究所として1955年7月に設立されました。第二次世界大戦の後、日本における原子核研究は東京と大阪にあったサイクロトロンが進駐軍によって海に沈められるなどにより停滞していましたが、朝永振一郎博士や菊池正士博士らを中心とする研究者の「日本で原子核研究を再開したい」という熱意が実を結んだのです。 原子核研究所は1955年7月から1997年3月までの43年間にわたって日本の原子核物理学の拠点としてその発展の礎となった研究所です。核研は、戦後における我が国の学術文化復興のための突破口として、基礎的・先端的な科学分野である原子核・素粒子・宇宙線の研究を目的とし、全ての研究者に開かれた全国共同利用の研究所として創設され、核研の研究体制は、全国の大学を縦断しまた研究分野を横断して、研究者が協力して自主的に研究を行なうというものでした。 「全国大学共同利用研究所」というこの新しい体制は、大学の研究室とその各々が持つ装置を中心として実験が進められていた当時としては革新的なものであり、多数の研究者が協力して大型の実験装置による研究を行うためにも必要なものでした。この体制は自由闊達な研究環境を生み出し、設立の理念の一つであった人事交流と研究者育成も活発に行なわれました。 世界最先端の性能をもつ加速器であるサイクロトロンと電子シンクロトロンが研究者の手によりこの研究所に建設されたことにより、全国から若い研究者が田無の研究所に寄り集い、原子核・素粒子・宇宙線物理学、物質構造科学の優れた研究成果が生まれました。その中には、サイクロトロンからのビームと数々のスペクトロメータを用いた原子核の構造とメカニズムの研究、電子シンクロトロンからの光子ビームによる核子共鳴の研究、わが国で初めて人工的につくられたパイ中間子の観測、空気シャワー装置やスパークチェンバーなどによる宇宙線の測定、ベータ線分析器によるニュートリノ質量の直接測定の実験、世界で最初の放射光専用リングによる物性実験、加速器開発研究、外国の研究機関との国際共同実験、そして理論物理研究部の原子核・素粒子研究などがあります。核研の名は INS(= Institute for Nuclear Study)として世界に通用し、そして核研で育った研究者は現在、我が国のみならず世界各地で活躍しています。 核研が生み出した研究所 核研のスタッフは、原子核各分野の学問の進展に伴い、新たに計画された研究所の実現にも精力的に取り組みました。その中から高エネルギー物理学研究所、大阪大学核物理研究センター、東大物性研究所軌道放射物性研究施設、また既存の乗鞍宇宙線観測所と宇宙線部は合体して東大宇宙線研究所などへと、現在の日本の最先端研究の基盤の数々が誕生しました。また核研による全国共同利用研究所体制の成功は、我が国の科学研究の規範としての役割を果し、他学術分野の研究体制の発展に大きな貢献をしました。 東大原子核研究所、高エネルギー物理学研究所、そして東大中間子科学研究センターが1997年に統合して、現在の「高エネルギー加速器研究機構(KEK)」になりました。また、東大における原子核科学の最先端の研究と実践的な教育を継承するべく、「東大原子核科学研究センター」も同時に発足しました。田無の敷地では引き続き「KEK田無分室」「東大宇宙線研究所」「東大物性研究所軌道放射物性研究施設」「東大原子核科学研究センター」の研究活動が行われましたが、2000年春に研究施設が移転することによりその歴史の幕を閉じました。しかし、原子核研究所で培われた日本の原子核素粒子研究の伝統は新しい世代の研究者たちに引き継がれ、脈々と息づいています。 御岳山の石 今回建立された碑の本体は、木曽御岳山から運び出した大小2個の苔むす自然石で、重さは合計20余トンあります。この大きな石組みは銘石と云うにふさわしい風格ある立派なものです。お披露目の会では、核研の恩顧を享けた者達が集い、苔むす石に託してその名が後世に伝え継がれんことを祈念しました。
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