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写真乾板でみる原子核破砕 2006.7.13 |
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〜 HIMACのP152実験とGeant4 〜 |
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写真乾板というものをご存知ですか? 修学旅行の記念撮影などで写真屋さんがカメラの後ろで黒い布を頭からかぶって写真を撮るときに、なにやら板のようなものを箱から出し入れしているのを見たことがあるかもしれません。光が当たると黒くなる性質を持つ臭化銀の結晶を写真乳剤にしてガラスの板に塗ったものが写真乾板です。 じつはこの写真乳剤には光だけでなく放射線に対しても感度があることがベクレルによって1896年に偶然発見されました。ウランが放出した放射線で写真乾板が感光していたのです。 写真乾板の中でも特に電荷をもった放射線が飛んだ跡(飛跡)を直径1ミクロン程度の銀微粒子の連なりとして観察できるようにしたものをエマルジョン(原子核乾板)と呼びます。 エマルジョン技術の歴史 エマルジョンはパウエルたちによる湯川秀樹が予言したパイ中間子の発見(1947年)以来、しばらくの間、素粒子、原子核研究における主要な検出器として大活躍していました。しかしその解析は人間が顕微鏡で一つ一つの反応を丁寧に観察する必要があり、時間が非常にかかるという欠点があったので、一度に大量の反応を解析することができる泡箱やワイヤーチェンバーなどに次第に取って代わられていきました。 ところが1971年、丹生潔(現在、名古屋大学名誉教授)らがエマルジョンを使った宇宙線実験により新粒子を発見したことを契機に、短寿命(10-14〜10-12秒)粒子の検出器としての価値が見直され、名古屋大学グループによるエマルジョンの自動解析の開発が始まりました。この時の新粒子はのちにチャーム・クォークを含むチャーム粒子であることが明らかになりました。 1990年代になると、顕微鏡や高速のCCDカメラ、並列コンピュータを組み合わせた、超高速飛跡読み取り装置が開発され、タウ・ニュートリノの発見(2000年)という成果が得られました。さらに富士写真フィルム社によるエマルジョンフィルムの大量機械生産技術の開発とあいまって、大規模なニュートリノ振動実験(オペラ実験 2006年からビーム照射を開始)への道が切り開かれました。 この新しく開発されたエマルジョンフィルムはオペラフィルムと呼ばれます。乳剤層の厚さ(40ミクロン)の均一性に優れており、放射線の電離損失を精密に測定することが可能です。読み取り装置はさらなる高速化へ向けての改良が精力的に続けられており、現在では飛跡の読み出し速度として毎時50cm2を達成しています。これは人間1000人から10000人分の速度に相当します。 HIMAC共同利用研究P152実験 KEKでは2003年度より名古屋大学、放射線医学総合研究所(放医研)などと共同で、最新のエマルジョン技術を使い、重イオン同士が衝突しより小さなイオンに壊れる反応(核破砕反応)(図1)を詳細に調べる研究を行っています。実験は放医研のHIMACと呼ばれる重イオン加速器を使いHIMAC共同利用研究P152実験として行っています。近年、放射線治療のひとつであるイオンビームを使ったがん治療や宇宙工学の分野などから精密な核破砕反応データの需要が高まっています。P152実験はそのために有効なデータを収集することを目的に開始されました。 高速飛跡読み取り装置とオペラフィルムの技術を使って核破砕反応の研究をするという目的でP152実験が始まりました。がん治療で最も一般的に使われている炭素ビームと人体の主成分である水をはじめとする水素、炭素、窒素、酸素、カルシウム、リンなどの原子核との反応過程が主な研究対象です。エマルジョンの特徴を活かして、過去に他の手法でなされた実験に比べて格段に豊富な物理量を得ることで核破砕反応を詳細にわたって調べあげることが期待されました。 核破砕反応を詳しく調べるには、ビームである炭素イオンがどのような二次粒子に壊れるのか、またその頻度は、といった情報が重要です。そこでオペラフィルムを使って二次粒子の電荷を識別する手法を開発しました。自動読み取り装置は電荷1の粒子の測定に最適化してありますから、そのままでは2以上の電荷の識別ができません。そこでビーム照射後のオペラフィルムを高温(摂氏30度〜40度)かつ高湿度(相対湿度98%)環境下にさらし、飛跡の一部を消去してから現像することで実用上の感度を下げる方法を開発しました。この方法によって電離損失の測定のダイナミックレンジが広がり、電荷が2以上のイオンの電荷も識別できるようになりました(図2)。 人体との反応の研究をめざす 2004年度後半からは、重イオンビームと人体の主成分である水との反応を測定するためのチェンバー(図3)を開発し、炭素-水反応のデータ収集を開始しました。奥行き30cmあまりの水槽中にオペラフィルムからなるモジュールを4mm間隔で65層並べた構成になっています。各モジュールの間には2mmの厚さでターゲットとなる水が入るようになっています。これで核子あたり400メガ電子ボルト(400MeV/u)までの反応を収集できます。 ビーム照射後に飛跡の読み取りを行います。このチェンバー全体の飛跡をすべて読み出すのに6ヶ月程度要しました。飛跡は各層ごとにセグメントとして読み出されます。読み出されたセグメントの総数はチェンバー全体で数100万本に達します。膨大なセグメントの情報をもとに、これらを各層つなぎ合わせ、まずビームや二次粒子のトラックとして再構成します。さらに再構成したトラック集団のなかから三次元的に1点に収束する組み合わせを探し出すことにより核破砕反応を検出します。このチェンバー全体では1万事象近くの反応が検出されました(図4)。 図5は炭素イオンの電荷が変わる反応の断面積をエネルギーの関数として表したものです。過去に他の手法でなされた実験結果と矛盾の無い結果が得られており、P152実験の解析手法の正しさが示されたことになります。現在さらに同じエネルギー領域で炭素がホウ素、ベリリウム、リチウムなど特定の電荷のイオンに壊れる断面積も得られており、様々な理論計算との比較がすすんでいます。図2は検出された反応すべてを表示したものですが、個々の反応を取り出して表示してみると図6のようになっていて、反応ごとにビームのエネルギーや二次粒子の電荷が測定されていることがわかります。炭素が壊れる様式としては図6に例を示したC->Li+He+HやC->3Heの他にも多数の可能性があります。これらの様式別の反応断面積に関しても研究をすすめていきます。 Geant4の医療への応用 日本とヨーロッパを中心に、イオンビームを使ったがん治療における体内の放射線量の見積もりにGeant4を活用する動きが始まっています。Geant4は以前ご紹介したように、もともとは素粒子原子核実験のために開発された放射線の物質中の振る舞いを仮想的に再現するモンテカルロ・シミュレーターです。その中には核破砕反応の物理モデルが組み込まれていて、イオンが体内で起こすふるまいをその核破砕反応を含めてシミュレーションし、体内の空間的な線量分布を計算することが可能です。この手法をより信頼性の高いものにするには、組み込まれた核破砕反応モデルを様々な切り口から実験的に検証していくことが不可欠です。P152実験で得られるデータはまさにその目的に適応したものです。 おわりに 新しいエマルジョン技術を使った核破砕反応の研究は3年あまりの試行錯誤の期間を経て、物理量の測定結果を出せるようになりました。今後はエマルジョンの特徴を活かし、詳細な解析をすすめるのと並行して、より広いエネルギー領域にわたって、様々なビーム、ターゲットの組み合わせで系統的にデータ収集をすすめていく予定です。エマルジョン技術は日本が最先端を歩み、世界をリードしています。今後もさらなる発展を続け、新しい応用研究での活躍の場を広げていくことでしょう。
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