この夏、KEKがつくばキャンパスで開催する大学生・高専生を対象としたスクール「サマーチャレンジ」が20回目の節目を迎えます。これまでの歩みをたどっていくと、見えてくるのは変わらない学生たちの素朴な情熱と好奇心です。学生たちが初めて触れる「プロの研究の世界」――。素粒子原子核物理の研究でどう魅了する? どう楽しませる? 年に一度の「挑戦」は、講師たちの腕の見せ所でもあります。残暑とともにやってくる恒例イベントは、こうして歩んできました。記念の年を迎えるにあたって、しばし、立ち上げに奔走した関係者に「あの頃」を回想してもらいました。

サマーチャレンジ歴代ポスターの集合と、20回開催を伝えるロゴ

前例がないことの自由、苦労、そして喜び

素粒子原子核研究所(以後、素核研)の所長で、KEK理事を務めた髙﨑史彦名誉教授(故人)が、つくばキャンパスで大学生を対象としたサマースクールを開催すべく本格的に動き始めたのは、2007年が明けたころでした。素粒子物理学研究の一連の流れを大学の学部生に実体験してもらうスクール構想です。KEKでは前例がありません。その校長として白羽の矢が立ったのは、当時KEK大強度陽子加速器計画推進室に着任したばかりの齊藤直人教授(現・素核研所長、文中以後「齊藤校長」)でした。まっさらな企画の立ち上げを担う重責に、さぞ驚きや戸惑いもあったろうと思いきや、齊藤校長は「これは、いい機会だ!」と思ったそうです。

「J-PARCでの研究に参画するために、5年ほど勤めた京都大学からKEKに移って半年くらいのときでした。まだ組織にも慣れない頃だったので、KEKを組織として理解するのに『これはありがたい』と思ったんですよ」と懐かしく振り返ります。とはいえ、機構内のさまざまな仕組みを「理解する」ところからの奔走ですから、奮闘努力の日々は想像に難くありません。

まずは機構内で仲間を集め、組織委員会が発足。熱い話し合いが始まりました。コンセプトの立案、講義・演習・見学のありかたや講師の確保、広報の宣材や教材・資料の作成、募集から選考までのスケジュール、備品の調達や施設などの許可申請、食事・宿泊など日々の事細かな運営と配慮などなど……。各部署の職員や各研究施設の研究者・技術者などと具体的なやりとりを進めるうちに、次から次へとアイデアが浮かんできます。名称は「大学生のための素粒子原子核サマースクール・サマーチャレンジ」と決まりました。愛称は、昔も今も「サマチャレ」です。

齊藤校長は、「初めてですから自由度はありましたが、自分たちですべて考えなければならないのが大変でした。でも、『ポスターつくるなら、あの人がいいよ』『こういうカリキュラムなら、いい講師を紹介するよ』というように、いろいろな人たちが助けてくれて。アイデア豊かな仲間に恵まれましたね」と明かします。

初代校長を務めた齊藤直人・KEK素核研所長
初代校長を務めた齊藤直人・KEK素核研所長

大学や学会と一丸になって、学生たちのために

齊藤校長たちには、一つの信念がありました。

サマーチャレンジは、「KEKによる」イベントではなく、KEKも含めた国内の素粒子原子核のアカデミアによるスクールにすること。「KEKのための」イベントではなく、集まった学生たちが素粒子物理の実験とその成果を導く実体験を通じて、研究者への進路を考えるためのスクールにすること。広い意味で「科学」という学問のコミュニティをつくることにこだわりました。第1回の開催趣旨書の一文に、その背景がうかがえます。

「(中略)昨今、物理学を目指す若者は年々減少しております。1970年には90パーセントを超えていた高校での物理履修率は、現在では20パーセント台に大きく落ち込んでいるという報告もあります。これは大変深刻な問題です。手をこまねいていれば、基礎科学の発展を担う人的資源が将来に不足することを意味し、わが国の未来に暗雲が立ち込めているといえます」――。

こうして、サマチャレは企画から当日の講義・演習に至るまで多くの大学の教員とともに作り上げられ、現在に至っています。第1回の開催には、東北大、大阪大、立教大、京都大、名古屋大、東京大、奈良女子大、神戸大、岡山大、首都大東京(現・東京都立大)、東京工業大(現・東京科学大)、および大阪大・核物理研究センターの教員・研究者たちが参加しました。また、高エネルギー物理学研究者会議と原子核談話会は共催として(全20回の開催すべてで)、日本物理学会と日本加速器学会からも後援を得てスタートします。

第一回開催時の演習の様子(1) 第一回開催時の演習の様子(2)
第一回開催時の演習の様子

「びっくり」するほどの学生の熱意に、企画の正しさを確信

対象は研究室を選ぶ大学3年生を主に、80人程度を募集することになりました。9日間の日程で、カリキュラムは講義と演習の二本立て。KEKの研究者たちと前述の大学の教員たちが講師を務めます。演習には素粒子原子核に関する15の課題が設けられ、学生たちは5人程度の小グループに分かれて参加します。KEKの最先端研究を紹介するセミナーや見学ツアー、懇談会なども組まれ、最終日は研究成果の発表に充てられました。参加費・宿泊費は無料。交通費の支給も実現しました。

反響は、「かなり」のものでした。関係者は大いに盛り上がりましたが、喜びもつかの間、「たいへんだったのは、選考です」と齊藤校長の苦労話は続きます。

「倍率はおよそ3倍ですから、結果として選考は非常に厳しいものになりました。課題のエッセイでは応募した理由を書いてもらいましたが、選考基準は今のようにきちんとしてなくて(苦笑)、『この学生、やる気ありそうだ』とか『こっちの学生も面白そうだね』とか。どの学生も選びたくて目移りしましたが、やる気や動機だけではなくて、素粒子原子核の研究室がない大学への訴求も考えたかったし、ジェンダーバランスも理想に近づけるよう努めました。」(齊藤校長)

そして当日、参加してきた学生たちの姿を目の当たりにして、関係者一同、「いける!」と、この初の試みの成功を確信しました。齊藤校長はそのときの印象を「本当に期待以上でした」と語ります。「非常にバランスの取れた、いい雰囲気になったと感じました。熱心に取り組む学生さんたち、深夜まで語り合う学生たち、それを一生懸命サポートする講師たち。あれにこれにと走り回って、あっという間の9日間でした」と喜びが蘇るとともに、今さらながら胸をなでおろす思いです。

さて、初々しさと新鮮さ、そして伸びしろたっぷりの第1回開催です。参加者は、どう感じたのでしょう……。

横浜国立大学工学部物理工学科3年生だった吉原圭亮さんは「前例がないからこその自由さや熱気があった」と、肌で感じた一体感を高く評価します。講義が面白かったこと、わかりやすい教材でスクール終了後も何度も読み返したこと、そして、研究者の世界を初めて身近に感じたこと。学部生だった吉原さんにとって進路を決める大きなきっかけとなったのは確かでした。サマチャレは、開催する側にとっても、参加する側にとっても、「あったら、いいな」以上の、求められるイベントだったわけです。

第一期生の吉原圭亮さん
第一期生の吉原圭亮さん

サマチャレは、吉原さんに具体的な自らの将来像を描きました。参加した演習は、岡山大学の田中礼三郎准教授(当時)の「電子と陽電子の"原子"オルソポジトロニウムの寿命測定~朝永の量子電磁力学にチャレンジ!~」でした。期間中、実験に関する文献を調べているうちにたどり着いたのは、現在のKEK機構長である浅井祥仁教授の博士論文です。浅井機構長が所属していた東京大学素粒子物理国際研究センター(ICEPP)が欧州合同原子核研究機関(CERN)のATLAS実験を推進していることを知り、「いつかCERNに行って研究してみたい」と思ったそうです。

サマチャレの後、吉原さんは大学院生としてICEPPに進学してCERNに長期滞在。ATLAS実験でヒッグス粒子の解析に関わり、2012年のヒッグス粒子発見という歴史的な瞬間に立ち会うことになります。さらに、大学院の同期にはサマチャレで同じ演習グループにいた仲間も在籍し、CERNでも3年間一緒に過ごすという縁にまで恵まれました。サマチャレは、ひと夏の科学スクールの盛り上がりではなく、時を経ても色あせない「何か」を芽吹かせる不思議な集いなのかもしれません。

サマーチャレンジのテキストと、賞として制作されたクリスタルのりんご
第1回・第2回開催のサマチャレでは、研究成果の発表に対して賞を出した。サマーチャレンジのロゴは「りんご」。ひらめきのシンボルとして、クリスタルのりんごを制作した。「賞を取るためというのではなく、学生の皆さんは本当に一生懸命、ひたむきに成果にたどりつくよう頑張りました。結果が出なかった口惜しさに涙した学生もいたくらいです。この時期に、ここまで没頭する経験って希少で、とても重要だと思いますね」(齊藤校長)

アインシュタインとともに、サマチャレの安定した礎を築く

第3回から第6回まで、サマチャレを継続するための安定した礎を築く役割を、2代目の校長として春山富義・素核研教授(現・東京大学国際高等研究所カブリ数物連携宇宙研究機構 特任教授、文中以後「春山校長」)が担いました。当時、還暦に差し掛かる頃。KEK内外での活動的な人柄はよく知られていました。

「日頃から髙﨑先生や齊藤先生とはやりとりしていたので、私の性格を把握していたんでしょうね。話をうかがって、『こういうスクールをKEKが主体になって主導していくっていうのはすごくいいな』と思って、すぐに承諾しました。でも、実は、この話を聞くまでサマチャレのことは知らなかったんですよ(笑)」という具合に、また1人、サマチャレの魅力に引き込まれる関係者が加わります。

春山校長がまず取り組んだのは、広報用のポスター制作でした。「とにかくファーストルックでインパクトを与えなくちゃ」と考えて、自らイラストを手がけました。サイエンスイラストはお手の物。図柄に選んだのは、アインシュタインの似顔絵です。大学のキャンパスに貼られたお茶目なアインシュタインの表情は、キャンパスを歩く学生たちにひと目で「サマチャレ?!」と印象づけるものになりました。

春山校長が手掛けたアインシュタインのポスター
春山校長が手掛けたポスター
演習グループへ贈られた書籍を手にする学生たち
演習グループへ贈った書籍は卒業式を迎えた仲間たちの絆の象徴となった。

サマチャレでは期間中に特別講演が開かれていますが、春山校長はここで一つの仕掛けを施します。第3回で登壇した小林誠KEK教授の著書を演習グループごとに1冊ずつ用意し、卒業式の日に贈呈しました。表紙を開いた扉にはグループの名簿が貼ってあり、サマチャレ終了後、順次本を回覧するよう記してあります。グループの和が途切れないように、そのつながりを継続してもらいたいという願いを込めました。こうした工夫もあってか、「サマチャレでは、なにより人の縁、いい出会いをもらいました」という感想が多くの卒業生から寄せられました。3期生と5期生は合同で、サマチャレ後にKEKで里帰り発表会を開催したという出来事もありました。

校長として2年目の第4回開催からは、これまでの「素粒子・原子核コース」(9日間)に加え、6日間の「物質・生命コース」を新設します(第11回まで開催)。名称のキャッチは「大学生のための素粒子・原子核、物質・生命のサマースクール」と改まり、後援に日本放射光学会、日本中性子科学会、日本中間子科学会が加わりました。第10回からは高専生も応募が可能となり、サマチャレは日本の基礎科学を担う若き研究者を育成する一大コミュニティに発展していきます。

サマーチャレンジを紹介する新聞記事の切り抜き
学生たちの人材育成という観点から、新聞などメディアでも話題に(左から神奈川新聞2010年12月27日、科学新聞2009年9月11日、東奥日報2009年10月10日)

学生たちを魅了する、第一線で活躍する研究者たちの情熱

物理学研究を志す学生が減少する昨今、サマチャレに参加した学生たちは何に引きつけられるのでしょう。卒業生たちが残した感想の中には、「将来、齊藤校長のようになりたい」「春山先生のような研究者になりたい」といったくだりがよく見られます。サマチャレで目にした、研究の第一線で活躍する「大人」の後ろ姿は好奇心旺盛な若者たちには十分に刺激的です。同時に、研究者たち自身、生き生きとした研究に関わっているからこそ、その後ろ姿を見せることができるはずです。サマチャレ開催当時の素粒子物理の研究現場を少し垣間見てみましょう。

筑波研究学園都市で高エネルギー物理学研究所が始動したのは1971年でした。ここで日本の物理学研究の中核として素粒子研究をはじめとした加速器による研究が本格的に始まります。2004年に大学共同利用機関法人としてKEKが発足し、2006年には日本原子力研究開発機構と共同で東海キャンパスにJ-PARCセンターが設置されました。この翌年に第1回のサマチャレが開催され、続く2008年には小林教授がノーベル物理学賞を受賞します。世界に目を向けると、「標準理論」に含まれる17種類の粒子のうち、20世紀中にその姿をとらえることができなかったヒッグス粒子が2012年にCERNで発見されます。日本でもニュートリノ観測で数々の成果を収め、2015年には東京大学宇宙線研究所所長の梶田隆章教授が「ニュートリノ振動」発見の功績でノーベル物理学賞を受賞しました。

KEK内外の活気ある時代をさかのぼりながら、「素粒子物理学の新たな発見に対して、加速器を使ってどんどん突き進もうとするモチベーションあふれる時代でしたね」と春山校長は自らがサマチャレに関わった当時を振り返ります。そして、学生たちにとっての探求心、好奇心、研究の世界へのあこがれは「今も、変わらない」と断言します。春山校長は「一緒に寝食をともにした仲間です。こうしたつながりが希薄な現代社会だからこそ、学生たちにとっても社会にとっても、サマチャレの果たす役割は重要だと思いますね」と語ります。サマチャレは、立ち上げ当初には想定していなかった、より大きな意義を抱えるようになっているのかもしれません(後編では、サマチャレのこれからについて深掘りしていきます)。

第二代の校長を務めた春山富義・元KEK素核研副所長
第二代の校長を務めた春山富義・元KEK素核研副所長

そして迎える、20回目の「挑戦」

「あの興奮が忘れられず」に、大学院へ進学した後、サマチャレにティーチング・アシスタント(TA)として戻ってくる学生が数多くいます。3期生としてサマチャレに参加した後、TAを務めた冬頭かおりさんも、その一人です。

「学部生だった当時は自然科学のコースに在籍していたのですが、教育大学だったので、周りの同期の多くは中学校や高校の教員志望でした。私は数学を使って宇宙の起源を探る理論研究に興味を持ったんです。サマチャレに参加して、演習担当の教員やTAの皆さんだけでなく、運営するスタッフの皆さんにも非常によくサポートしてもらったことをよく覚えています。」

冬頭さんは大学卒業後、名古屋大学理学研究科へ進学し、博士号を取得。ポスドクで渡米し、ロスアラモス国立研究所でStaff Scientistとして研究実績を築いていきます。そして、2025年から、KEKの准教授として着任し、今年のサマチャレの実行委員を務めることになりました。

KEK准教授の冬頭かおりさん
「参加された学生たちと話す機会があるとき、多様なキャリアパスがあることを伝えれたらいいなと思っています」(冬頭准教授)

米国で味わった研究の楽しさ。その楽しさの源が何なのかを自問しながら、KEKでのポストに就いて一年足らずの初々しさゆえに見えてくるサマチャレでのチャレンジがあるはず。「人それぞれ、いろいろな進路がありますよね。自分の人生、やりたいことを素直に選んで楽しもう!ということを伝えたいです」と冬頭准教授は抱負を語ります。

残暑とともに始まるサマチャレ、今年はどんな学生たちが集まってくるでしょう。

関連情報

公式サイト:第20回大学生・高専生のための素粒子・原子核スクール サマーチャレンジ
https://www2.kek.jp/ksc/index.html

特設サイト:サマーチャレンジ20年 記念サイト
こちら