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ミュオン水素原子の生成

低速のミュオンが水素中に入射されると、次第にそのエネルギーを失い、最終的には、水素の原子核に捕獲され、励起状態のミュオン水素原子が形成されます。その時、主量子料は14ぐらいで、約1eVの運動エネルギーを持つと考えられています。その後、ミュオン水素原子は、下に示したような様々な過程を経て、基底状態へと向かいます。 これらの過程をまとめて、atomic cascadeと呼びます。

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ほとんどの過程は、他の水素分子との衝突によって引き起こるため、その反応速度は水素の密度や、ミュオン水素原子の運動エネルギーに依存します。唯一、X線の発生をともなうradiative transitionは、それらの依存性を持ちません。 さらに、radiative transitionは、atomic cascadeの最終段階でもっとも優勢となるため、X線の生成数は、他のatomic cascadeの様々な過程や、ミュオンの捕獲過程にまで影響をうけます。逆に、X線の生成数を測ることにより、それらの過程を間接的に調べることができます。

ミュオン移行反応

ミュオン移行反応とは、ミュオン原子がそれより重い通常の原子に衝突したときに、ミュオンが重い原子核に"移行"し、新たなミュオン原子を形成する反応です。

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特に、ミュオン水素原子 (pμ )は、もっともシンプルな系であり、エキゾティック原子研究の重要な素材であるだけでなく、ミュオン触媒核融合と深く関連しています。 例えば、ミュオン触媒核融合サイクルの初期条件ともいえる、ミュオン重水素原子(dμ )とミュオン三重水素原子(tμ )の割合や、ヘリウム不純物への移行によるミュオンの損失率があげられます。
ミュオン水素原子でのミュオン移行反応は、おおよそ3つに分類できます。

  • ▶ 基底状態からの直接以降反応。ほとんどの原子(Z > 3)に対しては、おもに基底状態から移行し、その移行速度は、おおよそZ*1010 / secである。
  • ▶ 励起状態からの直接移行反応。水素同位体間の移行反応では、励起状態からの直接移行反応が、脱励起反応と同程度の速さで起こるため、重要な役割をもつ。
  • ▶ ミュオン分子を介した移行反応。水素からヘリウム、リチウムへの直接移行反応は強く抑制されているため、ミュオン分子を介した移行反応が重要となる。

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水素同位体間のミュオン移行反応

基底状態のミュオン水素原子からの移行反応の速度は、その同位体の組み合わせにより異なります。液体水素の密度での移行速度は

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さらに、これらの系では、励起状態からのミュオン移行反応が、脱励起過程(atomic cascade)と競合する程度の速い速度をもち、重要な役割を果たします。 例えば、ミュオンが異なる水素同位体が一様に混ざったものに止まった時を考えてみましょう。ミュオンがどの水素同位体に捕らえられるかという確率は、水素同位体の種類によらず一定であるため、 それぞれのミュオン原子は脱励起反応を繰り返し、基底状態へと向かいます。軽い水素同位体のミュオン原子が、その過程で重い水素同位体と衝突するとミュオンは重い同位体へと移り、 別のミュオン原子を形成します。そのため、基底状態のミュオン水素原子同位体の比率は、水素同位体の混合比とは異なります。 軽いミュオン原子がその基底状態に達する確率は、励起状態からのミュオン移行反応の速度により、1より小さくなっていきます。 この確率は、q1sと呼ばれ、ミュオン触媒核融合サイクルの初期条件を決める、重要な要因の一つです。

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1980年代中頃にアメリカのロス・アラモス国立研究所で行われた重水素・三重水素のミュオン触媒核融合実験において、q1sの値が間接的に算出されました。 その結果、q1sは、重水素・三重水素の密度によらず比較的1に近い値を示しており、強い密度依存性を示唆する理論計算と大きな違いが明らかになりました。 ミュオン科学研究施設では、ミュオン原子が基底状態に到達する際に放射されるライマンX線を検出することにより、基底状態のミュオン原子の数を測定する手法を確立し、現在、q1sの値を直接測定する実験が始まっています。 この実験により、様々な条件でのq1sの値を知ることにより、理論値との食い違いの謎に迫っていきます。

水素からのヘリウムへのミュオン移行反応

水素からヘリウムへの移行反応は、そのエネルギーレベルが、水素の同位体間に比べて、かなり大きいため、基底状態、励起状態ともに、直接移行反応の速度は小さいです。 そのかわりに、(pμHe)というミュオン分子状態を経てミュオンが移行する反応が大半を占めます。

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この過程では、励起状態の(pμHe)分子から、特徴的な約6.8 KeVのエネルギーのX線が放射されます。 ミュオン科学研究施設では、1986年、液体重水素(D2)にヘリウム4(4He)を溶かし込んだ系にミュオンを止めてやることにより、 世界で初めて、このX線を観測することに成功し、ミュオン分子状態を介したミュオン移行反応を実証しました。
その後、この実験を異なる同位体の組み合わせに発展させ、重水素(D2)とヘリウム3(3He)の系、水素(H2)とヘリウム4(4He)の系に対して、 ミュオン分子状態を介したミュオン移行反応を研究していきました。その結果、軽い同位体の元素の組み合わせほど、 励起状態の(pμHe)分子からX線が放射される割合が大きく減少することが発券されました。これは、励起状態の(pμHe)分子が、X線を放射せずに、 脱励起のエネルギーが分離後の粒子の運動エネルギーとなる新しい崩壊モードの存在を示唆しており、その割合は、理論計算とよい一致をみています。 現在、これらの測定の精度や確度を高めるための実験手法の改良が行われつつあり、この移行反応の総合的な研究が行われようとしています。

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ミュオン触媒核融合を利用した低速ミュオンの発生

核融合を起こした直後のミュオンは、10KeV程度のエネルギーを持っています。 薄い固体状の水素同位体でミュオン触媒核融合のサイクルを繰り返すと、核融合直後に自由になったミュオンは、高い確率でその薄膜から真空中へ飛び出していきます。 そのミュオンを集めて利用できたならば、通常の方法で作ることのできるビームの100分の1以下という低いエネルギーのミュオン・ビームとなり、新たなミュオン科学の領域が広げる強力な手段の一つとなります。 ミュオン科学研究施設では、その可能性を探る先端的な研究が進められています。

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