2011年1月17日
高エネルギー加速器研究機構
東京工業大学
東京大学
名古屋大学
東京工業大学(伊賀健一学長)大学院理工学研究科の腰原伸也教授らは、パルスレーザー光(非常に高強度で短い時間幅を持つレーザー光※)を照射した物質の内部の原子が規則正しく動くことによって100億分の1秒の間だけ出現する過渡的な新しい物質の構造を、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の放射光科学研究施設(PF-AR)のパルスX線を用いて検出することに世界で初めて成功しました。
これにより、熱などの影響を受けない新たな超高速光デバイス材料開発への展開などが期待できます。
※ 記事初出時、「青色のレーザー光」と表記していましたが、実際は波長800ナノメートル(赤色域)のレーザー光です。お詫びして訂正いたします。
今までの物質科学は、安定で時間的に変化の無い「静的」な物質の構造を基本として考えられてきました。一方、光によって色や形、磁気的・電気的性質など様々な特性を変化させる「光機能性物質」と呼ばれる材料の開発には、光励起をきっかけとして時々刻々変化する「動的」な構造を原子レベルで知ることが必要となります。したがって、この動的な構造変化を理解することは、超高速光スイッチの開発や高効率の光エネルギー利用に向け、喫緊の課題となっています。
遷移金属酸化物※1に代表される強相関電子材料※2は、近年の物性物理学の重要な研究課題として精力的に研究されており、また工業的には高集積メモリー(ReRAM)などの電子デバイスへの応用が期待されています。
中でもペロブスカイト型マンガン酸化物※3は、負の巨大磁気抵抗効果※4の発見を契機に精力的な研究がなされてきました。同酸化物は低温では安定で静的な構造として、d電子軌道※5が規則正しく秩序だった「軌道秩序」状態(図1左下)をとり、絶縁体状態になっています。いわば遷移金属と周囲の酸素原子との間の化学結合に関与する電子軌道が、おのおの規則正しく異方的な並び方をとるため電子は動きづらい状態になっているのです。これに対して高温ではこの秩序が消滅し、d電子軌道はみな等方的な状態(図1左上)となり、電子は動きやすくなるため強磁性金属相を示します。
これまでにペロブスカイト型マンガン酸化物の低温条件下で実現する絶縁体相は、磁場、圧力、光照射などの外的作用により相転移を起こすことが報告されています。その金属相は静的構造を基盤とする相変化との類推から、高温条件下で実現する強磁性金属相の構造と類似していると考えられてきました。
光により一瞬にして絶縁体相から金属相へ転移する性質は、超高速スイッチングなど超高速光デバイスへの応用が有用であるため、本当に予測されているような結晶構造変化が起きているのか、その原子レベルでの解明が強く求められていました。
光励起をきっかけとして極短時間出現する物質の新状態に関して、その極短時間に変化してゆく「動的な結晶構造」を原子レベルで調べるには、X線回折測定が有効ですが、高速現象の測定には適さないため、特殊な方法で強力な短パルスのX線を利用する必要がありました。
物質の高速な状態変化を原子サイズの分解能で動画として観測するため、KEKの放射光科学研究施設(PF-AR)に時間分解X線ビームラインNW14Aを設計・建設しました(図2)。このビームラインでは、レーザーパルスとX線パルスを交互に繰り返し入射する測定法(ポンプ・プローブ法)により、周期的に非常に短い間だけ出現する新しい状態を、100ピコ秒幅のX線を用いて捕らえることができます。
他方、試料面ではマンガン酸化物へ侵入する深さ(侵入長)がX線と励起レーザー光では、それぞれ数マイクロメートルと数十ナノメートル程度と、2桁以上も異なるため、通常のマンガン酸化物結晶試料では、レーザーによって励起されていない成分の情報しか得ることができませんでした。そこで侵入長の問題を回避するために、東京大学の宮野健次郎教授らは厚さ80ナノメートルの薄膜形状の結晶をパルスレーザー堆積法※6により作製しました(図3)。このような試料開発によって、わずかな量の結晶でも新原理に基づく物質・材料開発が行えること、さらには光デバイスなどに有用な超薄膜形態そのもので光励起によって生ずる状態の動的構造研究が可能であることが実証されました。
今回の研究では、通常は安定な物質であるマンガン酸化物の薄膜材料を光励起することで、100億分の1秒以下の超高速で大きく色合いを変化させられること、そしてその原因が、100億分の1秒と言う極短時間だけ別の構造に変化しているためであることを、原子レベルの精密構造観測で実証したものです。この観測は、PF-ARの強力なパルスX線と超短パルスレーザーを組み合わせた装置によって初めて達成されました。
観測された構造は図1右下に示すように、従来の予測(左上側)とは全く異なっており、結晶中で光励起前(左下側)とも異なる新たな軌道秩序状態が生じていることがわかりました。これは光励起で生み出される「動的構造」に基づく新しい物質相が、「静的で安定な構造」に基づく従来の物質科学の考え方からは全く予想外の新しい秩序をもったものであることを示しています。また、これは温度による相転移では到達することのできない「隠れた物質相」を、光によって実現可能であることを実証しています。
このような隠れた物質相の実在性は、物質の存在形態に関する基本問題として長く続いた議論に対し一つの答えを与え、熱擾乱を受けないデバイス材料開発の新たなフィールドを拓きました。
また本研究で開発された時間分解X線回折法は、原子スケールにおける極めて短い時間(100億分の1秒)の変化を、その光学特性などの物性変化と結びつけながら、同時に直接観測することを可能にします。これは超高速な光現象のメカニズムを動画として(本研究で得られたピコ秒構造変化動画参照)観測することができるという意味で極めて画期的なものです。このように光によって光学特性、伝導性、磁性等の物性が超高速変化する現象を詳しく探求することで、超高速な超微小メモリや相スイッチの材料開発、デバイス動作その場解析が推進されることが期待されます。
本研究は科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業による、JSTの市川広彦 元研究員、高エネルギー加速器研究機構(KEK)の足立伸一 教授、名古屋大学の澤博教授、東京大学先端科学技術研究センターの宮野健次郎教授、東北大学の有馬孝尚教授らとの共同研究です。本研究成果は、英国科学誌「Nature Materials(ネイチャーマテリアルズ)」のオンライン版【1月16日付(現地時間)日本時間:1月17日】に掲載されました。
「Nature Materials(ネイチャーマテリアルズ)」オンライン版(1月16日付)
"Transient photoinduced 'hidden' phase in a manganite"(日本語名:マンガン酸化物において光で過渡的に出現する隠れた相)
図1
光励起前の静的構造と、温度変化による静的な構造変化、
ならびに光励起による動的構造変化との比較
図2
100億分の1秒のX線パルスによる精密な「動的」構造解析を可能とした
世界で初めての専用ビームラインPF-ARのNW14A概念図
図3
本研究のためにパルスレーザー堆積法によって準備された、
マンガン酸化物の薄膜(a)とその結晶、電子構造模式図(b)。