「"脱泡"のために容器の中を真空にしはじめると、樹脂の中の泡がばーっとのぼっていくのが見えて。本当に全部抜けるのかな、って思うくらいの数なのです。」
KEK物質構造科学研究所の上田明(うえたあきら)氏が悩まされたのは「抜けない泡」でした。樹脂の中にできた気泡を真空ポンプを使って抜く作業を「脱泡」といいます。満足いく脱泡ができるまで、試行錯誤の日々が3年間続きました。その成功が現在の放射光加速器の性能を確実に上げたのです。
今回と次回は、2003年度のKEK技術賞を受賞された皆さんからお話をうかがいます。今回は放射光加速器の磁石と電源装置を開発して性能の向上に貢献された上田さんです。
もっと明るい光を作るには 〜ポイントは“蹴る”時間〜
放射光とは電荷をもった粒子が曲がるときに発生する光のことで、物質を調べる上で大変重要なツールになっています。KEKの放射光加速器では、円形の加速器に電子を蓄積することで強力な放射光を発生させることができます。
1997年、放射光加速器グループは加速器の改造を行いました。加速器に沿って並べる磁石を増やし、エミッタンス(ビームの質を表す言葉。値が小さいほどビームが絞れて放射光が明るい)を従来の5分の1にすることを目指したのです。この磁石の並び方から理論的に可能になる最低のエミッタンスを達成するためには、今までにない新しい「キッカーマグネット」の開発が必要でした。
「キッカーマグネットとは文字通り、ビームを蹴る(キックする)電磁石のこと。ビームを蹴って、ふくらみをもたせるのです。」
放射光を発生させる電子を蓄積する円形加速器には、1日に1度10分程度、1秒間に25回の割合で直線型の加速器から電子の固まりを入射します。入射したビームが円形加速器の中に蓄積されるには、入射のタイミングに合わせて、すでに安定した軌道をとって蓄積されているビームを入射点に近づけるようにふくらませることが必要です(図2)。
このビームのふくらみを作るのが加速器に沿って設置された4つのキッカーマグネットです。K1、K2で蓄積ビームを外側に膨らませ、K3、K4で入射されたビームと共に元の軌道にもどします。こうすることで入射されたビームが安定した中心軌道にのることができるのです。
「しかしここで大きな問題がありました。高輝度化改造が目指す最低エミッタンスでは、ビームが安定して蓄積される加速器内部の領域が非常に狭いのです。旧型のキッカーマグネットではこの領域内にビームを入射することができませんでした。」
電子は円形加速器を約624ナノ秒で1周します。ところが旧型のキッカーマグネットは、ふくらませたビームが元にもどるのに1回2.5マイクロ秒かかっていました。これはビームのふくらみを作るキッカーマグネットの磁場パルスが、ピークから元にもどる時間に相当します。
1マイクロ秒は1000ナノ秒ですので、入射されるビームは1回蹴ればよいところ、電子が2周、3周と加速器を回る間もキッカーマグネットの影響を受け続けてしまいます(ビームの入射は0.04秒に1回)。エミッタンスが大きいときにはそれでもよかったのですが、最低エミッタンスを目指すときには、ビームが蓄積されるべき加速器内部の領域からとびだしてしまって、蓄積することができませんでした。
そこで新しいキッカーマグネットでは、入射したビームが1周して戻ってくるまでに、磁場パルスが立ち下がっていることが要求されたのです。つまりパルスの立ち下がりが、電子が加速器を1周する624ナノ秒より短くなくてはなりません。そのために、短い時間でパルスが立ち下がるキッカーマグネットの開発が必要でした。
パルスの立下りを早くするために、電荷をためておくケーブル(図3(A))と同じ電気特性をもったマグネット形式(図3(B))を使うことにし、これをもとに上田さんによって新しいキッカーマグネットがデザインされたのです。
泡の上手な消し方 〜放電との闘い〜
「誘電体に使ったアルミナセラミックスの公称耐電圧は1ミリあたり1万4千ボルトでしたが、実際には1ミリあたり1万ボルト以下で放電がおきて絶縁破壊してしまいました。なぜか。ここからが大変だったのです。」
空気中にある電極板を絶縁するのには樹脂(エポキシ)が使われました。樹脂で固める際には脱泡をして、樹脂の中に放電を起こす気泡が残らないようにしなければなりません。というのは、誘電体の中に気泡があるとその部分に電場が集中して部分放電がおこってしまうからです。部分放電は誘電体を侵食し、最終的には絶縁破壊をおこす原因になってしまいます(図4)。
しかし最初のころは、いくら脱泡をしても気泡が残ってしまいました。
「その場所を調べると、位置決めをするスペーサーに気泡がひっかっかっていたことがわかりました。」
さっそくスペーサーを抜いてテストしてみると、今度は新たに電極板に沿ってセラミック板が割れたのです。補強のためスペーサーを一部に入れ、さらに電極板の底面に気泡が残りやすいことから、底面に傾斜をつけて気泡が抜けやすくしました。
気泡は直径が1mm程度の穴として残りますが、このほかにも樹脂が収縮するときに非常に小さな穴ができ、絶縁破壊の原因になりました。そこで色々な樹脂を調べ、従来の体積収縮率3%のエポキシから0.3%のシリコンラバーに換えました。これによって使用電圧で絶縁破壊が起きないようにしたのです。
「1万5千ボルトを25時間かける通電テストのときは、パルス波形を見ながら緊張のしっぱなしです。でもテストの時間が長いので、ある程度時間がたって壊れないかなと思ったときは、徐々に安心して眠くなってしまいました(笑)。」
放射光を支える技術
こうして新しいキッカーマグネットとその電源システムは、磁場パルスの立ち下がり時間が600ナノ秒の目標を達成し、2000年に放射光加速器に設置されました(図5、6)。現在の放射光加速器は、現在の磁石の並びから理論的に考えうる最高の放射光輝度を達成することができます。今回の受賞はこのキッカーマグネットと電源システムの開発実績が評価されたものです。
趣味はスキーと読書という上田さん。
「"泡"にさんざん悩まされても、泡風呂は好きなんです。3歳になる子供も喜んで入ってくれますしね。入浴剤を入れて時々入ります。」
(サイエンスライター 横山広美)
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[図1] |
キッカーマグネットの説明をする上田明氏 |
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[図2] |
キッカーマグネットK1〜K4。直線加速器から円形加速器に電子が入射される際に、すでに蓄積されているビームの中心軌道をK1、K2によって入射点に近づけて入射ビームを取り込む。このビームのふくらみ(バンプ)をK3、K4によって中心軌道に戻す。 |
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[図3] |
早い立下りを実現するために、キッカーマグネットは電荷をためて伝える同軸ケーブルと電気的に同じ構造をしているのが好ましい。(A)、(B)は電気的には同じ構造(C)である。50オームの同軸ケーブルを8本使うことを想定して、6.25オームの低インピーダンスを実現した。 |
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[図4] |
キッカーマグネットの電極板は、絶縁のために樹脂で固める。樹脂の中に気泡(直径約1mm)が残ると部分放電をおこし絶縁破壊の原因になる。写真は気泡が放電し、黒く焦げた跡。満足いく脱泡ができるまで試行錯誤が繰り返された。 |
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[図5] |
キッカーマグネットは取り出し可能な30枚のセルから構成されている。例え絶縁破壊したとしてもその1枚を交換すればよい。 |
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[図6] |
キッカーマグネットから取り出したセル。白いところが誘電体のアルミナセラミックス。1枚のセルは電極板と誘電体の組み合わせでできており、電極板を絶縁するために樹脂(シリコンラバー)が使われている。 |
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[図7] |
キッカーマグネットによる磁場波形。パルスの立下り時間600ナノ秒を実現し、入射した電子が1周して戻ってくるまでにパルスが立ち下がる。これによって最低エミッタンスでのビームの入射が可能になった。 |
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