素粒子原子核研究所(以下、素核研)エレクトロニクスシステム(以下、E-sys:イーシス)グループは、センサーからシステムに至るまで世界に1点だけの実験装置を開発し、世界最先端の研究に貢献しています。研究開発は素核研のみならずKEKの加速器研究施設や物質構造科学研究所、放射線科学センター、超伝導低温工学センターといった機構内の様々な施設や他大学と一緒に行っています。そのE-sysグループが現在、産業技術総合研究所(以下、産総研)と共同で世界初の検出器を開発中と聞き、取材しました。お話を聞いたのはE-sysグループの岸下徹一 准教授、藤田陽一 専門技師、産総研の小杉亮治 総括企画主幹と素核研COMET(コメット)グループの深尾祥紀 助教です。
-E-sysグループと産総研ではCOMETグループと連携して、世界で初めてシリコンカーバイドセンサーを素粒子実験へ使用すると聞きました。説明お願いできますか?
●岸下准教授「私達は、シリコンカーバイド(詳しくは後述します)を使い、荷電粒子を測定するためのセンサー(素粒子センサーと呼ぶことにします)を開発し、世界で初めて素粒子実験へ使用する計画を進めています。その素粒子実験とは、茨城県東海村の大強度陽子加速器施設(J-PARC)で実験開始予定のCOMET実験(注1)です。ミューオンがニュートリノを出さずに電子に転換する事象を捉えてレプトン世代数の保存則を破るような現象を探索していますが、この事象は100兆回に1回程度というごく稀な確率で起こる可能性があると考えられています。その反応を正確に捉えるために、ミューオンビームの中に信号識別の邪魔になる粒子が紛れ込まないように、陽子ビームを監視するモニターを設置する予定です。さらにミューオンビームの軌道上にもモニターを設置し、ミューオンビームの形状を測定します。今回開発しているセンサーは、これらのモニターに使用する計画です。
通常は素粒子実験の検出器関連の素材にシリコン半導体を使用することが多いのですが、COMET実験のようにモニターをビーム軸上に設置していると、通常の素粒子実験よりも高い放射線耐性が必要になります。そのため、シリコンよりも放射線に強く、かつ比較的安価で加工がしやすい素材を探していました。ダイヤモンドは放射線耐性に非常に優れているのですが、大面積のウェハ(半導体の素材となる結晶を薄く切った板状のもの)作製が実現しておらず、これを素材にセンサーを大量生産するのは難しいのが現状です。
そこで、私達はシリコンとダイヤモンド(炭素)の中間程度の性質を備えたシリコンカーバイド(SiC、Siはシリコン、Cは炭素)に注目しました。シリコンカーバイドは既に産業関連でも広く使われており、現在では電気自動車の動力となるモータの回転数制御装置を省電力化する部品(省電力パワーデバイス)として注目されています。簡単に言うと、シリコンカーバイド製の省電力パワーデバイスを使って電気自動車を作ると、一回のバッテリー充電当たりの走行距離を延ばすことができます。我々はこのシリコンカーバイドを素粒子センサーに応用しようと考えました。シリコンカーバイドはシリコンよりも放射線に強いのですが、素粒子センサーへの活用例はまだありません。その理由は、シリコンカーバイドで高性能な素粒子センサーを作るのが困難なためです。」
-これまでに無い、シリコンカーバイドを使ったセンサーを開発しているのですね。開発はどのようにして行っているのですか?
◆小杉上級主任研究員「開発は、KEKと産総研がお互いの得意分野を活かし共同で進めています。産総研はシリコンカーバイドという半導体材料の作製からパワーデバイスの試作までを一貫して実施できる世界でも数少ない研究機関の一つです。そのため放射線センサー用途に特化したシリコンカーバイドの材料作製や、放射線センサー専用のデバイス設計を行うことができます。少し専門的になりますが、放射線センサー用途に特化するためには、極めて高純度なシリコンカーバイド薄膜(シリコンカーバイド エピタキシャル膜(注2))を形成する技術と、ダイオードという整流素子に関しての専用設計技術が必要になります。
一方で、シリコンカーバイドから得られる信号量はシリコンよりも小さいため、素粒子センサーの信号の邪魔となる情報を大幅に削減できる、つまり超低雑音の読み出しエレクトロニクスが必要になります。こうした検出器のエレクトロニクス部分には実験の仕様に合わせた専用のカスタムIC(集積回路)チップを用いますが、それは素粒子実験用の回路設計が専門のE-sysグループだからこそ作ることができます。」
-産総研なら素粒子実験用に超高純度シリコンカーバイドを利用した素粒子センサーを作ることができるのですね。検出器を半導体材料から作製するのはCOMET実験グループも含めた共同研究チームのこだわりなのでしょうか?
■深尾助教「そうですね。センサーを材料から自分達で作るのは私達の精度へのこだわりであり、このセンサーの最大の特徴でもあります。シリコンならば高品質な結晶を簡単に作ることができますが、シリコンカーバイドでは超高純度なエピ膜(注2)を成長させるのが難しいのです。既製品のシリコンカーバイドもあり、他の分野では活用されているのですが、素粒子を1個ずつ検出しなければならない素粒子実験用のセンサーに使用するには残念ながら品質が達していません。また、既製品ではエピ成長させる時の濃度、温度などのパラメーターが分からず、エピウェハ(注2)ごとに性能も異なってしまいます。
ですが、自分達で作製したエピウェハであればあらゆるパラメーターをセンサー用に一番良い値に調整可能なので、品質を向上できます。今までの素粒子実験ではここまでの精度を求められていなかったことや技術的な難しさがあり、自分達で材料から作ることまではしてきませんでした。」
▲藤田専門技師「自分達で結晶から作る利点はもう一つあります。素粒子がセンサーを突き抜けた時発生する信号は微弱で、雑音が大きいと素粒子を検出できません。この雑音の原因の一つは、漏れ電流(注3)と呼ばれるものです。この漏れ電流を減らし実験に使えるようにするためには結晶の高品質性とセンサーの構造の最適化が必須となり、産総研との協力が不可欠です。」
-ごく稀な反応を捉えるために、非常に細部まで調整が必要なのですね。他にもこのシリコンカーバイド素粒子センサーならではの特徴はありますか?
●岸下准教授「先ほどの話の中でセンサーの構造の最適化の話が出ましたが、シリコンカーバイドを使って、“PNダイオード”で作る点も特徴です。半導体を使用し素粒子センサーを作るとき、ダイオード構造(注4)を利用します。このダイオードにはショットキーバリアダイオードとPNダイオードの2種類があります。
ショットキーバリアダイオードは作製工程が簡単という利点がありますし、世界中のシリコンカーバイドの90%はこちらを使用しています。ですが、ショットキーバリアダイオードは半導体/電極界面の状態によってその電気特性が変化するので、特に大面積の素粒子センサーとして品質を維持するのは困難です。このような理由により、COMET実験用の大面積素粒子センサーにはショットキーバリアダイオードを使用するのは困難と考えました。
一方、PNダイオードは作製工程が複雑ですが、性能を一様にして、品質を一定にできます。そのため従来型の小面積なセンサーとしてだけでなく、素粒子実験に必要なより大面積をカバーする検出器としても使用することができます。
ですので、我々の目標とするCOMET実験が、シリコンカーバイドの素粒子実験応用という観点では世界初の実用例となるのです。」
-作るのは非常に難しそうですが、実現できれば世界初なのですね!楽しみです。
では、開発の今後の予定を教えて下さい。
■深尾助教「今は、検出器の構成要素である素粒子センサーが使えることが実証された段階で、シリコンカーバイド検出器を使用した素粒子実験という世界初の成果に現実味が出てきました。今後は2023年度終わり頃から開始予定のCOMET実験の物理測定でシリコンカーバイドビームモニターを使うことを目指して開発を進めています。あと一息です。
同時進行で、E-sysグループではエレクトロニクスの設計を進めています。こちらももちろん、COMET実験に合わせたものを考えています。」
-では次に、技術開発の醍醐味を聞かせて下さい。
●岸下准教授「既に売っているものを作るわけではなく、自分達の手で世界に存在しないものを作り、世界最高性能を出せるのはエキサイティングですね。現在開発している素子は一つの大きさが4 mm角ですが、今後その1000分の1程度(μm角)の小さい素子を並べることで画像が取得できる素子を開発しようと思っています。これができると素粒子センサーだけでなく、他の分野への応用も広がります。例えば、人間の目や既存のセンサーでは感知できない短い波長の画像も撮れるようになるからです。まさに新しい世界を見るためのセンサーですね。このように一から自分達で作り、世界一を目指しているのでワクワクします。そしてそれこそがものづくりの原点であり、我々の分野から世の中に対して発信できる良い影響ではないかと思います。」
■深尾助教「KEKの実験はどれも世界一を目指しています、言い換えると世界で誰もやったことがないことに挑戦しています。ですので、それを実現する機器の開発も世界初、当然やり方も分かっていないことに挑戦することになります。大きな壁に直面することもよくありますが、同時にやりがいもあります。」
▲藤田技師「分業化の進んだ海外のグループと異なり、我々のような規模のグループでは開発者は仕様決定から設計・作製・評価という全ての作工程に携わる必要があります。世界と競争していると、その分苦労も多く成果を出すまでに時間がかかることもあると思います。しかし、一人一人が全ての工程を理解し議論できるからこそ、全く新しい知を世界に発信できる体制になっており、我々はきっとどこにも負けていないと考えています。」
◆小杉研究員「産総研でのシリコンカーバイドの研究はパワーデバイスへの応用がメインですが、今回KEKさんとの連携により素粒子センサーという新たなアプリケーションに適合したデバイス開発に携わることができ、大変興味深い経験をさせて頂いております。センサーに用いるダイオードというデバイス構造は、パワーデバイスの世界では極めて基本的な構造ですが、耐放射線性や超高感度化といった特徴を引き出すための専用設計に挑んでいます。また、汎用のパワーデバイス開発と違い、COMET実験という特定ミッションのための開発ということにも面白さを感じています。」
-最後に、意気込みや読者の方へのメッセージなどをお願いします。
●岸下准教授「世界初の成果まで、本当にあと一息というところまで来ました。世界初を達成するために頑張りますので応援していただけたら嬉しいです。」
■深尾助教「COMET実験で使う検出器は他にも新しい物が多くありますし、COMET実験のような世界最先端を目指す実験では、到底実現できないのではと思うような技術も要求されます。ですが、試行錯誤しながら日々要求に応じて新しい技術開発をしていきます。」
▲藤田技師「国際共同実験であるCOMET実験の中でも高い技術力を持つ”メイド・イン・ジャパン”の実験装置は実験成功に大きく貢献すると思います。COMET実験の要求を満たすようなシリコンカーバイドセンサーの作製は技術的な困難も伴い、とても挑戦的な開発になりますが、産総研と協力しながら実現させます。」
◆小杉研究員「COMET実験はKEKの中でも重要研究と位置付けられており、我々が共同で開発しているシリコンカーバイド素粒子センサーは、その目標達成のためのキーデバイスの一つと伺っています。微力ながらその実現に貢献できればと思っています。」
用語解説
注1. COMET実験
現代の素粒子物理学の基本的な枠組みである「標準理論」を超えたSUSY(スージー)粒子のような未知の素粒子が存在すると、標準理論の枠内で起こる通常のミューオンの崩壊とは異なり、ミューオンがニュートリノを出さずに電子に転換する事象(ミューオン電子(μ-e)転換事象)が起こるかもしれません。COMET実験では、このようなミューオンの稀な反応でレプトン世代数の保存が破れている現象を探索しています。COMET実験には2022年1月現在、世界18カ国から200名以上が参加しています。
注2. エピタキシャル成長(エピ成長)、エピタキシャル膜(エピ膜)
エピタキシャル成長はウェハ上に超高純度の薄膜(シリコンなどの基板の上に付着させるごく薄い膜)を付着させる手法の一つです。基板となるウェハの結晶の上に、結晶面を揃えて新たに結晶を成長させます。エピタキシャル成長によって着ける薄膜をエピタキシャル成長膜(エピ成長膜)またはエピタキシャル膜(エピ膜)と呼び、エピ成長膜を付着させたウェハをエピウェハと呼びます。
注3. 漏れ電流
半導体の欠陥部分や表面の状態によって流れる微小電流。
注4. ダイオード構造
電流の流れを一方だけに流す電子部品で、半導体部品を使用しています。シリコンカーバイドでは下図のようなダイオードを用いることで、素粒子がセンサーを突き抜けた際に発生する電気的な信号を速やかに、かつ高精度で収集することができます。
参考論文
雑誌情報: IEEE Transactions on Nuclear Science, vol. 68, pp. 2787-2793, 2021.
タイトル: SiC p+n Junction-Diodes toward Beam Monitor Applications
著者: T. Kishishita and R. Kosugi et al.
DOI: 10.1109/TNS.2021.3118788