理論センターの野尻美保子 教授が第9回湯浅年子賞 金賞を受賞しました。湯浅年子賞とは、お茶の水女子大学が湯浅年子博士の自然科学及びその関連分野に対する功績を記念して(引用:お茶の水女子大学賞「湯浅年子賞」 )設立した賞です。湯浅年子博士(1909年〜1980年)は、主に原子核実験分野で国際的に活躍されると同時に、東京女子高等師範学校、お茶の水女子大学で大勢の女子学生を育成された研究者です(参考:同上)。
野尻教授は今回「宇宙暗黒物質の創成と検出に関する研究」が評価され、本賞の受賞に至りました。宇宙に存在する物質のうち85%を占めると考えられている謎の粒子、暗黒物質が宇宙初期にどのようにして誕生したか、また、どのような実験で探索可能かといった研究を、理論的な観点から精力的に取り組んできました。野尻教授に、研究や女性研究者を取り巻く環境の改善に向けた取り組みなどのお話を聞きました。
―受賞の感想を聞かせて下さい。
●野尻教授「この度は湯浅年子先生の名前を冠した賞をいただき大変光栄です。
今回の受賞に繋がった研究を始めたのは、京都大学で学位を取得後、高エネルギー物理学研究所(今の高エネルギー加速器研究機構)に受託学生として移動してからです。私の研究のかなりの部分は実験の先生方との共著で、最初はコードの書き方から、実験の難しさまで色々なことを教えていただきました。今後は多くの若い方に素粒子分野に参加していただくことがとても大事なことだと考えています。」
-今回受賞理由となった研究は学位取得後の頃のものとのことですが、当時はどのようなことを研究していたのでしょうか?
●野尻教授「現代素粒子物理学の基本的な枠組みである素粒子標準模型の粒子として、現在ではかなり性質が分かっているトップクオークやヒッグス粒子でさえ、当時は未発見でした。また、暗黒物質が宇宙のどこに存在しているのか、どのように分布しているか、といったことも分かっていませんでした。理論面からそのような謎の解明に取り組んでいました。」
―その研究は今どこまで進んでいるのでしょうか?これから素粒子物理の道に進む方は、どのようなことに注目すると面白そうなのでしょうか?
●野尻教授「今は重力レンズ効果による観測や数値シミュレーションなどを活用した研究から、暗黒物質の分布などが分かっており、宇宙に存在する暗黒物質については、かなり正確にイメージができるようになっています。ですが、暗黒物質の正体は依然不明のままです。スイス・ジュネーブ近郊にある欧州原子核機構(CERN)の大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で超対称模型などを用いて暗黒物質探索ができるようになりましたが、それでもまだ暗黒物質の正体は見つかっていません。
これまでは超対称性理論で暗黒物質の正体を考えてきましたが、最近は、超対称性粒子以外の可能性についても真剣に考えた探索が行われています。最近の暗黒物質探索はバリエーションが広がっていますね。例えば、KEKで昨年12月に発足した量子場計測システム国際拠点(QUP)などは、とても軽い暗黒物質の探索プロジェクトにも関係しています。
今すぐ素粒子研究の世界に入ってくる方は、その辺りに注目すると良いのではないでしょうか。
他にも、LHCでより高輝度での実験が始まります。つまり、より精密な測定になっていきます。素粒子の理解がより進むでしょう。最近話題になっている深層学習がLHCの解析で注目されています。私はLHCでみられるジェット(粒子が同じ方向に放出される現象)を深層学習で研究しています。当初はジェットを画像と捉えて、画像解析の深層学習アルゴリズムがつかわれていましたが、最近はQCDのダイナミクスをもとにしたアルゴリズムが注目されるようになっています。深層学習を使って、これまで発見できなかった現象を発見できるようにしたい、という提案もあり、このような分野にも挑戦したいと思っています。」
野尻教授は素粒子理論研究に勤しむと同時に、女性研究者を取り巻く環境の改善や社会的地位の向上に向けた活動もしています。それらの取り組みの一例として、TYLスクール理系女子キャンプがあります。TYLスクール理系女子キャンプは、KEKとToshiko Yuasa Laboratory(TYL)の共同企画、お茶の水女子大学、奈良女子大学との共催のイベントです。世界で活躍する女性研究者や女子大学院生との懇談や科学実験などを通じて女子高校生の皆さんに理系の道を知ってもらうことを目的に、毎年KEKを会場に開催しています。野尻教授は理系女子キャンプの運営に携わっています。
―理系女子キャンプは今年10周年を迎えます。これまでどのような思いで運営してきたのでしょうか?
●野尻教授「理系女子キャンプは関係する皆さんが協力して実施してきたもので、KEKの支援をうけて、毎年、さらに良いものになっています。このイベントでは参加者同士の交流はもちろん、大学院生の皆さんにも大学院生活などについてお話してもらう機会も提供しています。そこから参加者同士や参加者と大学院生が互いに交流する繋がりが生まれています。
日本で実現するのはまだまだ困難ではありますが、生物系のように、数学や物理、工学の分野に進む女性の比率が3割を超えるよう目指しています。女性が少数であることをどう乗り越えるかが課題ですが、彼女達にとって科学業界が居心地の良い場所にしたいです。理系女子キャンプに参加した女子高校生の皆さんには、世代が近い人と話をして、(女性でも)科学をやっていることが特殊なことではない、科学を普通にやっても大丈夫と感じていただきたいです。
理系女子キャンプは女子学生に向けた試みですが、サマーチャレンジなど様々な滞在型のイベントやっていますので、ぜひ多くの方に興味をもっていただければと思います。」
他にも、野尻教授は託児室世話人有志の会の一員として、2000年に日本物理学会の託児室を設置しました。初めは理事会からの反応は渋いものでしたが、2000年7月当時の現地 (新潟大学)実行委員会の全面的な協力もあり、この回から物理学会会場での託児室設置が始まりました。当初は若手の人材不足により利用者からの世話人選定が難航したり、少子化問題で利用者が少なかったりといった問題は抱えていましたが、学会が若い子育て世代をサポートすることが、当たり前と考えられるようになり、シッター会社への運営委託が安定したことで運用は安定しています。託児室を開設したことで周囲の理解が深まり、子供連れで学会に参加しても温かい目で見守ってもらえるようになったと子育て世代から実感も得られるようになってきました。
●野尻教授「湯浅年子賞受賞理由の研究の中でもコライダー物理を始めた頃は、子供が小さく、ずっと一人で育児を行ういわゆる「ワンオペ育児」をしていて大変苦しい時期でした。海外での講演依頼やワークショップの世話人などもほとんどお断りするような状態だったことを思い出しました。最近はコロナのためにオンライン会議などが普通になりましたが、子育て世代に配慮した研究環境の構築が大事だと考えています。」
―野尻教授はワンオペ育児をしながら研究活動も続けてきたとのことですが、その中でどのようなことを感じましたか?
●野尻教授「最近は国内外で男性も家事や育児をするようになり、状況は良くなってきてはいますが、今以上にもっと関わるべきだと考えています。女性が、育児あるいは研究が疎かになることを恐れて、どちらかを諦めてしまうのは残念だと思っています。親世代と同じ働きを自分に要求するのではなく、外部サービスの利用や仕事の分担などを積極的に活用して欲しいと思います。男性についても同様だと思います。
男女共同参画のアウトリーチイベントや会議などで女性の負担も大きくなってきたように感じるので、このような活動に男性も一緒に取り組まなければと感じています。物理学の分野においても、今後より多くの大学で男女共同参画の取り組みが積極的になされることを願っています。
他にも、『輝ける女性のための〜』というキャッチフレーズや女性への表彰というものも、すごく頑張らなければ!という気持ちにさせているのではないかと違和感を感じているので、そういう風潮を変えて行かなければと私自身思っています。スーパーウーマンしか学術業界に残れないと思われることも避けたいです。」
―そのような環境のなか子育て中の研究者へのアドバイスはありますか?
●野尻教授「シッターさんにお願いするなど、抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、どんどん外注していきましょう。絶対に自分だけで育てなければという社会の圧力も何とかしたいです。研究も自分が面白いと思ったことをやれば良いのです。」
―最後に、特に女性の、若手研究者または科学の道に進もうとしている学生の皆さんへメッセージをお願いします。
●野尻教授「若手女性が全部完璧にこなそうとされて、そこで悩んでいるのではないかと心配しています。うまく割り切れないままストレスを感じていないでしょうか。家事も研究も子育ても…とパーフェクトでなくてもいいのだと、ちょっと気を抜いた気持ちになれるといいなと思っています。学生さんも、成績は悪くないか、自分はちゃんとあれをしていない、これができていないと考えてしまう気持ちが強い女性が多いのではないでしょうか。
失敗しても、少し手を抜いても大丈夫という気持ちになれたら、と気になっています。手抜きしながらうまく、賢く目標を達成するにはどうしたらいいか考えてみるのはいかがでしょうか。」