磯暁 教授(KEK理論センター、量子場計測システム国際拠点、総合研究大学院大学)と折笠雄太 研究員(Czech Technical University in Prague:チェコ工科大学、論文の研究当時は総合研究大学院大学(総研大) 高エネルギー加速器科学研究科 素粒子原子核専攻)が、日本物理学会第27回(2022年)論文賞を受賞しました。本賞は、独創的な論文の発表により、物理学の進歩に重要な貢献をした研究者の功績をたたえるために(引用:日本物理学会)制定された賞です。
磯教授と折笠研究員の受賞論文は「TeV Scale B - L model with a flat Higgs potential at the Planck scale: In view of the hierarchy problem」(プランクスケールで平坦ポテンシャルをもつTeVスケールB - L模型:階層性問題の観点)です。素粒子物理学にはいくつか未解決問題があり、その一つに階層性問題があります。クオークや電子などの素粒子に質量を与えるヒッグス粒子は、2012年にスイス・ジュネーブジュネーブ近郊にある欧州合同原子核研究機関(CERN)の大型加速器で発見されました。またヒッグス粒子自身の質量は126 GeVであることがわかりました。ところが、もしヒッグス粒子を記述する素粒子の標準模型が、より高いエネルギースケールをもつ理論(例えば大統一理論)に埋め込まれているとするならば、ヒッグス粒子の質量は、大統一理論のエネルギースケールである1016 GeV程度に重くなってしまいます。なぜヒッグス粒子の質量は、それに比べて遥かに小さな値で安定して存在できるのか、これが階層性問題です。
ヒッグス粒子発見に先立ち、素粒子の標準模型の様々な物理量についての精密な測定結果も発表されました。これに伴い、ヒッグス粒子発見の期待が高まるとともに、ヒッグス粒子の階層性問題を解決するために多くの研究者が必ず存在するだろうと予想していた新粒子(例えばTeVスケール質量をもつ超対称粒子)に対する制限もますます厳しくなっていったのです。そこで、実験結果と矛盾せずに階層性問題を解決するためは、理論をどんどんと複雑にせざるを得ない状況に陥っていました。
こういった状況の中で、磯教授と折笠研究員は、階層性問題を考える出発点そのものが違うのではないかと考えました。ヒッグス粒子はスカラー粒子(注1)です。このスカラー粒子がクオークなどの素粒子に質量を与えるためには、ヒッグス粒子のポテンシャル形状を“メキシカンハット型”(または“ワインボトル型”)にして自発的対称性の破れをおこす必要があります。この形状が階層性問題を引き起こすのです。磯教授と折笠研究員は、形状が問題ならば、初めからそのような形状を考えるのではなく、出発点として平坦な形状のポテンシャルを用意し、運動(量子的ダイナミクス)の結果としてメキシカンハット型が導かれる機構を導入すれば良いのではないかと考えたのです。
その結果、誕生したのが標準理論のゲージ場(注2)を拡張したB - L(バリオン数-レプトン数)ゲージ対称性をもつ模型です。受賞論文に先立つ論文において、磯教授と折笠研究員は、岡田宣親助教(当時、現在はアラバマ大学教授)とともに、古典的スケール不変性(注3)を仮定したB - Lゲージ対称性を考えることで、精密測定実験とも階層性問題とも矛盾しない素粒子模型がつくれることを示しました。これは非常にシンプルな理論模型でしたが、世界中の誰もまだ考えたことのないものでした。
今回の論文は、この理論模型をさらに推し進めて、重力や時空が量子的に振る舞うプランクエネルギーと、電磁気力を結び付けた理論研究の成果です。磯教授によると、この理論が正しければ、初期宇宙の相転移シナリオが大きく書き変わる可能性があるとのことです。暗黒物質はいつどのようにしてどの程度生じたのか、宇宙初期の重力波はどのくらい生成されたのか、未発見の新粒子である右巻きニュートリノは見つかるのか、といった謎について従来とは異なる理論予想が導き出される可能性があるので、実験や観測での検証が重要になります。
磯教授と折笠研究員にお話を聞きました。
-受賞の感想を聞かせて下さい。
●磯教授「今回論文賞を受賞した論文は、折笠さんが総研大の学生として私の研究室に入ってきたばかりの時に一緒に始めた研究の続きになります。今回の論文賞受賞が折笠さんのこれからのキャリアアップに繋がれば何より嬉しいです。」
◆折笠研究員「この論文は博士課程の研究の集大成で、自分の研究人生における原点のような論文でした。ですので、論文賞という栄誉ある賞を受賞し、とても嬉しく思います。
磯先生には総研大在籍時に指導教官として色々指導していただきました。この研究も磯先生と一緒にアイディアを温め、指導していただきながら完成したので磯先生には感謝しています。」
-折笠さんは今どのような研究をしているのですか?
◆折笠研究員「根本にあるものは学生時代と同じですが、今はその時とは少し違う観点から研究しています。今は、ニュートリノだけ他の素粒子に比べてなぜ質量が非常に軽いのかという研究をしています。遠く離れているスケールを繋げるというモチベーションは受賞論文と共通していますね。」
-この先どのような謎を解明したいですか?
●磯教授「今回の理論模型は非常に簡単な模型ですが、そこから明らかになる物理現象は面白いものがたくさんあります。物理的背景もとても深いものと繋がってくるはずです。今後は、ぜひ弦理論の双対性など、より根本的なところからこの模型の必然性を解き明かしたいです。
それと同時に、私達の模型が本当に宇宙を記述しているかどうかはまだ一切分かっていません。実験で決着をつける必要があります。今、素粒子物理学は面白い時期にあります。ヒッグス粒子以外の新粒子がまだ見つからず、人によっては苦しい時代と捉えてしまうかもしれませんが、見方を変えてみれば、我々がまだ見えていない新たな視点が必要だということです。宇宙観測などからも、新しい発想や考え方が見つかれば、素粒子物理学の研究にブレークスルーががもたらされるでしょう。視点を変えてみれば、素粒子物理学の研究者にとって、こんな挑戦的な時代はありません。」
◆折笠研究員「受賞論文は階層性問題に関するもの、つまり、ヒッグス粒子の質量がプランクエネルギー程度ではないという仮定から始まっていますが、今のニュートリノ研究からは、ヒッグス粒子の質量をゼロにするような対称性がありそうということが分かってきました。受賞論文の研究と今のニュートリノ研究をつなげて、受賞論文の研究当時には分からなかったことをはっきりさせたいです。」
用語解説
注1. スカラー粒子
素粒子にはまるで自転しているかのような性質があり、この性質をスピンと呼びます。スカラー粒子はスピンしない粒子のことです。
注2. ゲージ場
自然界にはたらく力は重力、電磁気力、強い力、弱い力の4種類あります。このうち重力以外の力を伝える粒子がゲージ場です。
注3. 古典的スケール不変性
素粒子の標準模型には、質量次元をもつパラメータが一つ(ヒッグス粒子のメキシカンハット型ポテンシャルを決めるパラメータ)しかありません。この項がない理論のことを、古典的スケール不変な理論とよんでいます。
関連リンク
受賞論文情報
タイトル: TeV Scale B - L model with a flat Higgs potential at the Planck scale: In view of the hierarchy problem
著者: Satoshi Iso and Yuta Orikasa
雑誌名: Progress of Theoretical and Experimental Physics, Volume 2013, Issue 2, February 2013, 023B08
DOI: 10.1093/ptep/pts099