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白内障発症の謎 2005.8.4 |
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〜 中性子小角散乱で見るタンパク質の形 〜 |
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「透明人間って、面白そうだなぁ。なってみたいなぁ。」1度は思ったことありませんか? でも、実際に体が透明になるなんて、ちょっと考えられませんよね。ところが、人間の体の中で1つだけ透明な部分があります。それは、「眼」です。正確に言えば、眼球を構成している「角膜」や「水晶体」が人間の体の中の数少ない透明な器官です。これらの器官はレンズの役割を担っているので「透明」でなければなりません。しかし、あたり前のように思える「透明」を保ち続けることは、じつは大変なことなのです。 水晶体が白く濁ってしまう恐ろしい病気が「白内障」です。この病気は年齢とともに発症の確率が上がることが知られており、日本人では80歳ともなるとほとんどの人が程度の差はありますが、白内障を発症しています。この白内障発症の発端が意外なところにあることが最近の研究で分かってきました。 白内障発症の発端 水晶体を構成しているのは、「クリスタリン」と言われている分子量2万ほどのタンパク質です。水晶体内では、このクリスタリンが40個程度集まり、会合体として存在しています。問題は「何らかの原因」で、このクリスタリンの会合が非常に進んでしまう事態が起こってしまうことです。クリスタリンの会合が異常に進み、光の波長以上の大きさ(>4000Å)の非常に大きな会合体が形成されてしまうと、その会合体は光を乱反射するようになります。そして、この異常に大きなサイズの会合体が蓄積されると、水晶体は透明度が悪化・白濁し「白内障」になってしまう訳です。 では、「何らかの原因」とは、何でしょうか?良く知られている様に、タンパク質は多くのアミノ酸がペプチド結合した高分子です。最近の研究により、白内障を発症した水晶体のクリスタリンでは、その構成アミノ酸の中のある特定部位のアスパラギン酸(アミノ酸の1種)が、通常の左手系の配置(L型)から右手系の配置(D型)に変わっていることが分かってきました。(一般に生命を構成しているタンパク質のアミノ酸は全てL型であると考えられていたので、これは非常に驚くべきことでした。)したがって、先程の「何らかの原因」とは、「クリスタリンを構成しているアミノ酸の内のアスパラギン酸がL型からD型への転移することではないか?」と考えられるようになってきています。 まとめると、「クリスタリン内のアスパラギン酸のL型からD型への転移」が、「タンパク質の集まり方に異常を引き起こし」、その結果、「大きな会合体が形成され」、「加齢によりこの大規模会合体が蓄積される」ことにより「白内障が発症する」と考えられています(図2)。 このようなタンパク質の異常凝集による疾病は、水晶体の他にも皮膚の硬化症、牛のBSE、アルツハイマー病、パーキンソン病、筋萎縮性側索硬化症、ハンチントン病などが知られていて、社会的にも話題となっています。しかし、異常会合体形成の発端がアスパラギン酸のL型→D型の転移であるとしても、「どのようにして大きな会合体形成が進むのか?」などの白内障発症までの具体的なプロセスは、謎のままです。この謎の答えに迫るには、まず「年齢に伴ったクリスタリン会合体のサイズ・形状を解明すること」が必要です。そこで、杉山正明氏(京都大学原子炉実験所)らのグループはKEKの中性子小角散乱装置を用いてクリスタリン会合体の構造を解明する研究に着手しました。 中性子小角散乱とは? クリスタリンの会合体は、どのような大きさや形をしているのでしょうか? これは一筋縄でいかない問題で、クリスタリンが水溶液中にあると、さらに困難になります。クリスタリンは、その名前とは裏腹に、これまでのところ結晶化に成功していません。このことは、従来、タンパク質の構造解析に多大な力を発揮してきた単結晶構造解析法が使えないことを意味します。 そこで、結晶化の必要が無く、(生体により近い条件である)溶液中での試料の測定が出来る「中性子小角散乱法」を、クリスタリン会合体のサイズ・形状を求める手法として利用します。中性子小角散乱法とは、平行度の良い中性子ビームを試料に当て、非常に小さい角度(5度以下)に散乱してくる中性子の強度を正確に測定する手法です。 散乱の理論では、「小さい角度への散乱」を測定すると「大きな構造」を測定することが可能になり、小角散乱法では10〜1000オングストローム(Å)程度の大きな分子のサイズや形状が決定できます(1オングストロームは100億分の1メートル)。この大きさは、光学顕微鏡で観測するには小さすぎ、広角回折(結晶・粉末回折法)で測定するには大きすぎる微妙なサイズで、生体高分子をはじめ現在注目されている分子のサイズであるにもかかわらずこれらのサイズを測定できる手法は、あまりありません。また、電子顕微鏡を使う場合は生体関連物質の前処理が難しくなるので、試料の取扱の簡便さでは小角散乱の方が有利です。 中性子小角散乱で見るクリスタリン 図3は、KEKの中性子研究施設KENSに設置されているSWAN分光器(中性子小角散乱装置)を用いて測定した牛由来のα−クリスタリンの中性子小角散乱データです。横軸の散乱ベクトル(Scattering vector)は、散乱角度に対応した量で、散乱ベクトルの小さい領域(=小さな散乱角)に中性子が多く散乱してきていることが分かります。ただし結晶の場合と異なり、散乱データにはピーク(山)などは観測されません。 このデータを変換して、距離分布関数P(R)というものを求めます。これは簡単に言うと「様々な長さの物差しを物体の中に置くとして、物差しの長さに応じてどれだけの置き方があるか」を表す関数で、物体の形に応じて距離分布関数の形は異なります。 小角散乱データの解析の第1歩としては、いくつかの代表的な形の距離分布関数と測定データ(のフーリエ変換)を比較し、一番確からしい形状を求めてみます。代表的な形として、球と回転楕円体(ラグビーボール形)を考えると、図4のようになります。 意外なことに水中でのクリスタリンの形状は、一番単純な形である球とは大きく離れており、細長いラグビーボール形をしていることが分かります。具体的には、短い側の長さR1が67オングストローム、長い側の長さR2が105オングストロームであると見積もられます。(R1、R2については図を参照してください。)このようにしてクリスタリンの会合体のサイズ・形状を求めることが可能となります。 クリスタリンがなぜ球でなくラグビーボール形であるかは今のところ謎です。 新しい診断法の可能性 今回ご紹介した中性子小角散乱法を用いると、クリスタリンがどのようなサイズ・形状をしているかを求めることが出来きます。今後は、アスパラギン酸のL型→D型転移の割合を変えたクリスタリン会合体を作り、そのサイズ・形状を求めることで、任意の会合状態が白内障の発症までのどの段階にあるかを知ることが出来るルートマップを作ることが可能となるかもしれません。 抽出が容易な組織の異常凝集病に対しても、同様なルートマップを作ることが出来れば、抽出したタンパク質の凝集度合いをルートマップと照らし合わせることにより早期診断を行うことも考えられます。今後は、このような「分子構造レベルの異常度合」を見ることが、新しい診断法になると期待されています。
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