宇宙にある“反物質”はなぜ“物質”よりも少ないのか。このナゾに迫るBelle実験は世界が注目する結果を次々にだしてきました。この成果を支えているのは優れた実験装置です。
「実験の成否の90%以上が、良い実験を計画して良い実験設備を作り、よいデータをとるところまでで決まる」Belle実験のある研究者はこのように述べています。今日は先週に引き続き、第4回のKEK技術賞を受賞した技術について紹介しましょう。さまざまな苦労を重ねて「シリコンバーテックス検出器(SVD)」の設計と構築を実現した、工作センターの4人の方々のお仕事です(図1)。
Belle実験では電子と陽電子を衝突させてB中間子(粒子)と反B中間子(反粒子)を大量に発生させます。それらが崩壊する位置の差から、粒子と反粒子の性質の違いを調べるのです(図2)。発生した粒子をつかまえるのは、いくつもの検出器が組み合わさったBelle測定器(重さ約2000トン、高さ10m)。その一番内側、つまりビーム衝突点のすぐ外側に設置されているのが、粒子が発生した位置(バーテックス)を10ミクロンの精度で測定するSVD(図3)です。
精度の要“接着”担当の佐藤伸彦さん
「壊れたカメラや自転車を直すのがおもしろくてね。やっぱり機械いじりが好き
だから」という佐藤伸彦(さとうのぶひこ)さんは、SVDの心臓部、シリコンのセンサーをつなぎ合わせる「接着」を主に担当しました。
誰がつくっても同じ品質の製品ができること。これが接着作業に要求された課題でした。シリコンに同じ量の接着剤をつけていく作業は特に、個人によって大きな差がでてしまいます。そこでSVD1(1999年から2003年夏まで使用)を製作する早い段階から、操作速度や接着剤の量を調整するための機能をもったロボットを導入していました(図4)。
しかし、接着剤を吐出するノズルの形にはばらつきがあり、ロボットを使って操作速度などを一定にしてみても、吐出量はなかなか同じになりません。そこでSVD1の製作時には、接着を行う度にリハーサルをして条件を確認してから本番の接着を行うようにしました。
「SVD1とSVD2(2003年夏から使用)では接着の考え方が全く違います。SVD1はシリコン同士を並べてその間を埋めるように接着をしました」
SVD1の開発から6年後に企画されたSVD2では構造が大きく変更され、薄くて強いフィルム状の回路基盤とシリコンを、より少ない接着剤で張り合わせる技術が最大の難関になりました。
「SVD1での常識に囚われていたら、答えは見つからなかったと思います。議論してもわからないときには、接着に必要な道具を造って試してみました。SVD1の経験が充分に生かされ、満足のいく接着方法が見つかったときはとても嬉しかったです」
舞台裏の立役者“治具”担当の大久保隆治さん
みなさんは「治具(じぐ)」という言葉を聞いたことがありますか。治具とは機械工作の際に、工具を正しい位置に導くために用いる補助工具のことをさします。この開発を主に担当されたのが大久保隆治(おおくぼりゅうじ)さんです。
「SVD2でシリコンとフィルム状の回路基盤を正しく張り合わせるためにはお互いの位置が決まっていなければなりません」
SVDでは接着をするための治具、接着を乾燥させるための治具などそれぞれの役割を果たす治具があり、シリコンをピンセットでつまんでその間を移動させていました。しかしこれは大変な作業なため、SDV2作製のときには治具同士を合わせたときに、同じ位置にねじ穴とねじがあるようにし、シリコンの治具間での移動をスムーズにして、作業効率を上げたのです。
「接着ロボットや開発した治具は浜松ホトニクス株式会社に送り、量産はそこでおこなわれました。しかしできあがったラダーを運ぶのは容易ではなく、磁石で固定できる台に載せて学生が新幹線にのって運んだのです。」これではあまりにも効率が悪いと、ラダーを宅配できるように固定するケースも大久保さんによって作製されました。
ラダー(はしご)というのはシリコンのセンサーを一つずつ縦にはしごのように並べたものです。
ラダーの一部はメルボルン大学のメンバーによって作製されましたが、このケースによって空輸も可能になったのです。このようひとつひとつの開発がSVDをよりよいものにしています。
“ビビリ”を克服 精密加工担当の鈴木純一さん
「“ビビリ”に悩まされました」というのはSVDをビームパイプの周りに設置する構造体を担当した鈴木純一(すずきじゅんいち)さん。“ビビリ”とは金属の表面などを加工するときに工具と材料の間の共振のため、削った表面に細かい縞模様ができることを言います。
SVDはBelle実験の測定器の中でも一番内側に位置しています。発生した粒子が検出器を作る物質と相互作用して他の粒子にならないためにも、構造体にはなるべく軽い材料を使うことが要求され、加工の精度が必要とされるところはアルミ、その他はカーボンファイバーからできているCFRPという材料を使うことになりました。
「面とピン穴の加工には、精度を上げるため両端を同時に加工する必要がありました。」一つの部品を10ミクロンの精度で加工しても、最終的には部品を組み立てた後の“10ミクロン×部品の数+組み立て精度”が全体の精度になります。そこで最初に精度が悪いなりに実際に使用される形状に一旦組み立てて、その状態で精密加工を行うことで全体の精度を落とさない手法を取りました。それぞれで加工条件が異なり、ビビリができない最適な条件の模索が何回も行われました。
「精度の高い加工をするには非常に厳しい条件のもと、設計と精密加工をするのは試行錯誤の連続でした。新しい技術に挑戦することは面白いと思いますね」という鈴木さんは、休日は自ら理事をつとめる総合スポーツNPOで汗を流します。
SVDを支える 構造体担当の小池重明さん
「ビームパイプとSVDの構造体それぞれに、自重以外の応力がかからないようにそれぞれ設置するのに頭を悩ましました」というのは小池重明(こいけしげあき)さん。Belle測定器へのインストール方法も含めて、SVD構造体の主な構成を考案しました(図5)。
ビームが通るビームパイプは硬くて脆いベリリウムでできているので、一番細くなるビーム衝突点近くに応力をかけないことが必要です。
「そこでビームパイプ、SVD共に両端でのみの支持にしました。」
そこには精度にこだわった工夫がありました。SVDを取り付ける支持部はガスの詰まった密閉構造なので、大気圧などの変動によって伸縮がおき、ビーム軸方向に最大で100ミクロン程度動くことが予想されていました。この伸縮によってビームパイプやSVDが変形すると、最悪の場合、破損に至る可能性があります。
動きを吸収するために片側をネジで止め、もう一方に弾性のある金属の薄い板“板バネ”を使い、ビーム軸方向にスライドできる構造にしたのです。
「物事が自分の予想した通りに動いたときに喜びを感じます。」という小池さんの鋭気は週末のミニサイクリングで養われています。
(サイエンスライター 横山広美)
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[図1] |
技術賞を受賞した4人。左から、鈴木氏、佐藤氏、小池氏、大久保氏 |
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[図2] |
Belle実験では粒子(B中間子)と反粒子(反B中間子)が崩壊するまでのわずかな時間差を、崩壊点の距離の差(約200ミクロン)から測定する。SVDはこれを十分測れるように10ミクロンの精度を実現している。 |
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[図3] |
Belle測定器で、電子と陽電子の衝突点に一番近い部分に設置されるシリコンバーテックス検出器(SVD)の断面図。SVD1(上側)は1999年の実験開始当時に用いられていたもの。2003年8月に新型
(SVD2:下側) と入れ替えられた。 |
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[図4] |
SVDラダーを組み立てるための接着ロボット |
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[図5] |
SVDラダーを支える構造体 |
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[図6] |
SVDラダーを構造体に組み込む |
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[図7] |
SVDラダーを構造体に取り付けるセットアップ |
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