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中性子をコントロールする「鏡」 2009.11.5 |
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〜 冷たい中性子で探る高エネルギーの世界 〜 |
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茨城県東海村の大強度陽子加速器施設J-PARCの物質・生命科学実験施設では、「冷中性子ビーム」の供給が始まっています。中性子とは、その名のとおり、電気的に中性な素粒子のこと。そのなかでもエネルギーが5ミリ電子ボルト以下のものを「冷中性子」と呼んでいます。電気を持たないためにコントロールすることが非常に難しい中性子。今回は、「スーパーミラー」を使った冷中性子の制御技術とそれを用いた基礎物理研究についてご紹介します。 中性子のもつ特殊な性質 古代ギリシャ人は身の回りのことをよく観察して、どんな物質でも細かく分けていけば小さな粒子になるという「原子仮説」を考えました。20世紀の初頭から、こうしたギリシャ人の考えが正しいことが実験により数多く確かめられるようになり、自然界にはおよそ100種類の原子が存在することがわかっています。古代ギリシャでは、もっとも小さいと思われていた原子ですが、今ではその原子の構造も明らかになってきました。原子のほとんどの部分は何もない空間であり、その空間にはマイナスの電荷を持った電子が雲のように広がっています。そして、原子の中心部には、原子自身の10万分の1という小ささの「原子核」があり、その原子核はプラスの電荷を持つ陽子と、中性子の固まりなのです。 電気を持たないことが中性子の最大の特徴ですが、中性子は他にもいろいろな特殊な性質を持っています。そのひとつが「長い寿命」。中性子は原子核の外に出ると崩壊し、陽子と電子、反電子ニュートリノに姿を変えますが、崩壊するまで約15分は中性子のままの姿を保ちます。この長い寿命を利用すると、高い運動エネルギーを持って発生した中性子を液体水素に通して「減速」し、低エネルギーの中性子(冷中性子)を大量に発生させることができるのです。さらに冷中性子は「波」の性質を持っており、ちょうど原子の大きさくらいの長さに広がっています。 冷中性子はまた、「重力の効果を測定できる」という特徴も持っています。宇宙を動かしている「4つの力(電磁気力、重力、強い力、弱い力)」のうち、重力は極端に小さく、一番大きな「強い力」と比べると、なんと40桁ほどの差があります。電磁気力と比べても38桁も違います。そのため、電気を持つ粒子では、重力が電磁気力に隠されてしまい、測定することができません。ところが冷中性子は、「重力から受ける力」、「磁場から受ける力」と「原子核から受ける力(強い力)」が同程度という不思議な性質も持っています。4つの力の大きさには歴然とした差があるのに、それらから冷中性子が受ける力は同じくらいなのです。これは、冷中性子の持つ「波」の性質によって、広がりを持っているため、強い相互作用が薄まっていると考えられています。この性質は、同じエネルギーでいろいろな実験ができる、という利点をもっています。これらの特殊な性質を組み合わせると、他の粒子にはない特有の精密測定が可能となるのです。 鏡でコントロール 中性子は軽い元素や磁性体に対する感度が高く、X線に比べると水素に関する情報を引き出す能力が高いため注目を集めています。しかし、中性子ビームはX線に比べて強度が低い、という弱点も持っています。J-PARCでは、その弱点を克服するために、「大強度パルス中性子ビーム」を発生させて、物質・生命科学研究を進める計画が進行中です。これらの研究を進めるために開発された技術が「スーパーミラー」と呼ばれる装置。中性子源で発生する広い波長域の中性子ビームを効率的に実験装置まで輸送し、分岐・収束させる装置です。 電気を持つ粒子のビームであれば、プラスの電気をマイナスの電気でひっぱったり、または同じ電気で反発させたり、というようにコントロールが可能です。しかし、電気的に中性な中性子はそうはいきません。中性子は、何もしなければ広がっていろいろな方向に飛んで行ってしまいます。そこで、スーパーミラーで中性子を反射させて、コントロールするのです。 スーパーミラーは、シリコンの基板の上に、ニッケルとチタンの金属膜を交互に少しずつ膜厚を変えながら積みあげたものです。膜の厚さを変えることにより、どんなエネルギーのものが入ってきても同じ方向に反射することができるのです(図1)。また、中性子の入射方向が界面となす角が充分に小さくなると、界面で全反射が起きます。中性子が全反射される入射角が大きいほど、また中性子の反射率が高いほど、中性子ビームの輸送効率が高くなります。日本原子力開発機構#1では、400層と1200層のスーパーミラーを作って中性子の反射率を測定したところ、臨界角での反射率がそれぞれ82%、66%という結果が得られました。これは、世界最高レベルの高い反射率。日本は世界を牽引する成果を上げているのです。さらに、多層膜に磁性体を用いて特定のスピン成分だけを反射するようにした、「磁気スーパーミラー」の開発も進んでいます。こちらも、ほぼ100%スピンが偏極する成果を挙げています。 華開く冷中性子を用いた基礎物理研究 J-PARC物質・生命科学実験施設の中性子ビームラインBL05には、中性子光学基礎物理測定装置(NOP:Neutron Optics and Physics)の建設が進んでおり、2008年12月9日にビームの受け入れを開始しました(図2)。NOPビームラインは、スーパーミラーを使う「低発散ブランチ」「非偏極ブランチ」と、磁気スーパーミラーを用いた「偏極ブランチ」と呼ばれる3つのビームブランチを備えています(図3)。 低発散ブランチでは、中性子干渉を用いて、重力の精密な測定を行う予定です。中性子ビームを2つの経路に分波し、両者を再び合流させる実験を行い、中性子干渉計で測定します。双方の経路の距離の差に応じて変化した中性子の波のパターンを観測することで、エネルギーにして1000兆分1電子ボルト程度の精度で重力の影響を調べることができます。このブランチでは、瞬間強度が大きな「パルスビーム」を利用することで、定常ビームに比べて最大で200倍程度の中性子を干渉させることが可能になると見積もられています。それによって得られる膨大なデータから、実験精度を上げることが期待されます。 偏極ブランチでは、中性子の崩壊を精密に測定する予定です。現在、中性子寿命の精密測定の準備が始まっています。中性子の平均寿命は、初期宇宙元素合成において軽元素比を決定する重要な量です。しかし、最新の中性子データはいまだに、飛行中性子を用いた測定から大きくずれています(図4)。このため、J-PARCでの飛行中性子を用いた精密測定に期待がかかっています。 非偏極ブランチで行われる実験では、キセノンやアルゴン、クリプトンといった希ガス原子による中性子散乱を精密に測定し、中性子と原子の間に働く未知の「中距離力」の探索が行われます。 さらに、アインシュタインの提唱した等価原理の検証、スピノル性の検証、核散乱長の精密測定による少数核子系研究、中性子崩壊の寿命およびスピン角相関項、中性子電荷測定、中性子反中性子振動によるバリオン数非保存探索、そして電気双極子能率の探索なども準備中です。今後のJ-PARCでの冷中性子を用いた基礎物理研究にご期待ください。 #1 訂正
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