大学の学部学生時代に本格的な素粒子・原子核実験に参加する機会はなかなかありません。また、素粒子・原子核実験の研究室が無い学科や、素粒子・原子核物理の講義が開講されていない学部で学ばれている方もおられると思います。
加速器からの粒子ビームを用いた本格的な実験を行うのは大学院に進学してからになりますが、それまでに素粒子・原子核物理をどのように学べばよいかについてご案内します。
まず、インターネット上で利用可能な「物理入門サイト」を集めてみましたので、ご活用下さい。
量子力学を勉強する
なによりもまず、大学の理・工学部の物理・応用物理系の学科で学部3年生の終りまでに講義される、量子力学の非相対論的理論や原子・分子の物理学を勉強して下さい。啓蒙書や解説書ではだめです。講義や演習、そして学部学生向けの標準的な教科書や演習書でしっかり学んで下さい。
量子力学をやらずに原子核・素粒子を勉強しようというのは時期尚早です。穴のあいたバケツに水を溜めるようなもので、効率的ではありません。
啓蒙書や解説書を読み通す
量子力学に自信がついたら、素粒子・原子核物理学についての比較的新しい、そして薄手の啓蒙書や解説書を読み通してみて下さい。
素粒子・原子核物理には、日常生活ではお目にかからない用語(反粒子、クオーク、レプトン、ハドロン、中間子、バリオン、アイソスピン、パリティ、フレーバー、グルーオン、ウイークボゾン、…)が続出します。それらにまず慣れるというのがここでの目標で、例えて言うならば大長編小説を読む前にダイジェスト版を読んで登場人物表をつくっておくような作業です。理解できないところがあっても気にせずに最後まで読み通して、概観を得ることが大切です。
E.セグレ「X線からクォークまで」(みすず書房,1982)
F.クローズ「宇宙という名の玉ねぎ(訂正・増補)」(吉岡書店,1996年)
小林誠「消えた反物質」(講談社ブルーバックス,1997年)
南部陽一郎「クオーク第2版」(講談社ブルーバックス,1998年)
三田一郎「CP非保存と時間反転」(岩波書店講座物理学の世界,2001年)
谷畑勇夫「宇宙核物理学入門」(講談社ブルーバックス,2002年)
平田光司「加速器とビームの物理」(岩波書店講座物理学の世界,2002年)
小柴昌俊「ニュートリノ天体物理学入門」(講談社ブルーバックス,2002年)
堀内昶「核子が作る有限量子多体系」(岩波書店講座物理学の世界,2004年)
*“超弦理論”“超ひも理論”“ストリング理論”に関する本を読むのはずっと後回し(標準理論を勉強してから)にするほうが賢明です。
学部学生向けの講義を聴く、教科書を勉強する
素粒子・原子核物理に関する講義が開講されている場合は、それに出席して勉強するのが早道です。最近は学部レベルの教科書も多数出版されているので、自分で教科書を一冊きちんと勉強するのもよいと思います。素粒子実験には原子核の基礎知識が、原子核の実験には素粒子の基礎知識が必要ですので、どちらか一方ではなく両方を勉強して下さい。
このステップでも大事なのは、詳細にこだわらないことです。この分野では何を目的としていて、どのような研究が過去に行われ、これからどのような実験が行われ、どこが面白そうなのかという全体像を把握しましょう。読んでいてよく理解できないところがあっても悩む必要はありません。
*素粒子・原子核物理を正確に記述するには、学部レベルを越えた量子力学や相対論的量子力学、そして場の量子論が必要です。学部レベルの教科書ではそれらを使わないで物理を説明しなくてはならないので、著者は大変苦労して執筆しています。読んでいて完全に理解しきれない部分が出るのは仕方がないことで、著者の責任でも読者の責任でもありません。むしろ、説明に安易に納得しないで疑問を持ち続けることが将来の研究に役に立つこともあります。
*いわゆる“直感的な説明”は、数式を使って正しく理解した後で初めて納得できることが多いものです。直感的な説明を読んで理解できないからといって「自分はこの分野を理解する物理センスが欠ているのではないか」などと悩む必要は全くありません。
鷲見義雄「原子核物理入門」(裳華房,1997年)
B.ポッフ他「素粒子・原子核物理入門」(シュプリンガー・フェアラーク東京,1997年)
原康夫・稲見武夫・青木健一郎「素粒子物理学」(朝倉書店,2000年)
永江知文・永宮正治「原子核物理学」(裳華房,2000年)
渡辺靖志「素粒子物理入門」(培風館,2002年)
原康夫「素粒子物理学」(裳華房,2003年)
大学院で、本格的な教科書を学ぶ
以上のステップが、学部時代にやっておくべきことです。大学院では、講義に加えて各研究グループで、チューターの指導のもとに本格的な教科書を輪講することにより物理の詳細をしっかり身につけることになります。
全国の大学院の素粒子原子核実験の研究室では、次にあげる標準的な教科書(もしくはそれと同レベルの教科書)のどれかを用いた輪講が行われていると思います。
H.Frauenfelder and E.M.Henley「Subatomic Physics, 2nd edition」(Prentice Hall,1991)
W.S.C. Williams「Nuclear and Particle Physics」(Oxford,1991)
R.N.Cahn and G.Goldhaber 「The Experimental Foundations of Particle Physics」(Cambridge,1989)
長島 順清「素粒子物理学の基礎 I,II」(朝倉書店,1998年)
D.H.Perkins「Introduction to High Energy Physics, 4th edition」(Cambridge, 2000)
高田 健次郎・池田 清美「原子核構造論」(朝倉書店,2001年)
K.Heyde 「Basic Ideas and Concepts in Nuclear Physics, 3rd edition」(Institute of Physics, 2004)
「志望者に求めるもの」の“物理の基礎知識”にあげた項目は実は、“これらの教科書の輪講にすぐ入れるだけの予備知識を入学前に身につけておいて欲しい”という意味です。
*素粒子物理学の教科書には
ボトムアップ型:
歴史的な経緯にそった形で素粒子の様々な現象を説明し、最後に“標準理論”(ゲージ理論)に到達する本
トップダウン型:
最初に“標準理論”を説明し、それをもとに素粒子の様々な現象を説明する本
の二種類があります。
実験系の学生は、まずボトムアップ型の教科書で勉強し、それからトップダウン型の教科書で標準理論を勉強されることをお勧めします。
相対論的量子力学や場の量子論の本格的な勉強は、実はその後で始めても決して遅くはありません。
実験に必要な測定器技術、データ処理方法について
素粒子・原子核実験を行う際は、測定器を動かすためのハードウエアの知識やデータ処理を行うための統計学の知識が必要です。これらは、事前に本を読んで勉強しておくべきものではありません。実験の現場で、共同研究者から教わって自分でやってみながら実地トレーニングを積む(そしてその後で本を勉強して知識を確認する)のが正しいやりかたです。実験の経験なしにいきなりハードウエアや統計学の教科書を読んでも退屈で全く身に着かず(畳の上で泳ぎ方を習うようなものです)、効果的ではありません。
学部で「物理実験学」や「放射線計測学」という題目の講義が開講されていれば、そこで素粒子原子核実験の測定器技術やデータ処理手法の基礎を学ぶことができます。統計学の予備知識としては、大学一・二年生向けの講義や教科書にある内容を学んでいれば、さしあたり十分でしょう。
おわりに
このページで述べた内容は筆者の個人的な経験と好みが強く反映されているので、一般的・標準的なものとは言えないかもしれません。指導教官をお願いする先生に相談して、適切なアドバイスをもらうようにして下さい。また、このページで例としてあげたもの以外にもよい本や教科書は沢山あります。
最後に、個人的なアドバイスをいくつか。
R.P.Feynmanの
-「QED: the strange theory of light and matter」 (Princeton, 1985)
-「The Feynman Lectures on Physics, volume III, Quantum Mechanics」 (Addison Wesley) (特に 11-5 The neutral K-meson)
は素粒子物理への入門としても最適です。どちらも邦訳があります。
F.Close, M.Marten, C.Sutton 「The Particle Odyssey」(Oxford,2002)には、素粒子原子核実験で用いられる加速器や測定器、そして実験データの数々が美しい写真で収められています。とても楽しく、かつ勉強になる本です。
素粒子原子核実験をやる上で最も役立つ物理は、実は電磁気学です。
学部時代に電磁気学を、それもできるだけ高いレベルまで(Maxwell方程式を使って電磁波の放射を議論するところまで)自分で勉強しておくことをお勧めします。我が国では程度の高い電磁気学の講義はあまり行われていませんが、米国の大学院生はJ.D.Jackson「Classical Electrodynamics, 3rd edition」 (John Wiley & Sons, 1999)を必修で勉強させられていることをお忘れ無く。
最終更新日:2023/03/31
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