ニュース

素核研・点字本プロジェクト特別企画「サイエンス for all」~すべての方にサイエンスを~

素粒子原子核研究所(素核研)では、点字本プロジェクトが進行中です。このプロジェクトは、素核研の研究者有志が集まって素粒子物理学に関する原稿を執筆し、それを点字に翻訳することで、視覚障害のある方を含めたすべての人に最先端のサイエンスを届けたいという思いから始まったものです。

今年のKEK一般公開では、この点字本プロジェクトの特別企画として、あらゆる方に開かれたサイエンスカフェ「サイエンス for all」を行いました。

第1部では、素核研・理論センターの北野龍一郎(きたの りゅういちろう)教授が、宇宙と素粒子の不思議な世界について、スライド資料を使わずに声だけでトークを行いました。宇宙のはじまり、反粒子が消えてしまった謎など、北野教授の話題は多岐にわたりました。

第2部の座談会では、
筑波技術大学・障害者高等教育研究支援センターの宮城愛美(みやぎ まなび)准教授、
筑波技術大学・保健科学部情報システム学科4年の北畠一翔(きたばたけ かずと)さん、
早稲田大学・先進理工学研究科修士1年の天川眞琴(あまかわ まこと)さんをお招きしました。
ファシリテーターを務めた素核研・中山浩幸(なかやま ひろゆき)准教授と北野教授を加えた5名で、視覚障害のある方がサイエンスを学ぶ際にどのような困難があるのか、それをサポートするために大学教員や研究者は何ができるのかについて話し合いました。

当日は、YouTubeのライブ配信も行い、KEKまでお越しいただけない方にも聴いていただきました。第1部の様子は素核研のYouTubeチャンネルからご覧いただけます。
KEK一般公開2023 サイエンス for all

 


点字本プロジェクトメンバーでもある中山准教授は、障害当事者や支援者の方々との対話を重ねていく中で視覚障害のある方の理系進学に特有の困難があるということを知り、それをもっと多くの方にも知ってもらいたいという思いからこの座談会を企画しました。

座談会は、まず、アクセシビリティ(※1)を研究する宮城准教授による、視覚障害に関する基礎的な情報の紹介から始まりました。日本全国には約30万人の視覚障害者の方がいますが、これは身体障害者手帳を持っている方をカウントした人数であり、見えにくい方なども含めると150万人以上いるそうです。そのうち、大学に在籍している方は800名程度で、そのうち理系分野で、かつ、点字で学んでいる学生は多くても30名程度だろうということです。

早稲田大学で宇宙素粒子物理(暗黒物質)の研究をしている天川さんは普段の学習や研究で、メモを取ったり情報収集したりする際に使用している「ブレイルセンス」という持ち運べるサイズのデバイスを見せてくれました。

ブレイルセンス 

ブレイルセンス 

このデバイスは点字ディスプレイとも呼ばれています。教材の電子データはSDカードで取り込まれて点訳され、デバイス下部に点字形式で出力されます。視覚障害のある方はそれを指でなぞって読むことができます。また、ワープロのように、デバイス上の点字キーボードをつかって点字データを入力して文書として保存することもできます。

筑波技術大学でコンピューターを専門に学んでいる北畠さんも同様に、日常的にブレイルセンスを利用しているといいます。普段の情報収集では、点字のほかに、音声読み上げソフトも利用しているそうです。早く情報を入手したい場合は音声を使い、正確に情報を得たい場合は点字を使うなど、点字と音声を併用していると北畠さんは説明しました。

 

ここからは座談会形式にご紹介します


(中山准教授)天川さん、大学の授業で配られる講義資料などで困ることはありますか?
(天川さん)物理学は数式が多く出てくるのですが、点字では1行につき一つの情報を表示するのが特徴なので、PDFから点字に変換すると数式が正確に表示されないという問題があります。例えば、PDFで「1/2(二分の一)」と書かれている部分を点字に変換すると、1行目に「1」、2行目に「2」と表示され、正確な情報になりません。基本的に点字と相性が良いのは「ベタ打ち」のテキストファイルです。数式を含むPDFファイルを作る際の元データであるTeX形式のテキストファイルであれば、問題なく点字データに変換して読むことができます。

(中山准教授)PDF資料しかない場合、PDF内の数式を画像認識してTeXデータに変換するソフトもあるけど、変換間違いも出てきてしまうんですよね。
(天川さん)そうですね。PDF資料を作成するときに使った、もともとのTeXファイルを提供してもらえるのが一番確実です。

(中山准教授)北畠さんはどうでしょうか?
(北畠さん)筑波技術大学は、視覚障害や聴覚障害のある学生のための大学なので、授業資料は基本的には電子ファイルで提供されることが多いです。それだけではなく、書式を持たない素のテキストファイルでも読みやすいように編集・校正されたテキストデータの教科書や点字データの教科書が提供される場合もあるので、状況によって使い分けています。

(中山准教授)筑波技術大学のような手厚いサポートは他の一般の大学ではなかなか得られないのではないでしょうか?
(宮城准教授)以前は一般の大学では点訳サービスはもちろん、テキストデータの提供まではできていませんでしたが、平成25年に「障害者差別解消法」という法律が制定されてからは、合理的配慮と呼ばれる、個々の学生のニーズに合わせたものを提供することが一般の大学でも障害学生支援室を中心に進められています。
(中山准教授)なるほど、少しずつ良くなっているということですね。

(中山准教授)大学に入って本格的にサイエンスを学び始めると、高校までの、みんなと同じ教科書を使った学び方とは違った難しさがでてくると思います。大学に入って、自分が学びたい専門的内容の点字データがない場合はどうするのでしょうか?
(天川さん)授業で使う教科書であれば、学内の障がい学生支援室を経由して点訳をお願いしています。ただ、どうしても理系の点訳をできる方が限られているので、全てを点訳することはなかなか難しいです。その場合は、教科書自体に電子データ版があればそれを入手して、TeX形式に変換するなどの作業をします。古い教科書など電子データがない場合は、1ページずつ全て裁断してページをスキャンしてPDFデータを作り、それからTeX形式に変換するという作業が必要なこともあります。論文については、データベース化されている場合がほとんどなので、そのサイトで著者があらかじめTeXデータを上げていれば不自由なく論文を読むことができます。

(中山准教授)最近は、論文はプレプリントサーバーに上げることが我々素粒子実験の分野では一般的になっています。北野先生、素粒子理論の分野でもそうですよね?理論ではプレプリントサーバーにTeXのデータも上げていますか?
(北野教授)昔はTeXファイルも上げていたのですが、最近はPDFデータだけということも増えています。
(中山准教授)可能であればTeXファイルもアップロードすると視覚障害のある方はとても助かるのでは?
(天川さん)そうですね。PDFからTeXへの変換は間違いも出てきてしまうので、もともとのTeXファイルをもらえれば著者が意図した通りに正確に読むことができます。
(北野教授)なるほど。
(中山准教授)その程度なら、我々にとって手間ではないですよね。
(北野教授)TeX版でコメントアウトされた部分に書いてあるメモ書きなど、外に出せない部分を消せば提供可能ですね。

(中山准教授)北畠さんはプログラミングがご専門ですが、そちらではどのような難しさがあるのでしょうか?
(北畠さん)大学の授業については質の高いテキストデータが提供されるのであまり困りませんが、個人的な学習のために一般書籍を読みたい時に紙媒体しかない場合は、誰かに裁断してスキャンして校正まで依頼しなければなりません。まさに今、大学にそういう依頼をしているところです。技術系の本は電子書籍が増えているのでPDFやEPUB (イーパブ)と呼ばれる電子書籍ファイルの形式できちんとテキスト情報が入っていれば読むことは可能です。ただ、プログラムのソースコードについては注意が必要です。例えば、スペース(空白)があるかないか、全角か半角かの違いだけでプログラムが動かなくなってしまうことが十分にあり得ます。サンプルプログラムがダウンロードできるようになっていれば問題はあまりないのですが、PDFファイルしかない場合、意図しない箇所にスペースや改行が入っているように見えてしまう場合もあり、ソースコードを正しく理解するのが難しくなってしまいます。
(中山准教授)我々実験屋もプログラミングは使うので、プログラミングのチュートリアルを配布することがあります。そういった場合も、資料PDFだけを提供するのではなく、ソースファイルも同時に公開すると視覚障害のある方にとってハードルが下がるということですね。

(中山准教授)学会やセミナーにも参加して話を聞くことがあると思いますが、そういう場合はどうしていますか?
(天川さん)事前にスライドなど発表資料を頂ければ、それを自分の読める方法に変換して読むことができます。ただ、スライドに画像などがたくさん入っていると、それはテキストとして読むことができませんので、私たちにとっては文章で書いてあるととても助かります。また、資料を点字に変換して読むのに時間がかかるので、セミナーの前日など、余裕をもって資料を頂けると助かります。
(中山准教授)なるほど。とても具体的で実践できそうなことをいろいろ教えていただきありがとうございました。

座談会はここまで。

 


中山准教授の最後の言葉にもあるように、具体的にどのようなことに配慮すれば視覚障害の方の負担が減るのか、情報にアクセスしやすいのか、今回のサイエンスカフェを通じて知っていただく機会になったのではないでしょうか。

そのほか、すぐに取り組めることとして、北畠さんが打ち合わせの際に教えてくださったことを紹介します。私たちがワードやパワーポイントなどのソフトを使って資料を作成する場合、そのソフトが持っている本来の機能を正しく使うことで視覚障害のある方も正確に情報にアクセスしやすくなると北畠さんは言います。例えば、ワードソフトには表題や見出しという機能があります。その機能を正しく使えば「見出し」だと読めますが、見出しのつもりで文字のフォントを大きくしただけでは、それが見出しなのかを認識することはできないといいます。

参加者からは、「学習のアクセシビリティに少しでも貢献していけるよう、身辺を見直したい」「普段視覚障害のある方に関わる機会がないので、とても興味深い話が聞けた」などの感想をいただきました。

点字本プロジェクトについて

現在、点字本プロジェクトでは、宮城准教授率いる点字チームと連携して、素核研の研究者が執筆の段階から視覚障害の方にも理解をいただける表現に工夫した原稿の点訳を進めています。中でも視覚障害がある方でも理解できるように、図を工夫して触図化を行っています。特に立体的な図は視覚障害のある方にはわかりにくいといいます。そのため、もともとの図では地上、地下の図が一つの図で表されているような場合は、文章での補足や、触図は地下だけの平面図にするなどの工夫が必要です。サイエンスカフェの参加者の皆様にも、実際にオリジナルの図と触図を直接比較していただき、触図を指でなぞることで、その独自の感触を実際に体験していただきました。中には、目を閉じて触図をなぞっている参加者の方もいらっしゃいました。点訳に際しては、天川さん、北畠さんを含め、当事者の方にも試読していただきながら、2024年春の完成を目指して進めています。

リンク

ページの先頭へ