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理論センター「Belle II 実験で測定されるセミレプトニック崩壊の様子を精密に再現」

KEK素粒子原子核研究所・理論センターの橋本 省二(はしもと しょうじ)センター長や金児 隆志(かねこ たかし)准教授らが参加するJLQCD(Japan Lattice QCD)コラボレーションはBelle II 実験で測定されるボトムクォークからなるB中間子が、チャームクォークからなるD中間子と電子やミューオンなどの荷電レプトンとニュートリノに崩壊するセミレプトニック崩壊の様子を精密に再現し、このことを述べた論文がPhysical Review Dに掲載され、PRD Editor’s Suggestionに選ばれました。
掲載された論文はこちら:
B→D∗ℓνℓ semileptonic form factors from lattice QCD with Möbius domain-wall quarks

 

素粒子標準理論はさまざまなことを説明できる理論ではありますが、まだ不完全です。宇宙の大部分を占める暗黒物質や暗黒エネルギーの正体を説明できていません。また、現在の宇宙に反物質が見当たらないことも標準理論では説明ができません。そのため、精密な実験測定と精密な理論予言を比較して、標準理論の欠陥を見つけ出し、標準理論を超える新しい粒子や新物理法則のヒントを見つけ出そうと研究が進められています。

昨年、2023年10月30日~11月3日に行われたBelle II Physics Weekでは、新物理探索の前提条件といえる、小林・益川行列要素|Vcb|の決定がテーマでした。|Vcb|は標準理論に含まれる基本定数の一つで、実験のデータと理論計算の組み合わせで|Vcb|の値を決定します。ところが、終状態を指定する排他的崩壊のデータから決定した値と、終状態を指定しない包括的崩壊から決定した結果が矛盾することが、ここ10年以上にわたって問題になっていました。これは理論あるいは実験の不定性が十分に理解されてないためであると考えられており、Belle II Physics Weekでは、世界中から第一線の理論・実験研究者が集まって議論し、可能性のある原因を洗い出しました。

最も疑わしいのは、強い力の寄与が正しく理解されていないという可能性です。自然界に存在する4つの力のうち、重力以外の強い力、弱い力、電磁気力は標準理論で記述されています。|Vcb|を決定する際にはこれらの力からの影響を計算します。そのうちの弱い力と電磁気力は摂動論(※1)を使って数式で表す計算ができますが、強い力の計算では摂動論の手法が使えないので、計算機によるシミュレーションで計算します。強い力による寄与は|Vcb|の値を決定するためにはとても重要ですが、数式を用いた手計算ができないことから、|Vcb|の決定に大きな誤差を与えていました。

今回金児氏らは、強い力による寄与を、スーパーコンピューター「富岳」を使ったシミュレーションで精密に計算しました。その鍵は形状因子と呼ばれる物理量です。しかし、数年前までは形状因子のシミュレーションはほとんど行われておらず、理論で計算すべき形状因子を、実験データを再現するように決めていました。標準理論と実験を比較して|Vcb|を決定すべきところ、実験データに頼っていたこと自体が問題になっていたため、このシミュレーションによって得た形状因子を使ってB中間子からのセミレプトニック崩壊率を計算する試みが米国Fermilab/MILC、英国HPQCD、そして日本はKEKを中心にJLQCDの3つのコラボレーションで行われました。

理論だけでは|Vcb|を決定できませんが、比例係数を除いたパラメータ依存性は標準理論に含まれる強い力の理論で計算することができます。その計算結果が、先行の米国や英国チームでは、実験の微分崩壊率(※2)と矛盾する結果となりました。これは、標準理論がその現象を正確に説明できていない可能性が高いということになり、新しい物理の存在を示唆していると結論したくなります。ところが、日本チームは、対称性を保つクリーンな定式化をシミュレーションに使用し、系統誤差を過小評価しないように正しく評価することを課題に、シミュレーションを行った結果、実験の微分崩壊率と整合し、微分崩壊率のパラメータ依存性を再現することができました。つまり、実験で測定されるセミレプトニック崩壊の様子を精密に再現することができ、標準理論と整合する結果を得たということです。

金児氏らは先行研究で報告された「ずれ」を簡単に新物理の示唆とは考えず、シミュレーションデータから微分崩壊率を導く解析を3通りの方法で行って信頼性を強固にした上で実験と整合する結果を得たことがPhysical Review Dでも評価され、Editor’s Suggestionに選ばれました。

今後は、他のさまざまな崩壊モードも調べて新物理へのヒントにつながる有益なインプットを提供してBelle II実験に協力していきたいと金児氏は話しました。

JLQCDを率いた橋本センター長からのコメント

すぐ目の前にある実験の結果を理論計算で再現できる。さらには予言できる。これが物理学の醍醐味です。量子色力学は難しいのでここまで来るのに何年もかかりましたが、今後はさらにいろいろな過程で相互検証が進むことを期待しています。


 

用語説明:

※1 摂動論
相互作用の強さを表すパラメータを用いて物理量を級数展開し、近似的に計算する方法。電磁気力と弱い力に関しては、級数展開の最初の項を計算すれば十分な精度が得られるが、強い力については近似がうまくゆかず、多くの項を計算する困難がある。

※2 微分崩壊率
崩壊のしやすさを、崩壊の特徴的なパラメータの関数として表したもので、本研究においては、レプトンに渡るエネルギー、レプトンの角度、D*中間子の角度、崩壊軸まわりの角度の4つを用いた。

 

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