LHC加速器実験にブレークスルー賞:ヒッグス粒子研究の成果とその意義
2025年4月23日
米グーグルの創業者らが出資するブレークスルー財団が主催する自然科学の国際的な学術賞「ブレークスルー賞」が4月5日(日本時間4月6日)に発表され、基礎物理学部門で、欧州合同原子核研究機関(CERN)にある大型ハドロン衝突型加速器(LHC)で行われている四つの国際共同実験(コラボレーション)が受賞しました。(プレスリリース)
今回受賞したLHCの国際共同実験はALICE、ATLAS、CMS、LHCbです。「CERNのLHCでなされた、対称性の破れによる質量生成機構を確認したヒッグス粒子の詳細測定、強い相互作用によってできる新粒子の発見、希少過程と粒子・反粒子非対称性の研究、最短距離と極限条件における物質の探求」が評価されました。
KEK素粒子原子核研究所(素核研)はATLAS実験に参加し、粒子検出器の開発やデータ解析を行っています。2012年のヒッグス粒子の発見からその性質の解明に至る物理成果の創出において中心的な役割を担ってきました。
この記事では、「ヒッグス粒子研究の成果とその意義」について解説します。
素粒子の質量と「世代」
私たちの身の回りにある物質は、クォークとレプトンと呼ばれる素粒子によって構成されています。これまでの研究から、この物質を構成する素粒子にはそれぞれ6種類のクォークと6種類のレプトンが存在することがわかっています。これらの素粒子は、質量の大きさに基づき、3つの「世代」に分類されます。
- 第1世代:アップ(u)クォーク、ダウン(d)クォーク、電子と電子ニュートリノ
- 第2世代:チャーム(c)クォーク、ストレンジ(s)クォーク、ミュー(μ)粒子、ミューニュートリノ
- 第3世代:トップ(t)クォーク、ボトム(b)クォーク、タウ(τ)粒子、タウニュートリノ
-
素粒子の分類図(素粒子標準模型)
トップクォークは、ミュー粒子や電子に比べて非常に重く、それぞれと比べて質量が3桁、6桁も違います。また、光子、W粒子、Z粒子、グルーオンと呼ばれる素粒子がクォークやレプトンの間に力を伝える役割を果たしています。これらの粒子が媒介することで、電磁気力、弱い力、強い力が働き、原子核や原子が形作られています。この中で光子とグルーオンは質量を持ちませんが、W粒子とZ粒子はそれぞれ陽子の約80倍、90倍の質量を持つことがわかっています。
ヒッグス粒子発見と特性の詳細測定
2012年、ATLAS実験とCMS実験によりヒッグス粒子と思われる新しい粒子が発見されました。その後、両実験でヒッグス粒子と素粒子との結合の強さを測定することで、私たちの宇宙は“無”ではなく、ヒッグス場と呼ばれる目に見えない場で満たされた宇宙であることが明らかになりました。宇宙が冷えていく過程でヒッグス場の性質が変わり(水が冷えて氷となって、全く異なる性質となるように)、その性質が変わったヒッグス場とW粒子やZ粒子との相互作用から、W粒子とZ粒子が質量を持つようになったことが実証されました。この仕組みを「ヒッグス機構」と呼びます。「ヒッグス機構」によりW粒子とZ粒子が質量を持ち、弱い力が電磁気力よりも弱いことがわかりました。これによって、電磁気力と弱い力を理論的に統一して扱う“電弱統一理論”が正しいことが確認されたのです。
さらに、その後の実験により、物質を構成する素粒子の中でも質量の大きい第3世代に属するトップクォーク、ボトムクォーク、タウ粒子の質量も、ヒッグス場との相互作用によって生じていることが確かめられました。さらに近年では、第2世代のミュー粒子についても、質量の起源がヒッグス場にあることを示唆する結果が得られつつあります。ヒッグス粒子発見からわずか10年あまりの間にこれだけのヒッグス粒子の様々な性質を測定したことがブレークスルー賞の受賞に繋がりました。
-
素粒子の質量の大きさ(横軸)とその素粒子とヒッグス場との結合の強さの測定値(縦軸)との間の関係。ATLAS実験の測定により、質量の大きさとヒッグス場との結合の強さが一直線上に並ぶとする素粒子標準模型の予想が、現在の測定精度の範囲で正しいことが確かめられた。出典:Nature 607 52 (2022) 図5より
LHC実験は2010年より本格的な物理解析データを収集しており、2010年から2012年を第1期運転(Run 1)、2015年から2018年を第2期運転(Run 2)、2022年から2026年を第3期運転(Run 3)としています。陽子陽子衝突の重心エネルギーは、Run 1が7-8テラ電子ボルト、Run 2が13テラ電子ボルト、Run 3が13.6テラ電子ボルトです。ATLAS実験では、Run 1で約3千兆回の陽子陽子衝突反応に相当するデータを蓄積し、そのデータを用いた解析によりヒッグス粒子を発見しました。その後、Run 2で約1京5千回の陽子陽子衝突反応に相当するデータを蓄積し、このデータに基づく解析が今回のブレークスルー賞の受賞に繋がりました。現在実験中のRun 3では、すでに約1京8千回の陽子陽子衝突反応に相当するデータを蓄積しており、2026年までに約3京回の陽子陽子衝突反応に相当するデータを蓄積する予定です。2030年から開始する高輝度LHC実験では、2041年までに約30京回の陽子陽子衝突反応に相当するデータを蓄積する予定です。
多くの謎を抱えるヒッグス粒子
素粒子の「世代」はヒッグス粒子が作っていることがわかりましたが、なぜ「世代」が存在するかは未だに解明されていません。素粒子はヒッグス場との相互作用により質量を獲得することはわかりましたが、何桁も異なる素粒子の質量をヒッグス場との結合の強さの違いだけで説明することはとても不自然です。そもそも、ヒッグス場の性質を十分に理解できていないのが現状であり、ヒッグス粒子は今なお、謎の多い粒子とされています。こうしたヒッグス場の謎の背後には、新しい素粒子現象が潜んでいると考えられています。
これからさらに多くの陽子陽子衝突反応データを蓄積することで、より多くのヒッグス粒子の反応を測定することができます。例えば、ヒッグス粒子とミュー粒子との結合の強さ、ヒッグス粒子とチャームクォークとの結合の強さ、さらにはヒッグス粒子自身とヒッグス場の結合の強さ(ヒッグス粒子の自己相互作用)を測定することができます。これらは、高輝度LHC実験で明らかにしたいものであり、これによって、謎の多いヒッグス粒子の性質をより深く理解していくことができるようになります。また、膨大な陽子陽子衝突反応データを蓄積することで、これまでデータ量不足で見つけることができなかった未知の素粒子を発見できるかもしれません。