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高﨑史彦名誉教授を偲んで/ In Memory of Professor Emeritus Fumihiko Takasaki
2026年3月9日
高﨑史彦名誉教授が令和8年1月21日に逝去されました。
ここに謹んで哀悼の意を表します。
高﨑史彦名誉教授は、トリスタン加速器のVENUS実験そしてKEKBのBelle実験の創設者の一人として、その立ち上げと発展に深く関わられ、多くの研究者や学生に影響を与えてこられました。
本記事では、先生と交流のあった方々から寄せられたメッセージの一部をご紹介し、先生のお人柄や思い出を偲びたいと思います。
Professor Emeritus Fumihiko Takasaki passed away on January 21, 2026.
We would like to express our deepest condolences.
As one of the founders of the VENUS experiment at the TRISTAN accelerator and the Belle experiment at KEKB, Professor Takasaki played a central role in its establishment and development, and he influenced many researchers and students.
In this article, we present a selection of messages from colleagues and friends who had the opportunity to work with him, in remembrance of his character and the many memories they shared.
寄せられたメッセージ/ Tribute Messages
KEK素核研 宇野彰二特別教授
これぞと思ったことは、なりふり構わず突き進む素晴らしいリーダーだったと思います。
KEK素核研 Belleグループリーダー 中尾幹彦教授
私が1995年にBelle実験に参加した時に、この飄々とした人がBelle実験を率いているのかと思ったことを想い出します。当時の私は大規模プロジェクトの運営については何も知らない若憎でしたが、好きなことを自由にやらせてもらっていました。高﨑さんを中心としたBelle実験建設時のKEKの士気は高く、シリコン崩壊点検出器の代替プランへの切り替えや、カロリメータのコンテナーの作り直しなどの危機を乗り越え、今から考えると非常に短い、わずか4-5年という期間でKEKB/Belle実験を実現してしまい、伝統のあるSLACのPEP-II/BaBar実験と肩を並べてスタートできたのは奇跡だと思っていました。
実験が始まっても、例えばKEKBの電子雲の問題を加速器・測定器の垣根を越えて解決したおかげで、最終的にはPEP-II/BaBarを越えるルミノシティを実現し、Belle II実験への道筋ができあがりました。高﨑さんの尽力がなければ今のBelle IIは存在しなかったでしょう。高﨑さんのやり残したことはあるでしょうが、それでもご自身のやりたかったことを十分やりきっての人生だったのではないかと思います。高﨑さんのご冥福をお祈りいたします。
KEK加速器研究施設 生出勝宣ダイヤモンドフェロー
I have been shocked at this totally sad news. I think Prof. Takasaki was the person who proposed the asymmetric B-factory, KEKB, from scratch. I was fully happy to have made the design of collider under his leadership, and operated it successfully with then-highest luminosity in the world. This loss at this moment will bring us the most grave impact. He was one of peculiar leaders who could consider the entire KEK’s project including the accelerator part, beyond the wall of divisions, and we still have a lot of things to learn from him.
Dr. Rahul Sinha, University of Hawaii/Inst of Mathematical Sciences
Truly saddened to hear the news. Takasaki-san played a vital role in Belle as mentioned by everyone. I wish to narrate the role he played in my career.
I started visiting KEK since 1998, primarily with a hat of theorist. Nevertheless, my discussions with Takasaki-san and his encouragement on many occasions played a pivotol role on my work in flavor physics. I remain indebted to him and other friends at KEK.
My sincere condolences to his family.
KEK素核研 後田裕副所長
学生の頃は、パーティーの場で「FPGAなんてやっているようじゃだめだ、検出器の経験がないと業界での将来のキャリアにつながらない」とけなされ、またある時は電話でなぜかK中間子のCPの議論になり、「おたくは物理をわかってないから山内に鍛えてもらっておけ」と言われました。もっとも、そのとき間違っていたのは高﨑さんでしたが。文字にすると一見いい思い出ではなさそうなこうしたエピソードが笑い話になる、そういう懐の深さを持った人だったと思います。そうこう言われながらも、助手として私を採用したのが高﨑さん(を含む人事委員会の審議を受けた運営会議の決定)でした。
Belleグループの責任者として私を指名したのも高﨑さん(所長をおやめになるころ)でした。素核研全体会議で皆さんに私を紹介して、「ほとんどヤクザだ」とおほめ(?)いただいたのもよい思い出です。そういえば、KEKのあるウェブ記事に「あのくらい生意気なのがちょうど良かったんだ」という高﨑さんによる後田評が残っていますね。ありがとうございます。
自分なりに相当な努力をしてきたつもりの研究者人生だけど、高崎さんあってのことだったと思います。
Belle II建設のリーダーを任されてからは、ある年配の先生から「高﨑さんと比べると物足りない」と𠮟咤いただいたりもしました。タイプが違うのはもちろんなのですが、情熱にしても行動力にしても、いまだに敵わないものばかりだなと感じています。高﨑さんだったらもっとうまくできていただろうなと。
もうお会いできないのが残念です。Belle IIの成果を墓前に報告できるよう努力を続けたいと思います。




