KEKと日本原子力研究開発機構が共同で運営する茨城県東海村のJ-PARC(大強度陽子加速器施設)は、世界最高クラスの強度を持つ300億電子ボルト(30GeV)のメインリング加速器を駆使し、ニュートリノのビームや、素粒子のクォークが強い力で結びついた粒子であるハドロンのビームを使ったさまざまな実験を行っています。
その中の飛行機の格納庫のように大きなハドロン実験施設のホールの一角で、KOTO実験の作業が行われていました。この実験は、陽子を”金”の標的にぶつけて発生する寿命が長い中性のK中間子(KL)を捉え、非常に稀に起こるというある特定の崩壊パターンの頻度を精密に測定し、粒子と反粒子の対称性(CP対称性)の破れの新しい起源に迫ろうとしています。
「KLもその崩壊で出来た光子も電荷がなく、観測は非常に困難」
「この検出器は、KL中間子を含む中性のビームから、非常に稀にしか起きない崩壊パターン、KL→π0ννを見つけることかできます。ν(ニュートリノ)は観測できないため、π0中間子が崩壊してできる光子2個を見つけるのですが、KLもその崩壊で出来た光子も電荷がなく、さらにビーム中にすでにある光子、中性子の影響を観測結果から取り除く必要があるため、実験は大変やっかいなものです」
KEK素核研助教の塩見公志さんが丁寧に説明してくれました。塩見さんは、KOTO実験がまだ測定器の準備中だった2008年、京都大の大学院生のころから東海村で研究を続けているとのこと。コンクリートブロックに囲まれた狭い部屋に、直径約4メートル、長さ約6メートルの円筒形の検出器が設置され、多くの配線がデータを読み出すシステムにつながれていました。
KOTO実験の意義 CP対称性を破る新しい物理の探索
CP対称性とは、粒子と反粒子を入れ替え、空間を反転させても区別がつかない性質のことで、当時の素粒子理論ではCP対称性は保存されると信じられてきました。ところが、1964年、中性のK中間子の実験でCP対称性が破れていることが発見され、多くの物理学者がこれを説明するための理論に苦労する中で、小林誠博士、益川敏英博士が考え出した理論は、クォークが3世代(6つ)あり、異なる世代のクォークが混合した粒子が存在するなら、CP対称性の破れを説明できる、とするものでした。これらを検証する目的で、K中間子を使ったアメリカのフェルミ国立研究所(FNAL)のKTeV実験と、欧州原子核研究機構(CERN)のNA48実験、B中間子を使ったKEKの初代Belle実験、アメリカSLAC国立研究所のBaBar実験が行われ、最終的に小林・益川理論の正しさが実証されることになり、2008年のノーベル物理学賞の受賞となったのです。
しかし、小林・益川理論だけでは物質が優勢の今の宇宙を説明しきれないことから、標準理論とは別の過程でCP対称性を破る新しい物理の探索が続けられています。KOTO実験の意義もまさにそこにあるようです。
「KOTO実験で観測しようとしている崩壊パターンは、とくに起きる確率が低く、標準理論では100億分1×(3±0.3)の頻度と計算されています。現在、実験によって判明した上限値は1000万分の1×2.6で、3桁の開きがあります。理論値の不確実性は2%と低いため、予測と異なる実験結果は、迷いなく新物理の発見と言えます」
KEK-PSのE391a実験の旧検出器を移設・アップグレード
実験によって与えられた上限値とは、KEKつくばキャンパスに日本で初めての大型加速器として建設された12GeV陽子シンクロトロン(KEK-PS)で最終盤(2004-2005年)に得られた結果です。これはKLの稀崩壊に特化した世界初の実験(E391a実験)でした。KOTO実験はここで使われた検出器をJ-PARCのハドロン実験施設に移設し、様々な検出器やデータ収集系のアップグレードを行い、2013年から運転を始めました。KOTO実験には現在、KEK、大阪大、京都大など国内、国外のアメリカ、台湾、韓国、ロシアからも研究者が参加し、60人で研究を進めています。
「2013年5月の最初の物理ランで、KEK-PSが出した世界記録と同程度の感度を達成しました。ハドロン実験施設の改修のための運転停止中に、測定器の増強の準備を進め、2015、2016、2017年と順調にデータ取得を行い、解析を進めているところです。当初の背景事象も大きく減り、光子の検出感度を上げるために設置したガンマー線検出器(インナーバレル)も効果を発揮し始めました。これからが楽しみです」
【CP対称性の破れとK中間子を巡るこれまでの経緯】
- 弱い相互作用でパリティが破れていることが発見される。
- 中性K中間子という粒子でCPが破れていることがブルックヘブン国立研究所の実験で発見される。この成果でクローニンとフィッチが1980年にノーベル物理学賞を受賞。
- CP非保存という観測事実を理論的に説明するため、小林・益川理論が提唱される。
- アメリカ・フェルミ国立研究所(FNAL)でトップ・クォークが発見され、K中間子の崩壊を用いてFNALでのKTeV実験、欧州原子核研究機構(CERN)のNA48実験が行われる。小林・益川理論がほぼ確実に。
- B中間子を使ったKEKのBelle実験とSLACのBaBar実験で小林・益川モデルが精密に検証される。
- 12GeV陽子シンクロトロン(KEK-PS)のE391a実験でKL→π0ν
ν 崩壊の分岐比上限値の世界記録を達成。 - 小林誠・益川敏英両博士がノーベル物理学賞を受賞。
- J-PARCのメインリング加速器が運転を開始。KEKプレスリリースJAEAプレスリリース
- KOTO実験のビームラインの建設を開始。
- 電磁カロリーメータの設置完了
- KOTO実験初の物理ラン、E391aの上限値に近い結果を出す。
- KOTO実験二回目の物理ラン
- KOTOにインナーバーレル検出器を設置。
- KOTO実験三回目の物理ラン
- KOTO実験四回目の物理ラン
ことば
K中間子
第一世代のクォークと第二世代のストレンジクォークからなるハドロンのことです。K-(アップクォークと反ストレンジクォーク)、K+(反アップクォークとストレンジクォーク)、K0、(ダウンクォークと反ストレンジクォーク)、K0(反ダウンクォークとストレンジクォーク)の4種類があります。
KL中間子
電荷のない中性のK中間子の二つが混合して存在し、そのうち寿命の長いものがKLです(LはLongの略)。
KOTO実験
中性中間子のK0 at TOkai”の略称です。