g-2という言葉を聞いたことがありますか?まだ見ぬ新しい物理の兆候を掴む鍵となり得るg-2、その値の精密な測定を目指すKEK素粒子原子核研究所の実験グループの研究を2回に分けてご紹介します。今回お話を聞いたのはKEK素粒子原子核研究所研究員である佐藤 優太郎さんです。
−こちらのグループではどの様な研究をしているのですか。
●佐藤研究員 ミューオン(注1)と呼ばれる素粒子や電子は、スピン(注2)に伴う磁石の強さ(磁力)を持っています。この磁力の大きさはディラックの相対論的量子力学から導かれる値(g=2)からわずかにずれると考えられています。このずれをg-2(異常磁気能率)と呼びます。g-2の値については標準理論で予言された理論値があります。この理論値は現在、KEK理論センター所属の野村大輔 研究員を含む研究グループが求めた値が世界的基準の一つとしてよく引用されています(下記の関連リンク参照)。私達はこのg-2の値をJ-PARCの加速器を用いて精密に測定し、実験値の理論値からのずれを求める事で、標準理論を超える新物理の兆候を掴む事を目標としています。
―どの様にしてg-2を測定するのでしょうか。
●佐藤研究員 大まかに言うと、①加速器でミューオンを作り、②別の加速器でエネルギーを揃えながら再加速させ、③蓄積中に崩壊する時間を検出器で測定します。それぞれのステップ毎に説明します。
①加速器でミューオンを作る
ミューオンはパイ中間子の崩壊から生じます。そこで、J-PARCの3GeVシンクロトロンで加速させた陽子ビームからパイ中間子を生成し、それが崩壊して出来るミューオンを使用します。ただ、この時出てくるミューオンは四方に分散しています。ですので、この分散したミューオンを効率的に使用するために磁石で集めます。ミューオンの様に電荷を持つ粒子は、磁石を用いて位置を調整できるのです。
②別の加速器でエネルギーを揃えながら再加速させる
ですが、このままではミューオンのエネルギーや方向はばらばらで、蓄積する際に一部は蛇行して蓄積容器の壁にぶつかって消えてしまいます。これはg-2 を測定する際に誤差の原因になってしまいます。そこで、対策として私達ミューオン g-2/EDM実験グループでは綺麗なミューオンを使おうとしています。
―綺麗なミューオンとは何でしょうか?
●佐藤研究員 理想的な状態を考えると、ミューオンは全てある決まった値に揃ったエネルギーを持ち、直線のビームで飛んできます。綺麗なミューオンとは、この様にエネルギーと運動方向の向きが揃ったミューオンのことです。ではどの様にして綺麗なミューオンを作るのかと言いますと、生じたミューオンを一旦停止させ、ミューオン加速器で再度加速させるのです。この時、4-50mほど再加速させてミューオンを300MeV程度のエネルギー状態にします(下記の関連リンク参照)。
③検出器に打ち込んで測定する
最後に、エネルギー300 MeV 程度に揃ったミューオンを超電導蓄積磁石の中に打ち込み、ミューオンビームを蓄積します。蓄積したミューオンは時間とともに崩壊して陽電子を生成するので、それらを陽電子飛跡検出器で捕えます。
―加速器で出来たミューオンを一度止めた後に再加速するとはユニークな方法ですね。佐藤さんはこの内、どの部分の研究に携わっているのでしょうか。
●佐藤研究員 私は③の陽電子飛跡検出器の開発を行っています。ミューオンは一定の時間の後、やがて陽電子に崩壊するのですが、検出器ではこの陽電子を検出します。
崩壊するまでの間、ミューオンは回転しながら運動量とスピンの向きが変化します。そして、300回ほど回転するとスピンが運動量よりも1回多く回ります。この時のスピンと運動量の向きが変わるスピードが私達の知りたい(ミューオンの)磁石の強さに関係しているので、両者が変わる周期を調べます。そのためにはミューオンのスピンの向きを知る必要があります。ミューオンには崩壊する際にスピンの方向に陽電子を出しやすい性質があるので、この性質を利用して、私達は実際にはミューオンではなくミューオンが崩壊して出来た陽電子を検出するのです。私達はg-2をppm(100万分の1)以下の精度で測定することを目標としています。
g-2と合わせてもう1つ重要な値、電気双極子能率(EDM)も同じ陽電子飛跡検出器で測ろうとしています。EDMの存在が確認できれば、時間反転対称性が破れているという事になるのです(注3)。時間反転対称性が破れる時、同時にCP対称性(物質・反物質対称性)も破れます。そのため、EDMが確認できれば、誕生直後の宇宙には存在したはずの反物質が現在では観測されていない謎に大きく迫る事ができるのです。
―とても面白そうな実験ですが、ライバルはいるのでしょうか。
●佐藤研究員 同じg-2の精密測定を別の手法で目指している研究グループはあります。2001 年までアメリカのブルックヘブン国立研究所(BNL)でg-2 を測定するための実験が行われていました。これが現在でも最も精度の良い測定結果で、実験値が理論値から誤差の3倍(3シグマ)の大きさでずれていると報告されました。BNLでの実験はここで終了したのですが、2018年にアメリカのフェルミ国立加速器研究所(FNAL)で同じ手法をアップグレードした実験が始まりました。
FNALがライバルというよりは、ミューオン g-2/EDM実験グループはFNALとは別手法で独立した測定を実施することを目指しています。100万分の1程度のわずかなずれであるため、異なる体系で測定することには意義があります。複数の実験で検証できれば信頼性が上がるからです。
―どの様な点が独自の手法なのでしょうか。
●佐藤研究員 g-2 を実験的に測定するには実験環境にある条件を課す必要があります。FNAL ではミューオンの運動量を3.09 GeV/c という値にするという条件を課していました。ミューオン g-2/EDM 実験グループでは運動量には条件を課さず、電場を使用しないというFNAL とは異なる条件を課しています。FNAL では電場を用いてミューオンを蓄積していたのですが、J-PARC g-2/EDM 実験グループでは電場を用いることができません。そこで、先程お話した様に綺麗なビームを作り、磁場をかけることでミューオンを蓄積しようと考えました。
ミューオン蓄積リングを小さくできることも私達の実験の特徴です。リングを周るミューオンを精密に制御するためには、リングの直径を小さくして内部にかける磁場を正確にする必要があります。私達はFNALよりも10 分の1 小さいエネルギーのミューオンを使用するので、ミューオンを蓄積するリングも小さくすることができるのです。FNALのミューオン蓄積リングの直径は14mですが、ミューオンg-2/EDM実験グループでは66cmのリングを用いてppmレベルの精度でミューオンを制御しようとしています。
―とてもユニークな実験方法ですね。次回は陽電子飛跡検出器についてさらに詳しく聞きます!
用語解説
注1.ミューオン
素粒子は、物質を構成する粒子と力を伝播する粒子、そしてヒッグス粒子に分類できます。この内、物質を構成する粒子には3つの世代があり、クォークとレプトンのグループに分けられます。ミューオンは第2世代のレプトンの1つで、自然には宇宙線の中に含まれています。また、マイナスの電荷と電子の約200倍の質量を持っています。ただし、この記事中では簡単のため、ミューオンの反粒子(プラスの電荷をもつこと以外はミューオンと全く同じ性質をもつと考えられています)をミューオンと呼んでいます。
注2.スピン
素粒子にはまるで自転しているかのような性質があり、この性質をスピンと呼びます。ミューオンの場合、スピンの向きは自転軸に沿って2通りの向きをとることができます。つまり、もし自転軸が鉛直方向ならスピンは上向きか下向き(図7の青い矢印)になります。
注3.EDMと時間反転対称性の破れ
非常に小さなスケールで見たとき、粒子内部には電荷の偏りがあり、この電荷の偏りからEDMは生じていると考えられています。時間がさかのぼっている(反転している)場合を考えると、EDM粒子内の電荷の分布は反転しませんが粒子のスピンの向きは反転します。この様に、時間反転によってEDMとスピンの向きに違いが生じてしまうため、もしEDMが存在した場合、時間反転対称性が破れる事になります。素粒子反応の方程式は、粒子と反粒子を入れ替え(C)、鏡面に写した様に反転した世界を見ると(P)、時間がさかのぼっている(反転している)(T)場合の方程式と区別出来ない事を表したCPT定理によると、CP対称性が破れた時、時間反転対称性も同時に破れます。
第2回の記事はこちら
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